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返信先:@tcv2catnap幕僚の作文を棒読みしちゃった節があるようですが、海軍の赤ペン先生こと?吉田善吾海相ばりに部下が持って来た書類を影も形もなくなる位に容赦なく朱筆を入れる性質だったら、あんなことやこんなことには成らず?
開戦前に南方侵攻構想を説明された元海相の吉田善吾海軍大将は、南方を占領しても日本までの海上輸送は確保できないのではないかと質したが、軍令部はWW1の英国の輸送船被害のデータを引っ張り出してお茶を濁したという話があった。輸送路が攻撃される危険性は開戦前に軍内で十分認識されていたのだ。
日本人の癖というか、南洋も中部太平洋、インド洋も島という島に部隊配置すんだよな。だから飛び石喰らった訳だが。吉田善吾は海相時代に帝国海軍は船団護衛を考慮して編制されてない。南方から物資は運べない。短期決戦用に作られてるから無理だと言ってる。
海軍親独・米英開戦派の隠蔽が海軍善玉論であり、半藤一利最大の仕事は第一委員会を世に知らしめた事。高木惣吉は半藤に「そんな組織は知らない」と答えたが、高木が第二委員会だから隠した。言わずと知れた石川信吾、高田利種、富岡定俊、藤井茂、神重徳ら。石川は吉田善吾海相を心労に追い込んだ説。
企画院物動計画では1年間戦争可能で吉田善吾海相が「1年しか戦えないのは暴虎」と。その後陸軍省戦備局国力判断は荒木貞夫の娘婿芝生英夫少佐が「武力南進不可」の結論を出す。岳父荒木の指示で「開戦可」としました。岡田菊三郎戦備課長「これでは戦えない」は有名
56は無言決済ですよね。海軍で東條タイプの上司は南雲忠一と吉田善吾ですかね。南雲は話がくどくて長い。吉田も真っ赤にしたと言いますね。三国同盟で心労で倒れたのわかる気がします。陸軍では永田鉄山は穏やかに説明。石原莞爾は部下の決裁書類を真っ赤にしないで書き換えてしまう宇宙人伝説w
返信先:@tcv2catnap昭和14年6月19日 吉田善吾GF長官⇒海軍大臣・軍令部総長 宛 連合艦隊 機密 第13号の24 「主力部隊 配属 航空母艦に関する意見の件 提出」 で 砲撃観測する二座観測機の艦上型を求め 航空本部は彗星を充てる想定。 何故か戦艦から射出し空母着艦の計画 長門型・伊勢型:6隻×各2機 榛名型:4隻×各3機
海軍と言えば吉田善吾が軍務局長時代に同じく軍務局長だった永田がひょっこり現れて一枚の電信(軍機)見せた。天津軍参謀次長武藤章から、永田ら中央が出した訓電に「中央の指示は百害あって一利無し」と。永田は吉田に「陸軍はこんなのばかりです。海軍は良いですね」と嘆いた(実松譲「吉田善吾」)。