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5/5 ★和布刈神社 →満珠干珠の伝承が興味深い神社さん。 ★赤間神宮 →安徳天皇を祀り平家一門の御霊も供養される元寺院の神社。 ★壇ノ浦古戦場(檀ノ浦砲台跡) →平家滅亡の地と長州の砲台跡が重なります。 わずか8歳の安徳天皇の助命は何とか叶わなかったのか…やはり辛い気持ちになります。 pic.twitter.com/kxotk4yXqo
対馬市厳原町豆酘内院|奈伊良神社 浅藻浦、美しすぎて写真が撮れなかった。踏み込めない美しさと道の細さ!! 内院のあたりは道に椅子を出し2~3人で語らっているご老人が多い🪑🪑🪑 おばあさんに奈伊良神社について伺ったら「厳原八幡宮の姉、あと安徳天皇。このあたりはお墓が多いから」と。 pic.twitter.com/YEYLSGALin
対馬市厳原町豆酘内院|奈伊良神社 【祭神】彦火々出見尊 豊玉姫 籠守命 宝篋印塔は、良質の花崗岩製。銘文や関連史料を欠くため建塔の事由は不明。彫出技術の高さや各部分の特徴から、関西形式で製作時期は南北朝~室町時代初期(14世紀後半頃)と考えられるという。
「安徳天皇漂海記」読了。記憶に違わぬ魔術的傑作でした。当然の成り行きで「高岡親王航海記」とカルヴィーノの「見えない都市」を読み返したいのだけれど、ブックオフで持っていなかった赤江瀑の「霧ホテル」を買ったのでまずはこちらから読みます。 pic.twitter.com/CSkcw3TolX
剣山5/2② 剣山に登頂! どこが山頂なのか迷うほどなだらか。 画像1枚目が正解。 山頂は植生保護のため 木道以外は歩行禁止になっている。 画像3枚目は山頂のバイオトイレ。 中はとてもキレイ。 源平の合戦に敗れ この地に逃げた安徳天皇の御剣が 山頂に納められた伝説から『剣山』と呼ぶとか。 pic.twitter.com/Wi3JNTorS3
時宗長楽寺様(京都市東山区)。延暦24年(805)桓武天皇の勅命により、伝教大師を開基として創建されたといわれています。当初、天台宗でしたが、室町初期、国阿上人が時宗に改めました。御本尊は准胝観音。文治元年(1185)安徳天皇の母、平清盛の娘、建礼門院が平家滅亡後、落飾した寺院。5/1のみに… pic.twitter.com/VO2qliW8SS
今日の朗読は平家物語。高倉宮と源三位頼政の謀反を鎮圧した清盛は、旧勢力と決別。自ら立てた安徳天皇を奉じて福原へ遷都し、独裁政権を立てる。だが新都建設はつまづきを見せる。 今日の朗読 尾崎士郎訳 現代語訳平家物語 応援いっぱいありがとう #REALITY #パイシーズ #たまに無謀な長編朗読 pic.twitter.com/ub15holA8r
いいねリポストありがとうございます! 「安徳天皇神徳記」は赤間(あかま)神宮内に展示されてます(画像は現地で撮影した写真) 伝承では子供が入水させられるので悲しいですが、このイラストはご神祭としての安徳天皇なので、海から昇天したイメージです。 pic.twitter.com/9u9qsPMwgn
@yuriehiyoko 葉室時長 源平盛衰記 三十七~四十軍記物語平家物語の異本のひとつ鎌倉時代中期から南北朝期にかけて成立だとされる二条院の応保年間1161年 - 1162年から安徳天皇の寿永年間(1182年 - 1183年)までの20年余りの源氏、平家の盛衰興亡を百数十項目にわたって詳しく叙述→ ®️摂理然文蔵書 pic.twitter.com/94MwqCz8bJ
八栗山南麓の六萬寺陣所。 六萬寺は聖武天皇の御代に建立された古刹で、源平合戦では安徳天皇の行在所となり、長宗我部元親の八栗城攻めに際して陣が布かれたそうです。 立派な境内ですが、陣所なので遺構らしきものは見当たりません。門前は梅園となっていて、見ごろを前にお手入れ中でした。 pic.twitter.com/BhzmSQFmqy
昨日、京都に帰る前に下関に行きました。赤間神宮です。壇ノ浦の戦いに散った幼い安徳天皇と平家一門を祀っています。竜宮城の形になっているのは安徳が入水する時に祖母にあたる二位尼が海の中にも都がございますと言ったことにちなんでいます。平家物語で有名な耳なし芳一堂がありました #赤間神宮 pic.twitter.com/yy0sq7US0m
赤間神宮から道を挟んで海に面した場所に建つ、安徳天皇を抱いて入水する二位尼(平時子)の像も怖すぎる。 御朱印帳は印伝風の水天門と波と菊と青海波。御朱印にも十六菊。 今日の下関の海は曇天の下に三角の波が立ち荒れていた。 pic.twitter.com/W55JmemI9Q
大寧寺峠はそこそこ狭隘であるが、山陰道俵山北ICより先は整備されている。 木屋川と並行するようになり、下関市に入ると豊田湖畔をなぞるように走る。沿線には安徳天皇西市御陵墓参考地が所在する。 pic.twitter.com/cTiKCxqgYR
⛩️続いては赤間神宮にお参り。壇ノ浦の戦いの際に三種の神器とともにわずか数え八歳で入水の最期を遂げた安徳天皇が祀られている。 竜宮城の様な様式なのは彼の住まう波の下の都なのだろうか。豪奢さとは裏腹に今まででいちばん悲しみと恐ろしさを感じたお参りとなった。 (理由は以下に続く) pic.twitter.com/hpGOzyQTj5
お題:こども 山口県下関市にある赤間神宮の御祭神である安徳天皇を描きました 源平合戦最後の戦い「壇ノ浦の戦い」で平氏が敗れ、わずか8歳で、三種の神器と共に入水したそうです。 女性説もあり性別不明です。 +30分 @sinwa1d #神話版深夜の真剣お絵かき60分勝負 pic.twitter.com/0XJwsE8R80
「今ぞ知る みもすそ川の御ながれ 波の下にも都ありとは」(二位尼/平時子) 6歳(数え8歳)という幼さで、滅びゆく平氏と運命を共にした安徳天皇。 波の下にも都があると言い聞かせられ、この場所で海の底に小さな身を沈められたとか… #壇ノ浦古戦場 pic.twitter.com/Njn82C0Ww7
久々に日本橋 #水天宮 へ⛩️ 福岡の久留米が発祥の水天宮。 久留米9代藩主が分祀したのが東京での始まりだそうです(初代藩主は有馬豊氏)。 ご祭神は ・天御中主大神 ・安徳天皇 ・建礼門院(平徳子) ・二位の尼(平時子) はからずも本日は例大祭の日でした。 端午の節句なので、手水舎には花菖蒲が✨ pic.twitter.com/AMDhXZK5oO
今日の朗読は平家物語。長男重盛が世を去り諌める者がいなくなると、清盛の無法が罷り通る。公卿43人追放し、高倉天皇を退位させ孫の安徳天皇を即位させる。だが反平家の動きも始まる。 今日の朗読 尾崎士郎訳 現代語訳平家物語 応援いっぱいありがとう #REALITY #パイシーズ #たまに無謀な長編朗読 pic.twitter.com/kGTQ9msmNz
先日、龍神様に御縁日はあるかという話がでて。 5日・15日・25日という説があるのだけど、 これは水天宮の御縁日が毎月5日なのに由来するけど、 もともとは安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠だから、 安徳天皇がヤマタノオロチの生まれ変わりで、平家一門が龍になっていても、ちょっと違うと。 pic.twitter.com/uRfuTfQMpi
五月19社目、令和六年120社目は金比羅神社。御祭神は大物主命、佐伯鞍職。 五月20社目、令和六年121社目は三翁神社。御祭神は佐伯鞍職、安徳天皇、所翁、二位尼、岩木翁、大綿津見命。明治以前は山王社と言われた。 pic.twitter.com/RRHZ6OofO5
昨日の午前、小倉から下関に移動して赤間神宮に。 ここは壇ノ浦合戦で敗れ、幼くして入水した安徳天皇を祀る神社。 そしてこの裏手には、この合戦で敗れた平家一門のお墓があり。(写真は撮らなかったけど) 手を合わせて来ました🙏🏿 #赤間神宮 #下関 #壇ノ浦 pic.twitter.com/ebwlRIH8we
梅林寺から徒歩10分程で水天宮。全国の水天宮の総本宮で、壇ノ浦の戦いで入水するも生き残った尼が安徳天皇と平家一門を祀ったのが始まり。東京日本橋蛎殻町の水天宮は久留米藩有馬家が江戸屋敷に勧請したもの。①本殿②唐門③本殿側から唐門越しに境内の神橋を見る④神橋から本殿を見る。#筑後遠征記 pic.twitter.com/WpUeidgfiR
夜明け前からホテルを出て徒歩10分の梅林寺へ。寺社、特に藩主一族の広大な菩提寺を有事の出城転用を見越した構造にするのはありがちですが正にそれ。寺域前面には幅広の池(空堀)を配し、南東には物見に即転用可能な鐘楼。歴代久留米藩主位牌堂を頂きにした三段重ねの連郭式平山城の風情。#筑後遠征記
安徳天皇を火葬してくれた場所… おれは違う宗教やけど、供養のために…ありがとうございますって思った 100円は安徳天皇にさしあげます 写真撮ってよかったんかな… たまたまかな…06から始まるQRコード出たけど 資料館から…来た道もどった… pic.twitter.com/UzASR6VoQ9
歩いて県境を越え、壇ノ浦から赤間神宮へ。 宝物殿の安徳天皇像は気持ちが流れ込んでくるようで、長く見ている事ができなかった。 美しい神社だが軽い気持ちで観光してはいけない場所なのかも知れない。 どんな事情でも、もうこれ以上幼い子が犠牲になる事がありませんように。 pic.twitter.com/5o56dO8XFd
安徳天皇のご遺体が引き上げられた際、ひとまず安置されたという御旅所にはじめて来ました。 年に一度の神事がある日。 また蝶々がヒラヒラと🦋 KANさん?って声が出てしまいましたけど、季節柄なのかな… pic.twitter.com/FY4OFqguhN
下関の先帝祭にて ・水底に亡びし平家華やかに偲べば高し壇ノ浦波 ※昨日初めて見物。先帝とは安徳天皇です。赤間神宮、源平船合戦、見応えありました! (他第186首)#短歌 #先帝祭 pic.twitter.com/aA8qpkXMjA
天皇陛下だけの色があるのか キャラデザいじってみたけど安徳天皇の着物の色、その色にしようかなあ。 ちょうど今安徳天皇を偲ぶ祭り「先帝祭」が行われてますね pic.twitter.com/RfXqhUimZX
壇ノ浦の戦いで平家は滅び、安徳天皇は入水し亡くなりました。御年七歳で上臈参拝の稚児ほどの年だったそうです。平家の女官が安徳天皇を偲び参拝したことが、始まりと伝わります。 pic.twitter.com/V4PCNnZgLF
目の前すぎて今まで行ったことなかった先帝祭にはじめていってみた。 安徳天皇がせがれと同じ8歳で入水しただなんて胸がぎゅっとなる。 5人の太夫による参拝。 切ない、美しい 行ってよかったなー! pic.twitter.com/dZtURvJyKt
本年の #赤間神宮 #先帝祭 「安徳天皇八百三十九年 本殿祭」は 晴天のもと、誠に賑々しく斎行されました。 #しものせき海峡まつり #海峡まつり #下関 #ゴールデンウィーク #GW pic.twitter.com/iYVvtjuwNp
今日は下関市のお祭り先帝祭に行って来ました。 先帝祭とは1185年壇ノ浦の戦いで平家が敗れ関門海峡へ入水した安徳天皇(8歳)を慰霊する祭りです。 赤間神宮に祀られてます。 源平船合戦とは最期の戦いで平家が敗れる戦いです。 赤間神宮の朱色は竜宮城をイメージして建てられました。 pic.twitter.com/dqEroL5aLO
旧暦三月二十四日の今日が、壇の浦の戦いだったのね。 花魁道中も武者行列も安徳天皇や平家を悼んでなんだなあ。 安徳天皇に扮した二人の子が海へ花束を投ずるところは、切なかったけど、よかった。(下関海峡祭) pic.twitter.com/TSB9YGe0pp
帰省時散歩 今日は先帝祭(源平合戦で海に沈んだ安徳天皇のお祭り)。赤間神〜唐戸〜下関駅付近を中心に数々のイベントが開催され、上臈道中、上臈参拝(天橋渡り)、源平船合戦、武者行列などの他、特設ステージでも1日中源平弓合戦や源平ドラマなどのイベントが催される。唐戸市場は既に賑わっていた。 pic.twitter.com/KvEglanfYR