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貴方どうしてそんなに必死なの? 貴方がどんな本を読んでそう思い込んでしまったかは知らないが、事実は違います。 多喜二虐殺は国家権力 特高によるものです! 小林多喜二は未来永劫、反戦平和と国民主権を貫いた尊い人として数多人々の心の中で生き続けています。 それを変えることは出来ない‼️
返信先:@rubinuna事実を知って欲しいからです。 小林多喜二の拷問死はウソです 小林多喜二の遺体を見た神道弁護士が告訴を依頼され「証拠薄弱でそのままなった」と記録があります。 告訴できる証拠がないのに拷問死はありません。もちろん断定も出来ません。あなたの拷問死の根拠は何ですか?
つまり新事実は遺族から告訴を依頼された弁護士の「証拠薄弱でそのままになった」の記録が見つかったです。 しかし見るも無残ぼろぼろな多喜二と新事実の証拠薄弱で告訴できないは矛盾します。 そこで解剖が合わせてあります。 しかしウソがなければ犯罪性は明確なので解剖と関係なく告訴はできます
窪田弁護士から告訴の依頼を転嘱された弁護士は「証拠薄弱でそのままになった」です。解剖などと言ってません。 解剖妨害は前から多喜二側が推測で言ってることで新しい事実と一緒に合わせてあり読者は 解剖を妨害されたから証拠薄弱と誤解します 他にも朝日でこの記事はありますから読んで下さい
解剖の妨害は多喜二側の推測で証拠なく言ってるだけです。 「解剖できなかったから告訴できない」はウソです。 供述にウソがなければ顔面ボコボコ首には絞め殺された跡ですから犯罪性は明確なので解剖と関係なく告訴できます。ウソだとできません。 続く
返信先:@Fq3APUX5aB5hos5他1人ただこの記事は普通はあなたのように証拠薄弱の理由が解剖できなかったからと誤解します しかしこの記事の事実は証拠薄弱で告訴できなかったことだけです。 そもそも多喜二の場合解剖と告訴は関係ありません 供述にウソがなければ犯罪性は明確なので解剖に関係なく告訴できます。ウソだとできません
返信先:@Fq3APUX5aB5hos5他1人ちゃんと記事を読んで下さいね。 遺族の告訴を転嘱された神道弁護士は「証拠薄弱でそのままになった」です。その記録が同志社大学に保存されていたです。 今回見つかった事実は遺族から告訴の依頼は 「証拠薄弱でそのままになった」です 解剖の話しは前から多喜二側が想像で言ってることです
返信先:@Z82493900同現場の写真が戦後、赤旗岡山にて報告されている。 坂本多喜二写真。南京に7月に入った衛生隊の伍長が帰国後に自ら現像した写真を写真帖の形で残していた。 遺族と管理者の意向により現在は公開はされていない。 これを信じれば夏に撮影となる。今回の発見により場所については疑問が生じるわけだが
あの写真はいつ、どこで、誰が撮ったか分からない出所不明のもので証拠になりません。墨を塗っても撮れます。信憑性の担保がないのです。 顔の写ってない写真が多喜二と証明できないでしょ。 ただあなたは悪くない あなたのような善良な市民を騙すほうが悪い #小林多喜二の拷問死は大ウソ
返信先:@rubinuna他2人物を知らないネトウヨとはいえ、呆れるばかりです。 写真は私も見ています。 見るに堪えない悲惨かつ酷いもので、今でも「特高警察」と聞くと、反射的に思い出してしまうほどです。
返信先:@KyokoN35886215他2人あの写真はいつ、どこで、誰が撮ったか分からない出所不明のもので証拠になりません。 墨を塗っても撮れます 信憑性の担保がないのです 顔の写ってない写真が多喜二と証明できないでしょ ただあなたは悪くない あんな写真であなたのような善良な市民を騙すほうが悪い #小林多喜二の拷問死は大ウソ
返信先:@tamayurararara小林多喜二の死に関して虐殺があったか否かです 多喜二側の遺体引き取りを依頼された弁護士は死に関して遺族から告訴を依頼され「証拠薄弱でそのままなった」と記録があります。 つまり犯罪としての証拠は薄弱で告訴できないということです。 証拠がないのに拷問死は言えないと言うのが私の主張です
小林多喜二の遺体引き取りを依頼された神道弁護士が告訴を依頼され「証拠薄弱でそのままなった」と記録が同志社大学に保存されているのを荻野富士夫小樽商科大学名誉教授が見つけている。遺体引き取りから見ている多喜二側弁護士が証拠薄弱で告訴できないのに拷問死があるわけないじゃないですか?
返信先:@moco08156587他1人mocoさん ありがとうございます。 本当に悪質ですよね!最近急増しているようですが、自民党改憲とアメリカとの同盟強化が背景にあると思います。 今までは煩いのはサクッとブロックしてきましたが、放置も良くないと思って反論しています。
〈問い〉 小林多喜二を虐殺した特高たちはどんな裁きをうけたのですか? 〈答え〉多喜二虐殺時の主犯格は警視庁特高部長・安倍源基、その配下で、虐殺に直接手を下したのが毛利基特高課長、中川成夫、山県為三両警部らです。 特高はいったんは公職追放されますが、戦後は大手をふってほとんどが復活 pic.twitter.com/rstcrFUNr8
返信先:@ckYlUMaDrJ1B61G他1人多喜二達多くの革命家、日本を憂う多くの良心的な人々が殺されたり投獄されたりは歴史的事実。戦後80年にもなった今、そんな妄言を発信する意図は何なんですか?治安維持法国賠同盟の人々の前でそんな事が言えますか?因みに、私が言ってる事は調べたら直ぐわかる事。どうせ暇過ぎなんでしょうから😁
小林多喜二の死は検事が検視し医師が診察して心臓麻痺の死亡診断書を書いた。警察は遺族に説明して引き渡した。その時特高室の前には多喜二側弁護士2名とプロレタリア仲間がいた。遺族と仲間は翌々日に火葬し告訴はしていない #小林多喜二の拷問死は大ウソ
返信先:@danntyou01事実しか書いてません。 小林多喜二の死は検事が検視して医師が診察して心臓麻痺の死亡診断書を書いた。警察は遺族に説明して引き渡した。その時特高室の前には多喜二側弁護士が2名プロレタリア仲間がいた。遺族と仲間は翌々日に火葬し告訴はしていない。 #小林多喜二の拷問死は大ウソ
あなたの証拠写真は いつ、どこで、誰が撮ったか分からないものです。いつこの世に現れたか分からない写真なのです 墨を塗って撮れます 顔の写ってない写真が多喜二と証明できません ですから真実性の担保がありません。証拠にならないのです。 いつ、どこで、誰が撮ったか確認しましたか?
証拠写真もあります。 tezuka-jcp.com/?p=10366 小林多喜二は1933年2月20日、治安維持法容疑で築地署特高警察に逮捕され、拷問の末、午後7時45分に亡くなりました。 jcp.or.jp/akahata/aik14/… 心臓麻痺であっても虐殺拷問の末の死であることは間違いない事実です。虚偽投稿は削除すべきです。
その写真はいつ、どこで、誰が撮ったか分からないものです。 世にいつ出てきたかも分かりません。墨を塗っても撮れます。ですから証拠にならないのです。 顔が写ってない写真が多喜二と証明できません。 いつ、どこで、誰が撮ったか確認しましたか?
返信先:@ckYlUMaDrJ1B61G他1人多喜二の大腿部を中心に、皮下出血で真っ黒になった写真がある。多喜二は検挙されたその日のうちに激しい暴力、拷問で殺された。これは歴史的事実。当時の検事は国家権力の一部であり、治安維持法の下では医師の診断書もどうにでも出来る。貴方は多喜二を殺した特高の身内か?口を慎め!恥を知れ!
返信先:@DOvAgzTt98wVzbX他1人その写真はいつ、どこで、誰が撮ったか分からないものです。いつ、この世に現れかも分からない。 ですから証拠になりません。 墨を塗っても撮れます。 顔の写ってない写真が多喜二と証明できません。 真実性の担保ない写真は証拠になりません。あなたはいつ、どこで、誰が撮ったか確認しましたか?
返信先:@ayukero52他1人小林多喜二は検事が検視して医師が診察して心臓麻痺の死亡診断書を書いた。警察は遺族に説明して引き渡した。その時特高室の前には多喜二側弁護士2名とプロレタリア仲間がいた。遺族と仲間は翌々日に火葬し告訴はしていない。 これが事実 #小林多喜二の拷問死は大ウソ
#小林多喜二の拷問死は大ウソ 検事が検視し医師が診察し心臓麻痺の死亡診断書を書いた。警察は遺族に説明して引き渡した。その時特高室の前には多喜二側弁護士2名とプロレタリア仲間がいた。遺族と仲間は翌々日に火葬し告訴はしていない
返信先:@zhtqWkQB9N70828他1人事実です。 多喜二の死は検事が検視し医師が診察して心臓麻痺の死亡診断書を書いた。警察は遺族に説明して引き渡した。その時特高室の前には多喜二側弁護士2名とプロレタリア仲間がいた。遺族と仲間は翌々日に火葬し告訴はしていない。 #小林多喜二の拷問死は大ウソ
では昨夜読了した三浦綾子作「母」の読後感から。蟹工船等貧困層に苦しむ人と富裕層ての格差批判を描き大正時代特高警察に囚われ拷問死した小説家小林多喜二の母の思い出語り。貧困でも健康な母親が明るく働く姿を見て育つのは気の毒でも羨ましい。母セキは多喜二の帰りを西瓜を冷やして毎日待つが戻っ
返信先:@ckYlUMaDrJ1B61G他1人多喜二の大腿部を中心に、皮下出血で真っ黒になった写真がある。多喜二は検挙されたその日のうちに激しい暴力、拷問で殺された。これは歴史的事実。当時の検事は国家権力の一部であり、治安維持法の下では医師の診断書もどうにでも出来る。貴方は多喜二を殺した特高の身内か?口を慎め!恥を知れ!
返信先:@nanodaia4他1人手塚さんの情報源は江口渙さんです。 そう遺族は告訴しょうとした しかし多喜二の遺体引き取りと告訴を依頼された自由法曹団の神道寛次弁護士の「証拠薄弱でそのままになった」の記録があると荻野教授は書いている つまり多喜二の死に関わった多喜二側弁護士が証拠薄弱で告訴できなかったと言うこと。
返信先:@ckYlUMaDrJ1B61G他1人手塚英考「小林多喜二」(詳細な記録がある) 小樽商科大(多喜二の母校)の 倉田稔氏「多喜二の死後」(商学討求) そして荻野富士夫教授によって遺族が告訴しようとしていた事実もあります
返信先:@ckYlUMaDrJ1B61G他1人どこ情報だよ 多喜二の遺体は拷問によって腫れあがっていた 間違いない拷問殺人だ 死亡診断書なんて大嘘 どこまで戦前の日帝及び特高を賛美したいのかな?
小林多喜二の拷問死はウソ 事実は検事が検視し医師が診察して心臓麻痺の死亡診断書を書いた。警察は遺族に説明して引き渡した。その時特高室の前に多喜二側弁護士2名とプロレタリア仲間がいた。 遺族と仲間はその死亡診断書で翌々日に火葬し告訴はしていない。
小林多喜二の拷問死はウソ 事実は検事が検視し医師が診察して心臓麻痺の死亡診断書を書いた。警察は遺族に説明して引き渡した。その時多喜二側弁護士2名とプロレタリア仲間が特高室の前にいた。遺族と仲間は翌々日に火葬し告訴はしていない
共産党員だけではありませんが、伊藤千代子や小林多喜二、あと無名な方たちも、治安維持法のなの下に思想転向を強要され、特高警察に弾圧され、殺されました。 しかし、その思想は今も受け継がれています。どんなに力で弾圧しても、心を変える事はできません。昔も今も。日本共産党の歴史だったはず。
返信先:@Booskachan_Ver2小林多喜二の拷問死はウソ 検事が検視して医師が診察して心臓麻痺の死亡診断書を書き警察は遺族に説明して引き渡した。 その時多喜二側弁護士2名とプロレタリア仲間が特高室の前にいた。 遺族と仲間は翌々日に火葬し告訴はしていない。