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このエピソードのことなんか……? > 治承2年の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へ。 izusan.com/rekisi/yoritom…
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桝形城 北条政子の妹を娶った小沢城主の稲毛重成。小沢城を息子重政に譲り、自身は桝形城を普請して移った。 写真は、麓にある生田長者穴横穴墓群の1つ。築城時には、すでにあったものと、思われる。 #川崎市多摩区 pic.twitter.com/KmAQAEMgLm
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返信先:@sakuratsukisima正妻が愛人の家を襲撃する歴史も。最古の例は1010年に、藤原道長の侍女が夫の愛人の屋敷を約30人の下女と共に襲撃した記述が『権記』に存在。後妻打ち(うわなりうち)と言うらしい。 北条政子もやりましたね(大河ドラマでも再現)。夫に向かわないのが不思議。
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返信先:@natsukashi__私は「子」の名前に憧れがあった。 私は政代で、北条政子からつけられたと聞くが、それなら政子でいいのでは?と思ったし、まつりごとは流石に女の子の名前じゃ固すぎるわー、雅子や晶子だったらまだ雅だったのになと、名付けてくれた母に不満に感じた。 昔ならお政。 江戸時代の魚屋さんみたい🐟