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1885年頃、基隆は遠浅で、大型船の積荷は小型船に積み替える必要があった。台湾総督府技師高橋辰次郎の港湾浚渫と区画整理とで基隆は大型船が接岸出来き、鉄道とリンクする近代的港に成長した。蒋介石政権により地名は削除されたが、今でもGoogle earthで都市計画の全容を確認出来る。地図に残る仕事。 pic.twitter.com/1Ot9BXlQR9
【朗報】台湾総統府にドラァグクイーンが降臨wwwwwwww asian-oyaji.com/archives/24779… #台湾総督府 #ドラァグクイーン #民進党 pic.twitter.com/hQCLFGcDgh
「児玉総督後藤民政長官記念館」として1908年に開設され、台湾総督府博物館、台湾省立博物館と複雑な歴史を辿ってきた国立台湾博物館。 入るやいなや、あまりに荘厳なホールに圧倒される。ここがどのような場として建てられたか、近代日本にとってミュージアムとは何かをあまりに雄弁に物語る。 pic.twitter.com/JAArNTyBuI
台北の国立台湾博物館(旧・台湾総督府博物館)に展示されている「日本帝国人種模型」 台湾人や朝鮮人、アイヌや樺太の先住民であるオロッコ、ニブフなどの精巧な博多人形。大日本帝国では人類学者の監修のもとにこうした人形が多くつくられ、学校教育などに用いられてきたのだという。 pic.twitter.com/YcmXh1SJfq
そこからほんの少し行くと五島慶太のコレクションの数々が堪能できる五島美術館です。そういえば荏原台の古墳群が湮滅を免れたのは、田園調布に住んだ逓信官僚で、台湾総督府総務長官を務め、大正時代から戦後まで朝日新聞の指導的立場だった下村宏氏のナショナルトラスト活動によるものだそうですね。 pic.twitter.com/eNrMTWyfpC
祖父片山徹吉が二年間留学したドイツハノーバー大学校舎。ドイツ帝国主義建築。日本最初の台湾総督府庁舎設計コンペ。煉瓦造ルネッサンス東京駅舎様式の東大建築学科コンペ当選案に対し、祖父が留学した独ハノバー大学風帝国主義建築に変更された。当時は建築より土木主導時代。東京駅よりカッコいい。 pic.twitter.com/26qYvobQK9
台湾高尾市美濃区客家文物館。日本の修学旅行に選ばれる場所。何故美濃の名が付いているのだろうか。当地の水力発電事業に貢献した祖母兄台湾総督府土木技師高橋辰次郎出身地美濃大垣市に因む。現在大垣市と高尾市とは姉妹都市。客家(華僑)の郷でもあり、国際的に優秀な人材輩出。注目に値する。 pic.twitter.com/EXdVxEHbVX
台湾総督府総督。前記武官総督時代地図。写真は樺山資紀、桂太郎。水道事業バルトン、基隆港高橋辰次郎、殖産興業片山徹吉渡台は明石元二郎総督時代。能力主義人事で台湾人処遇。台湾人外務大臣。台湾人から深く感謝され現在も明石銅像有り。高橋出身地名の高雄美濃区現存。美濃市と高雄市と友好都市。 pic.twitter.com/ors5sZslIg
總統府(中華民国総統府)。台湾の元首が執務する官邸。元々は日本統治時代の台湾総督府。正面には何やらの骨組みが組まれており、何かのイベントなのかな?と思ったら…後で調べてみたところでは…やはりこれはどうやら就任式用のものだったらしい。 pic.twitter.com/bTAI5bwpgO
7年前の母の日は会社のお友達と台北旅行していて 台湾総督府🇹🇼見学したんだけど 蔡英文先生からカーネーションいただいて うわっ嬉しい😃ってしてたら 私のかわいいしょうちゃんからもライン来てて幸せでした🤗 (その日松山で荒木さんがサヨナラホームラン打ちました) pic.twitter.com/Ig6guBlawA
#児玉源太郎 は #山縣有朋 が神風連の戦況より先に[児玉少佐ハ無事ナリヤ]と打電した程の長州閥のホープ。4歳上の桂太郎,川上操六と共に陸軍創建を担い日清戦争では川上の作戦を補佐し戦後処理,三国干渉対応,台湾総督府設立を主導。内相を辞して満州へ乗込み日露戦争の英雄に pic.twitter.com/fFwlc3XTsV
樺山資紀,桂太郎,乃木希典の挫折を経て #台湾総督府 創設にあたった #児玉源太郎 が自ら4代総督に就任 #後藤新平 を起用して民政に注力し日露戦争を差配しつつ死の直前まで総督を兼務。清が[化外の民]と蔑んだ台湾は大日本帝国の一翼を担う近代国家へ発展し戦後は反共の盟友に pic.twitter.com/uAwfZZfavF
森山松之助が台湾で設計した主な建造物。(彼は東京駅の設計者である辰野金吾のもとで学んでます。) ●台湾総督府(現総統府) ●台南地方法院(現司法博物館) ●台南州庁(現国立台湾文学館) ●専売局 (現臺灣菸酒股份有限公司總公司) pic.twitter.com/InTn2Ymwd6
台北・北門近くの国立台湾博物館鉄道部園区、実車が展示されていたりという訳では無いものの、 ・建物そのものが日本統治時代の台湾総督府鉄道局→90年代まで台湾鉄道の本社的な施設 ・タブレットや信号機など、鉄道技術展示の濃度は良好 ・一部お土産もののクセが強い。「たいわんいしん」って何? pic.twitter.com/urPpQyzHio
中華民国(台湾)総統府庁舎。 台北市中正区重慶南路1段122号。 日本統治時代の1919年(大正8年)の3月31日、台湾総督府庁舎として完成。 長野宇平治の原案に基づき森山松之助が設計。 pic.twitter.com/RaUF9c7IU6
台湾総督府 屋内 遠傳電信 △〜✕ 台湾大哥大 △〜✕ 中華電信 ○ まあここでスマホ使わんけど🌵🌲🌳🌴🌱🌿☘️🍀🍃🍂🌵🌲🌳🌴🌱🌿☘️🍀🍃🍂 #ず〜みん電測 pic.twitter.com/Rsg3nROucF
台湾総督府 日本統治時代のレンガ造り、趣がよい りゃんねい夜市 小さいけど屋台がたくさん出ている。地元の人も多い お茶やさん 統治時代の建物。物をかなり大事に使うらしい pic.twitter.com/Be7cGRRFee
台湾で美術展の屋外広告看板に裸婦画をでかでかと掲載。批判殺到で黒塗りにされ、裸婦画が見られるQRコードが添えられる。 日治時代に台湾総督府から禁止された裸婦画を描き続けた抵抗の画家として民族歴史的な意義がある展示らしいけど、小学校の眼の前って立地が悪かった。 cna.com.tw/news/acul/2024… pic.twitter.com/Rxlxld1n1C
今日の1枚 新北投の温泉街をさらに上へ行くと、ひっそりとある普濟寺 日本時代に台湾総督府鉄道部の 職員たちが中心になり開き 信徒も鉄道関係者が多く 当時は、鉄真院と言われていたらしい 片倉佳史さん @katakura_nwo のご著書「台北・ 歴史建築探訪 」で拝見して数年、ようやく訪問できた pic.twitter.com/i4V9q89nKt
台湾総督府がベトナムから漆樹を運んだことで、台湾の漆芸は1921年に植栽から始まった。何度でも伝えたい。現在、漆芸作家数は人口比でいうと台湾は世界一となる。九州ほどの面積の島国に、20に迫る漆芸団体がある。「蓬莱塗」を生み出した「山中公」氏の業績を伝える、世界最高齢の漆芸作家もいる。 pic.twitter.com/L6XHY0YZUu
近海郵船株式会社 大和丸 近海郵船の神戸基隆定期航路線に就航していた大和丸の絵葉書。母港である神戸港や航路の明石海峡をはじめ、台湾総督府および台湾神社のものがあります。 pic.twitter.com/uDx5DxXfO8