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上方と蝦夷地の繋がりの話で他にこんなものがある。江戸初期、京都に花山院忠長という五摂家に次ぐ家格のエラいお公家さんがいた。しかし彼は後陽成天皇が寵愛していた女官とひそかに恋仲になってしまい、激怒した天皇に遠く北海道の上ノ国花沢(現在の江差街の隣町の小高い丘)へ流刑にされた。 pic.twitter.com/WxL6TD9DuL
京都御所 天皇の寝所に最も近い公家(徒歩3分) 近衛家は藤原北家嫡流 公家の五摂家筆頭 ここも藤原姓だったんだね 夜中のヒソヒソ話もあったかも😅 現在の当主は細川護煕元総理の弟さん写真はそっくりです♪ #光る君へ pic.twitter.com/dhXOn8QEBy
総長の座を巡って ところがあまりに横暴な行いを看過できず、これに「待った」をかけた人物がいる。神社本庁の象徴としてのトップ・鷹司尚武統理だ。 「鷹司統理は、公家の家格の頂点である『五摂家』の一つ、鷹司家の現当主であり、昭和天皇の第3皇女の養子で上皇陛下の義理の甥にあたる人物です。
一条、二条、九条、近衛、鷹司 語呂の関係でこう記憶していますが、実際の五摂家は、最初に近衛と九条の二つが出来て、残り三つは二家からの分岐です。 ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」 @gendai_biz gendai.media/articles/-/126… #
返信先:@5Te6IA0NzW6JEYj近衛、九条、二条、一条、鷹司の5家は五摂家という公家の最高位にあるお家柄で、天皇に最も近い名家であったので、公爵に叙されていました。ちなみにこのうち、九条は貞明皇后の、一条は昭憲皇太后の御実家で、近衛、鷹司は戦後、降嫁した元内親王をお迎えしている。
これは素敵なおっさんたちのおしゃれなデート風景...ではなく、第一次近衛内閣当時の近衛文麿首相と風見章内閣書記官長(内閣官房長官)です。五摂家出身の近衛と、そんな近衛を「近衛くん」とよぶ記者上がりの風見章のコンビは、公家首相と野人翰長として近衛内閣人気の一端を担いました。 #近衛文麿 pic.twitter.com/Mc6A10kPD4
公家の家格のひとつ。最上位の五摂家に次ぎ、大臣家の上の序列に位置する。大臣・大将を兼ねて太政大臣になることのできる主に7家(三条・西園寺・徳大寺・久我・花山院・大炊御門・菊亭)を指す(室町時代には10家あった。 ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85…
話題になっている樋口先生の所説、興味深い説ではあるが、摂関家が武家「化」していたとしても建前としては公家であるし、何れにせよあの五家だけが300年以上摂関を家職としてきたわけで、五摂家でなく、公家でさえない秀吉が関白になったという事実は相当の衝撃を与えただろうと自分は思っています。
返信先:@katikatimoti他1人年表見ながら真剣に悩んじゃいました笑 可能性として扇≒甚壱>>>>甚爾のこの年齢差がわからない。物語の性質上、公家だとして(五摂家?)元服してすぐ子供作ってれば20歳くらいで第一子?そうなると25代は戦後生まれの可能性ありますね。