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日本共産党は大丈夫か? SNSで表に出てくる議員や党員は古在由重氏の哲学と比べると余りにも低劣で一般の支持者は党から逃げるだろう。党員がデモクラットではない。 党員の3,4割が赤旗日刊紙を読んでいないというし、読んでも時代がかった論理お粗末の檄文掲載で、嫌気を起こさせているだろう。 pic.twitter.com/ZDuxRTKvNl
日本共産党は大丈夫か? 今日のしんぶん赤旗。食添や遺伝子組換え原料、ゲノム編集食品の表示問題。大きく天笠啓祐氏を出す。彼は新型コロナ感染症よりもワクチンの方がむしろ危険という人。 「食と安全・安心を創る議員連盟」主催の院内集会。この議連はぼくからは科学から遠い。
古在由重さんの離党届と除籍に関する「1984年問題」。「日本共産党の百年」には、「1984年」がない。なぜ「総評・原水禁」は「脱落」したのか。古在さんが関係者の座談会で語った「活字化された間違い」は必ず検証されなければならない。 pic.twitter.com/8He8De6yop
古在由重さんは1990年3月6日、88歳で逝去。追悼集会は9月14日に九段会館で行われた。準備の中心にいた川上徹さんは、事務局をやめろと党に指示されたが拒否、除籍された。呼びかけ人のなかには、指示に従い去った人たちがいた。私は会場で哲学者の島田豊さんに会った。組織の指示と人間関係の問題。
古在由重さんの「絶望」は、運動の戦術が核兵器廃絶をめざす目的に優先されたことだった。それは関係者座談会(未公開速記録)の最後の発言からも読み取れる。「活字化されたものの間違い」。絶望したうえの社会的無言にも語るものがある。 pic.twitter.com/OHagkFangK
古在由重さんが共産党に離党届を出す前日。定例の「古在ゼミ」が開かれ、そこで「原水協の内部問題」に「絶望した」と語っている。そこにいた太田哲男さんがメモに書いていた。治安維持法で2回逮捕され、豪放磊落だった古在さんが「絶望」とは!核兵器廃絶運動のため大道で統一しなければならない。
古在由重さんが共産党に離党届を出す前日。定例の「古在ゼミ」が開かれ、そこで「原水協の内部問題」に「絶望した」と語っている。そこにいた太田哲男さんがメモに書いていた。治安維持法で2回逮捕され、豪放磊落だった古在さんが「絶望」とは!核兵器廃絶運動のため大道で統一しなければならない。 pic.twitter.com/Jox63K0Ump
古在由重さんに離党の意思があるとわかったから1984年7月に上田耕一郎さんが何度か説得に訪れた。古在さんの手帳で届け提出が7月23日だとわかる。私は新原昭治書記局員に「党員は中央委員会の眼となり耳にならなければならない」と言われたことがあった。忠実な党員に「密告」の意識はなかっただろう。
今年も平和行進がはじまった。 広島、長崎、第五福竜丸の悲劇を体験した日本で1955年からはじまった原水爆禁止運動。1963年に部分的核実験禁止条約への評価をめぐって分裂する。1977年に統一するとき古在由重さんたち知識人の果たした役割は大きかった。だが再び分裂。その背景は過去の問題ではない。 pic.twitter.com/T7NQPI7qCC
吉野源三郎さん、古在由重さん、中野好夫さんたちは、政党、労組、市民団体などとの「共同」の基礎に、他者の思想的立場の違いを超えて、畏敬の念、信頼関係あるいは友情を置いていた。目的が戦術に優先するという当たり前のことだ。しかし「当たり前」が現実には難しい。人間ゆえか。組織ゆえか。 pic.twitter.com/vdqeMPolWP
古在由重さんに離党の意思があるとわかったから1984年7月に上田耕一郎さんが何度か説得に訪れた。古在さんの手帳で届け提出が7月23日だとわかる。私は新原昭治書記局員に「党員は中央委員会の眼となり耳にならなければならない」と言われたことがあった。忠実な党員に「密告」の意識はなかっただろう。 pic.twitter.com/04ffqqNNB5
あの当時は宮本顕治議長が指示を出し、不破哲三委員長には事後報告、執行は金子満広書記局長だったと中林貞男さんが上田耕一郎さんから聞いていた。大衆団体の運営に強硬だった宮本共産党の方針に異論はあるが、それは政治的判断だった。それより古在由重さんの発言を密告した党員に強い嫌悪を覚える。
あの当時は宮本顕治議長が指示を出し、不破哲三委員長には事後報告、執行は金子満広書記局長だったと中林貞男さんが上田耕一郎さんから聞いていた。大衆団体の運営に強硬だった宮本共産党の方針に異論はあるが、それは政治的判断だった。それより古在由重さんの発言を密告した党員に強い嫌悪を覚える。 pic.twitter.com/2e7QVbagHA
哲学者の古在由重さん離党につながった反核運動の「1984年」問題。共産党は離党を認めず除籍、6年後に処分通知を公表。「あなたのこれまでの弁証法的唯物論はまがいもの」「猿の論理」という表現がある。悲しいのは私的な勉強会に参加した「忠実な党員」が「密告」していたことだ。公式文書にある。
哲学者の古在由重さん離党につながった反核運動の「1984年」問題。共産党は離党を認めず除籍、6年後に処分通知を公表。「あなたのこれまでの弁証法的唯物論はまがいもの」「猿の論理」という表現がある。悲しいのは私的な勉強会に参加した「忠実な党員」が「密告」していたことだ。公式文書にある。 pic.twitter.com/lrXViRa5Yz
「1984年問題」を検証。上田耕一郎発言を発見。反核問題の指導は宮本顕治議長で、現場対応は金子満広書記局長。不破哲三委員長は事後に報告を受けていた。古在由重さんが離党届を出しても除籍したのは宮本指導だっただろう。上田さんは古在さんに「党を長い目で見てほしい」と語った。それから40年だ。 pic.twitter.com/fJNvf1q9gA
原水協(大衆団体)への共産党の介入で反核運動が大混乱した「1984年問題」。古在由重さんは離党届けを出したが認められず除籍になった。「日本共産党の100年」でも総括されなかった。混乱を推進した人物が資料と証言で浮かび上がってきた。写真は除籍届けが夕方に届いたとメモした古在さんの手帳。 pic.twitter.com/UWE5I6sl1P
古在由重さんは「1984年問題」で同年7月23日に離党届提出。共産党は離党認めず10月17日に除籍。1990年3月6日に古在さん逝去。一般紙は訃報掲載、「赤旗」無視。批判殺到。5月23日に金子満広書記局長が不掲載理由を「赤旗」で説明、除籍公表。 「赤旗評論特集版」(90年7月9日号)が除籍通知書を公開。 pic.twitter.com/TrFozw1LcY
1984年に原水禁運動が大混乱に陥った根源は、組織のルールを破壊した者たちにあることは事実だ。私の疑問は2つ。① 上田耕一郎さんたちはなぜ認めてしまったのか。②「あなたの弁証法的唯物論はまがいもの」 「猿の論理」など、人間性を疑う古在由重「除籍通告書」は誰が起案し、手を入れたのは誰か。 pic.twitter.com/sLWUrRAVjE
戦前からの共産党員で『現代哲学』を著した古在由重さん。1984年に起きた原水禁事件(大衆団体への介入)で離党届を出したが、組織は認めず除籍にした。その通知書には「あなたの弁証法的唯物論はまがいもの」「敗北の論理」に屈した「猿の論理」とまである。これが闘いの先輩、仲間にたいする言葉か。 pic.twitter.com/CPV9JXRwVA
古在由重さんと真下信一さんの往復書簡が「赤旗」に3回連載されたのは、1983年1月から4月。古在さんは書いた。〈平和勢力の力は一九三〇年代とはまったく違う。ぼくらはあの時代、わずかに残された文化と思想の分野で微力な抵抗を試みたにすぎない。当時重要なのは理論水準よりも闘う身構えだった。〉 pic.twitter.com/ri9hz8wz1B
古在由重さん追悼集会について、事務局長だった川上徹さんが記録しています。「査問」などないという意見の方もいるので、念のため。不破哲三さんの著作からご紹介しておきます。4番目の画像。 pic.twitter.com/HauLMO7a7L
1990年9月14日夜、東京の九段会館で古在由重さんの追悼会が開かれ、1300人を超える参加があった。事務局長の川上徹さんは、2日前に共産党から呼び出された。集会が古在の誤りを免罪し、反共攻撃に利用されるから参加しないで欲しい、中央委員会の「決定」だという。川上さんはそれが理由で除籍された。
2023年がはじまりました。 ロシアのウクライナ侵略戦争が一日も早く敗北することを願い、その蛮行を利用して軍拡路線を加速させる岸田政権を徹底批判する年にしましょう。 1月19日に『希望の共産党』(あけび書房、共著)、秋に新書『X』(集英社)を出します。 「着眼大局 着手小局」(古在由重)。 pic.twitter.com/4vJL5aKe1N