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三輪の神と倭迹迹日百襲姫の伝説や上賀茂神社の川を流れてきた矢で身ごもる話も、もとは肥前国風土記に似たような話があるし、そして海を越えてた地にも同じような、正体のわからない貴人と姫と通じる→じつは蛇だった、というのがあるようなので、文化は繋がっているなぁと感動する。
今日紹介する神社は ⛩#田村神社(香川県 高松市) 御祭神は田村大神 県内で最も格式が高い讃岐国一之宮神社 推しの市杵島姫命(弁財天)に会えた。 御祭神の一柱である倭迹迹日百襲姫命と その弟、吉備津彦命(別名:桃太郎)と 犬猿キジに並ぶマンモス格好ええ! 八咫烏も居たよ。御朱印は切り絵! #吉参拝 pic.twitter.com/BVRfsgjAB0
へえ! 倭迹迹日百襲姫は、吉備津彦の姉ってことで、瀬戸内海沿岸では、吉備津彦とともに神として祀られている、と。 水の神なわけね。 以下引用。 また延喜式神名帳の「讃岐国大内郡 水主神社」では主祭神として祀られているほか、 続く→ ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD…
うーん、孝元天皇って、孝霊天皇の皇子ではないのかも。むしろ、孝昭天皇の後裔、和邇氏同族とかかも。つまり、安寧天皇の後裔。って言うか、孝安天皇の皇子とか。 とすると、卑彌呼=倭迹迹日百襲姫も、母方で安寧天皇の玄孫。 ならば、孝元天皇は、ヤマトのどこかで生まれた、みたいな。
RP▶#倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと/やまとととびももそひめのみこと)と、桃太郎の #吉備津彦命 など複雑な背景があるみたいですね。倭迹迹日百襲姫命のWikipedia→ ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD…
68か所目、孝霊天皇片丘馬坂陵。奈良県王寺町。欠史八代のひとりで記紀の記述も信用に欠けるが、邪馬台国畿内説のキーパーソン倭迹迹日百襲姫命の父なのが気になる。 #みささぎマイラー pic.twitter.com/lXjpcmy7rS
返信先:@ShinHori1イギリスは知らんが、日本は邪馬台国の時代ならオッケーだろ。 邪馬台=大和で、実在の可能性がある最初の天皇とされ四道将軍を派遣して倭国を平定した崇神天皇を、託宣で支えたとされる倭迹迹日百襲姫が卑弥呼だ。 九州説()とか言ってたオッサンの時代とはもう違うんだよ。
鬼道を操る倭迹迹日百襲姫でした。彼女のおかげで、すべての難事は、解決しました。大王のごとくの一大権力を持ちました。祟神天皇は、彼女に頭が上がりませんでした。これが、魏の使節から見れば、女王に見えたのです。其の物的証拠としては、当時
彼女のことは、日本書紀の祟神天皇の紀に詳しく述べられています。 彼女は、独身でした。年配の女性で、未来の予知能力があり、鬼道にたけていました。以下、日本書紀から、紹介してみましょう。 第10代の祟神天皇の叔母、倭迹迹日百襲姫命は、聡明で、叡智にあふれ、よく未来のことを識別することが
卑弥呼は誰でしょうか?まさに、ぴったりの人がいます。 そのお人は、倭迹迹日百襲姫皇女(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)です。省略すると、「ヒミコ」です。第7代考霊天皇の長女です。彼女のことは、日本書紀の祟神天皇の紀に詳しく述べられています。 彼女は、独身でした
コフラー活動その4 【箸墓古墳】 宮内庁管理では孝霊天皇の皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓とされているが、卑弥呼の墓という通説が強い。 拝所に行くため畦道に入り、Uターンできずぬかるみにハマり危うくスタックしそうになった。 燃費は悪くなったが、ブロックタイヤして良かったと初めて思った(笑) pic.twitter.com/fgAGcLQWed
返信先:@KayochanM628箸墓古墳の倭迹迹日百襲姫命は、卑弥呼に同義という説も見えますが、近い方なのかもしれません。日の巫女と呼ばれる存在は、一意に定めるべきなのかすら分かりませんが、いずれにせよ、現代と違って、女性が前にくる社会であったことが伺えますね。
ほえ~🤩倭迹迹日百襲姫命が源型説とな!?百襲姫命と云えば吉備津彦命のお姉さま!!吉備津彦命と云えば桃太郎の源型説!! え・かぐや姫x桃太郎って繋がってるん!?更に色々ぶっとびすぎてシビれた 【ゆっくり解説】竹取物語は実際に起きた地球外文明との記録だった!? youtu.be/V5KlgQvimmY?si… @YouTube pic.twitter.com/tRMAjMvzoA
西暦237年:八十万の神を集めて占をされた。この時、天皇の叔母の倭迹迹日百襲姫命に神は乗り移った。「天皇よ、どうして国の収まらないことを憂いているのか?それよりも、私を敬い、祭られるならば、必ず、天下は平穏なものに、戻るであろう。「私は、倭国にいる神で、名前は大物主神という。」
で、実は、倭迹迹日百襲姫の母方の高祖父が安寧天皇。つまり、安寧か、その父の綏靖あたりが倭國王帥升か、あるいは同世代。 となると、倭國王帥升の朝貢の50年前の57年に後漢光武帝に朝貢した漢倭奴國王は、安寧の祖父の神武と同世代、あるいは綏靖の祖父、神武の父の世代になる。
まあ、妥当なのは、天皇系譜で最初の皇女、孝霊天皇の長女の倭迹迹日百襲姫になる。あの箸墓の被葬者とされる女性。卑彌呼の最初の魏への朝貢は景初二年(238年)。で、その131年前の107年に倭國王帥升が後漢に朝貢。卑彌呼が倭國王帥升の子孫なら、だいたい、卑彌呼は帥升の玄孫か来孫。
もちろん、倭迹迹日百襲姫は卑彌呼で、かつ神格化されたのが天照大神だし、日子刺肩別は男弟で、神格化したのが月読、さらに、吉備津彦が卑彌弓呼で、神格化したら、それがスサノヲ。 これで、記紀の系譜の人物と、魏志倭人伝の人物と、記紀神話の神々が対応する。 バッチシ。
まず、伊奘諾神宮は、イザナギを祀る神社だが、これは、イザナギの幽宮とされていて、イザナギは孝霊天皇を神格化したもの。孝霊天皇は、和知都美の娘二人を妻に娶り、姉ねハヘイロネから生まれたのが、倭迹迹日百襲姫(卑彌呼)、日子刺肩別(男弟)、吉備津彦(狗奴國王卑彌弓呼)と、倭迹迹若屋姫。
日本の中心とされるのは、地図の左下の伊奘諾神宮。赤い印が、狗奴國と関係する地名「久野々」。そのちょい南西が五斗長垣内遺跡で、2世紀の倭國亂のころ国内最大級の鉄器工房(鉄鍛治場)の遺跡。右端の御井の清水が、和知都美(安寧天皇の皇孫、卑彌呼=倭迹迹日百襲姫の祖父)の御井の宮伝承地。 pic.twitter.com/HpYvlh4ryF
そういえば箸墓古墳は「倭迹迹日百襲姫命大市墓」という ・女王壱与の「壱」は「いち」なので市と同じだから、箸墓古墳は、壱与の墓との仮説を以前に出した ・「市(いち)」は「巿(フツ)」と同じ字体で見分けが付かない ・市が1(イチ)であり2(フツ)2を表すなら、箸が2本で1膳なのと関係する
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の 「迹迹日百襲」(ととひももそ)の部分、これ地名/役職だと思われたのではないかなと想像 なので最後の「ひめのみこと」の部分が名前またはあざな込だと思われたんじゃないかなと
邪馬台は「ヤマト」、 卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみことの「ひめのみこ」、「ひめみこ」の部分だと思っているw
《邪馬台は「ヤマト」と読む》「邪馬台国はどこにあったのか論争」に歴史学者が画期的新説(文春オンライン) news.yahoo.co.jp/articles/26d26…
例えば、箸墓古墳をはじめとする纏向遺跡近傍の初期古墳に、吉備の特殊器台などが使われていることから、吉備の勢力のヤマト王権への参画のような話が騒がれているが、これは、古事記の闕史八代の系譜からすれば、まさに当然の話で、記紀における卑彌呼の候補として名前の上がる倭迹迹日百襲姫は、
箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫の墓で卑弥呼では?と言われているのに彼女が何処にいたか誰も疑問に思わない。そここそが讃岐であり、邪馬台国なのだ。 《邪馬台は「ヤマト」と読む》「邪馬台国はどこにあったのか論争」に歴史学者が画期的新説(文春オンライン) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/26d26…
写真を見返してたら今回はどうやら倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)で始まり倭迹迹日百襲姫命で終わる旅立ったらしい。 最初に行った岡山神社(1枚目)の祭神は倭迹迹日百襲姫命。最後に行った香川の田村神社(2枚目)にも倭迹迹日百襲姫命。 この前箸墓古墳(3,4枚目)いったからかな😳 pic.twitter.com/JaLDgOgBQ2
⑥天佐自能和氣神社 珍しい日子刺肩別尊(ヒコサシワケ)が祀られている。 姉に倭迹迹日百襲姫命、弟は大吉備津彦命。ヒコサシワケは実はちょっと掘ってみたい人物🥹⛩️ pic.twitter.com/iuin4yIdKJ
こういうのは要らない()と感じるがこれは自分を祀れば上手く国づくりができると幸魂奇魂が登場したシーンだが日本書紀では大国主自身の御霊またそれは大物主とも言われその大物主は神武天皇の妃の誕生や卑弥呼と有力視されてる倭迹迹日百襲姫の死に関係してたりと記紀には珍しくスピリチュアルな存在 pic.twitter.com/ojxgDErf3M
消されていた ここも徹底的に #谷耳太 #カラス神社 の北、#三角縁吾作三神五獣鏡 出土‼️ ●#百々(どうど)古墳 「百々」は 倭迹迹日百襲姫命 別名セヤダタラヒメ =ヤタガラスの娘から? facebook.com/share/mbbcaVwh…