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まぁ、あまりにも強度のある入力情報である場合は、最初に公理的思考をして強度を弱めてから、瞑想(名付け的思考)をした方がよい。 つまり、公理的思考により情報の強度を弱めて、心理的安全性が高まってから瞑想を行い、残った余分な力を瞑想で消しつつ、意識状態(長期記憶)を正していく。
返信先:@RebootS2杉山先生。 よく知らない方だったのですが、凄いご経歴なのですね。 「公理的方法に基づく算数・数学の学習指導」 kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-97844…
返信先:@JpnFlyingSquid他1人この算数の問題だと交換法則は公理か定理の差があると思います。 公理なら掛け順なんて気にしないでしょう。定理なら式変形として扱わないといけないと思います。 九九マスター後は交換法則は自明として扱ってもいいんじゃないかと思います。
公理的思考のベーシックインカム(心理的安全性)が必要だ。理由は、我々現代人が家屋内の磁気刺激の影響により心理的安全性が損なわれ対抗心(公理的思考の必要性)に惑わされすぎていると言えるから。これは磁気刺激の撤去もしくは磁気刺激の防御法を習得し、なおかつエルフの家に住めば達成される。
しかし、ある程度は公理(記述)的な考え方をしないと、我々は分かりあえないし理解しあえない。だから、ライフスタイルにあわせて日常に公理的思考を取り入れるべき人々もいるだろう。これとは対照的に、エルフの家のような交流のない生活だと公理的思考の必要性は無く、趣味として行うにとどまる。
俺の磁気刺激下でのフライト(ツイート)は、対抗的な公理的記述となっている時はフライトの高度を上げていっている状態であり、ツイートが乱れている時はフライト中の嵐に巻き込まれて舵をとられている状態、そして優しい口調でツイートしている時はフライトの高度を下げていき着陸体勢に入っている。
だいぶ長く飛んだにしては着地がうまくいきそうである。しかし、着地しても、またフライトに駆られることもある。私はパイロットとして早く着地し、心の安定(磁気刺激なし、生活の心配なし)できる夢の中の家へ帰宅したい、そう思っている。
俺は長年の磁気刺激下での生活と精神科診察受診及び社会参加を経験してきており、対抗(記述)の必要性にせまられる環境を経てきたと言える。そのため、(世間的には)ある程度の公理的思考ができるという評価があり、現在の心療内科的な物腰柔らかい主治医に診てもらっているという経緯はあると思う。
しかし、このような生活の中で診察のような不気味な体験を強制されると、単に「通院や薬が嫌だ」とか「生活指導に納得いかない」という気持ちの理由を伝える必要性にせまられることがある。たしかに薬が必要な人はいるが、生活保護というだけで薬や通院を強制される人もおり、対抗に迫られうる。
しかし、ある程度は公理(記述)的な考え方をしないと、我々は分かりあえないし理解しあえない。だから、ライフスタイルにあわせて日常に公理的思考を取り入れるべき人々もいるだろう。これとは対照的に、エルフの家のような交流のない生活だと公理的思考の必要性は無く、趣味として行うにとどまる。
手っ取り早い名付け的な意識状態の作り方は、良し悪しの判断の他にも、瞑想がある。例えば、ゲーム脳瞑想など。つまり、心の安定をはかる易しい方法として瞑想があり、例えばゲーム脳瞑想をすることで意識状態(長期記憶)が正され、良し悪しの判断で心の安定を作るのと同じ効果が得られるということ。
他にもいろいろある 13x21の計算手順とその正しさ 運動量mvのかけ算の意味 V=IR PV=nRT 自体を包含除で理解する アレイ図を数えるのがダメな理由 非構成的なかけ算 高階直観論理によるかけ算の構成 環や体の公理と小2のかけ算の関係
返信先:@crosslinkjapan「政治は善人がするもの」という新たな公理を生み出して性善説に逃げ込み、悪のリングで戦ってる人をリング外からボロクソに叩くという小物ぶりを発揮してる人です。
ちなみにユークリッドの言ってる公理で直線の存在は自明になっております
例えば補助線を引くとこう言う結論を得るみたいなんあるけど、補助線を引かずに同じ結論を得ようとして答えが食い違えば補助線を引くことが不可能という命題を背理法で示したことになるので基本的に数学は前提や仮定の上に成り立つです。 直線の存在は別に示す必要があるわけ
たのか。岩波全集『エチカ』の解説を見ても、「定義と公理をもとにもろもろの定理を次々と証明してゆくエウクレイデスの『原論』は、その厳密さゆえに当時の諸学の一つの理想であった」(345頁)とあるだけでした。「一つの理想」であったとして、彼にとって最善の策だったのだろうか。
「実のある議論というのは、万人が疑いなく事実だと認める仮定から出発しなくちゃいけない。そういう仮定を公理という。死者とは通信できない。死者も、できない。そういう状況が死なんだ。それ以上のことは、わからないわけだよ。なにしろ通信不可能なんだから」 知念
なぜ俺が福祉の中でも診察を嫌うかというと、それなりの主張(対抗力、記述力)を求められてしまうから。つまり、これは公理的な考え方の優先順位を上げるものであり、患者にとっては負担となる。しかも診察対抗(記述)用の難度のある公理的思考に迫られるため失敗も多い。これは不快感にもなる。
最高司祭アドミニストレータを始めとしたものを語り合う《公理教会》を試運転で設立します。 予定としてはまずグループDMから始まり、BAND運営、最終的にはSAOIFまで発展したいと思います。 入りたい方はリプライをお願いします
手を動かしてまなぶ集合と位相は§11整列集合・§12選択公理(内田本§9・10)。3章濃度と選択公理の話題(に限らないが)、ときどき何を説明しているのかがわからなくなる。数覚が無いということか。。。あとで復習。 論理学で学ぶ数学は2章理論編の復習、2.8-11量化関連。
n次元恋愛空間上の万有引力 F=GMm/r^2 r=distance(x,y) すなわちrはS^2×S^2上の2点の測地線の長さ。これを公理としたらn次元恋愛アインシュタイン方程式はどんな形になるだろうか?
ユークリッドにおける公理は、もっとも単純で初歩的な事実を明確な命題の形に表現したものであった。しかしヒルベルトにおける公理はまったく1つの仮説であり、その真実性は実在と符号するか否かではなく、その公理系が内部矛盾を含むか否かによって検証さるべきものとなった。
前から言ってるけど「それってあなたの感想ですよね」ってエビデンスレベルの理解がおかしい人に対して出てきた発言であって、個人の感想や体験談は大切な情報ですよ。論破云々ではなく公理と印象の一致/不一致をどう解釈するか、というのがまともに学がある人の考え方でしょう。