- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
返信先:@Kimutosyanなるほど、堯時代の大羿と夏王朝時代の夷羿で分けてあるんですね 神話では四凶が中原の四方に飛ばされたのは帝舜の時代だったけども、それを実行したのは帝舜の時代まで地上にいた大羿だったのか… …あれ?じゃあ嫦娥への憎しみって完全にとばっちり(それ以上は純狐の尊厳のために言ってはいけない)
かい、カイ かい 廨 - 役所の出先機関のうち予算が独立している機関。漢字制限によりしばしば「かい」と書く。 粥(かゆ)。 櫂。 匙。 貝。 卵。 甲斐。 槐 - 古代中国夏王朝の帝。 関連項目
ウリ (瓜) は、 1. メロン (Cucumis melo L.) の東方に伝わった品種群のこと (狭義の用法) 2. ウリ科の果菜類の総称 (広義の用法) 以下、それぞれに節を立てて解説する。 Wikipedia · CC-BY-SA ライセンス について表示されるテキスト 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1500年以上前から土地も財産もすべて女性が相続 中国少数民族「モソ族」 「女性の国」から見えてくる家族のカタチ【SDGs】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/5caca… 日本人の先祖は夏王朝、6代少康。越人だから・・体に入れ墨をして漁をしていたそう・・
映像の世紀を見たり国際政治齧ったりするまで近現代史大の苦手で(あんま古くないしロマン感じない)、歴史と言えば夏王朝は存在したかとか、空白の4世紀に何があったとか、なぜ人類は農耕を始めたのかとかそういう話題ばっかり聞きかじってたので、一般的には近現代史の方が人気なのがしっくり来ない
もちろん考え方の一つとして東洋起源説も面白いとは思うんだけど、すでに出ている説が有力であるほど、数が多いほど繋がりに無理を感じるというか、どうしてそこをはめたんだろう、と思うようになってしまう。 夏王朝自体も近年になって実在したと言われるようになってるわけだし・・・
昔のタロットの本を読み直していたら、タロット東洋起源説はまず考えられないと出てきたんだよね。(夏王朝くらいまで遡る必要があって、その時点で五行説や陰陽論が盛んだったらしい) 興味あってタロット東洋起源説探究を読んでいたけど、手元にあった本はあまり有名じゃない本?なので資料としては
諏訪緑先生の玄奘西域記に出てきた多分?夏王朝?に関する書籍置いてありました! う、記憶が霞んでるからハッキリしないけど多分。 夏王朝文字の研究の本だった!思わぬ出会いが! pic.twitter.com/JUeNxguPA8
平安時代の入れ墨について調べていたら流れで縄文時代の黥面(鯨面)文身や魏志倭人伝や、卑弥呼と卑弥弓呼まで範囲が及んでしまい、今ツイッターに引き返してきたところ。夏王朝が出てきたところで引き返したら良かったと思うなど。
メモφ(._.)……あの、アレを調べて……ボディペインティングみたいな入れ墨…入れ墨…??…が、猗窩座と同じ意味かを………託しましたからね、私。ずっと気になっていたくせにずっと調べないまま…えっと、宿儺さんの、模様……
紀元前1600年頃、夏王朝の桀王が治世が乱れたので、湯王(成湯ともいう)が立って夏を滅ぼし、殷(当初は商と言った)王朝を建てた。 湯王は名臣 伊尹 いいん の補佐を受けて統治を行い、国は治まった。 pic.twitter.com/fzJjJQBMok
夏王朝は実在したのか? 従来、伝説上の王朝とされてきましたが、近年、実在が見直されています。 文字史料が発掘されたわけではありませんので、文献史料のいう夏王朝が実在したことを直接証明はできませんが、中国現代の歴史学界や考古学界では実在したものとみなされています。 pic.twitter.com/MNSd01yNJu
返信先:@shiromochi0628こんくるーとさん 多いですね。もう馴染んでますね。でもそういえば三顧の礼は、もともとは三国志の話ではなくて中国古代の夏王朝の頃のお話だったりするようです。 有能なものを引っ張り出すための伝統芸に近いようです。
返信先:@junji_trans黄河文明も夏王朝とされる二里頭時代がBC20世紀ごろでしょ。これ縄文後期ですよね。だから、縄文中期、後期もほとんどあまり何も取り入れるもの、なかった、みたいな感じです。BC15世紀ごろになると、支石墓とかが北部九州に入り込みます。殷代ですね。
ギリシャ神話はエーゲ文明の話は良く残っていて、一部黒海周辺に住んでた頃の記憶が残っているみたいだけど珍しい。 中国だと夏王朝以前の伝説は実話を元にしているとは思えない物が多い。立派な都城の遺跡は5300年前の双槐樹遺跡に遡るがどんな歴史が在ったのかは分からない。
>「史記」を典拠として考案した万和 五帝本紀の黄帝の条にある「万国和」(万国和す)が出典だろうか? 五帝とは史記では黄帝、帝顓頊、帝嚳、帝堯、帝舜の五人の帝王の時代で帝舜が夏禹に禅譲したことにより夏王朝が始まったとされているね。 首相側近、元号案を独自に提示 国書出典「佳桜」など3案
今朝、夢で(おそらくは)古代中国に行ってきた。 殷の前の夏王朝かもしれない。 二里頭遺跡も気になった。 黄河文明(父系)と対立した長江文明(母系)の三苗=ミャオ族は、当時の日本(神武天皇よりも前のウガヤフキアエズ王朝)と縁が深かったかも(直観)。 pic.twitter.com/RP04c32Amp
「夏は来ぬ」を品詞分解ツールにかけると、夏王朝が来ないことになった。けっこう一般的な助動詞、「ず」の連体形とはならぬのか? 日本語品詞分解ツール | konisimple tool tool.konisimple.net/text/hinshi_ke… pic.twitter.com/BnhgXKp1Ba
魏志倭人伝から邪馬台国の位置を割り出すの、率直に言って困難なんですよね。考古的にみれば、3世紀にヤマト王権が成立するのは明白なんですが、このふたつは別。レイヤーが違う。文献に見える夏王朝と二里頭文化が区別されるのと同じ……という話は前にnoteに書きましたね。
『中国の歴史1 神話から歴史へ 神話時代 夏王朝 (講談社学術文庫)』宮本 一夫 22頁。甲骨文字の発見によりその存在が確証されたのは殷王朝である。それをさらに遡るのが夏王朝であり、『史記』のなかに「夏本紀」として記述されている。夏王朝に関しては、考古 #読書メーター bookmeter.com/reviews/120159…
当時の懐事情 ・諸年金(一日510円) 昭和政府より市民年金。 ・給料(一日1984円) 住んでいた東京都より手当て ・題目料(一日5兆円) 夏王朝(中国)より。(実際はもらえず未来受け取りを指定。)
夏王朝は実在したのか? 従来、伝説上の王朝とされてきましたが、近年、実在が見直されています。 文字史料が発掘されたわけではありませんので、文献史料のいう夏王朝が実在したことを直接証明はできませんが、中国現代の歴史学界や考古学界では実在したものとみなされています。 pic.twitter.com/zod7nYQaoU