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五節の舞のとき、男性貴族の束帯が身分で色分けされていることがよく分かる映像がありました。四位以上が黒、五位は緋(赤)。 花山天皇時代に式部丞・六位蔵人となって以降無官の為時は、再び官位を得られたとしてもまさか赤い束帯が入用になろうとは思ってもみなかったでしょうね。 #光る君へ pic.twitter.com/KuTXJybd9H
返信先:@bushidoh_sbそして師実忠実の時代は彼らはわずか10歳で正五位下の官位にたって、15-17歳の頃すでに右近衛・左近衛大将に昇進し、このような猛スピード昇進は、樋口氏によれば摂関家限りの特権を示し、天皇家と一本化を摘指されている。ただし、早々若き頃荷重な仕事をやりました…
返信先:@sakanoue078漫画の中では一部改変されちゃってますけど、実際は 「成り上がりの田舎者の武士に気軽に官位を与えてはならない」 の文章があるので、足利尊氏はおろか新田義貞や楠木正成などにも官位を与えるのは否定しているんですけどね💦 政治は公家中心に回さなければならないって考えていたみたいですよ🤔
返信先:@quZJ7Uwjix4020o藤原兼家さまの最も望まれました事は”お家の繁栄と存続です” ドラマに於いても道長さま曰く「父上は何を大事とされるのか…」との問いに『家じゃ!』と叫んでおりました。 帝でもなくまして己でもなく大切なのは”藤原北家”なのです。 伊周さまはお家ではなく”官位”と自身のプライドです。
いよいよ田舎すぎてペンギンまで出没したかと思ったら、どうやらゴイサギという名だそうで。 なんでも醍醐天皇から五位の官位を与えられた高貴なお鳥様とのこと。 ありがたや〜ありがたや〜 #ゴイサギ #ペンギン #ペンギン詐欺 pic.twitter.com/bIbWaWCZry
返信先:@kitarara3叙位という行為は位階を与えることでもあるので、そういう意味ではまったくの庶民である平民に与えられることもあったかもしれません。 叙位叙勲という形で。 位階は官位とセットですので、基本的に庶民には関係のないもの、という理解をしていますがどうでしょうか。 正確な理解ではないですけど。
『光る君へ』第19回。道長が内覧の臣になっても、まひろの父親の官位を上げてやらないなと思っていたら、まひろが一条天皇に評価されたタイミングで昇格させた。なるほど、一条天皇周辺から昇格理由を聴かれてもまひろを育てた親だと説明できるからなのだ。このへんもうまい脚本。
『光る君へ』第19回。道長が内覧の臣になっても、まひろの父親の官位を上げてやらないなと思っていたら、まひろが一条天皇に評価されたタイミングで昇格させた。なるほど、一条天皇周辺から疑問が出てもまひろを育てた親だと説明できるからなのだ。このへんもうまい脚本。
尚、後世… 南北朝時代に北畠顕家が新田義貞や楠木正成らが従五位下以上の官位を後醍醐天皇から賜ったのに、「無位無官の者が禁中を闊歩するなど…」と愚痴るほどだったのに 戦国時代に至っては、最早それどころじゃないのをあの世から知ったら発狂してそうw 「帝、官位官職はものではないのですぞ」
返信先:@bushidoh_sb綸旨で足利尊氏と書くなら織田三郎とも書きうる 織田三郎が織田尾張守と名乗ってるなら織田尾張守と書くかもしれない 朝廷の正式な文書なら藤原尾張守か平尾張守でしょう となると綸旨の織田尾張守だけでは信長が官位持っていたかどうかわからないのです
返信先:@bushidoh_sb私はわざわざ朝廷ならあり得ないと書きましたよね 綸旨ならあり得るのです 綸旨は簡略化された臨時の文書だからです 朝廷は氏と諱とカバネと官位しか認めませんから朝廷の文書では足利尊氏とは絶対に書きません。源朝臣尊氏です
返信先:@bushidoh_sbそもそも平安鎌倉期に武家が官位私称することもあり得ないから戦国期の朝廷がどうだったかも難しい問題です。そもそも綸旨に織田と書いてあったそうですが、朝廷が織田と書くこと自体本来ならあり得ないです。
こんにちは☀5/15は #葵祭 ですね。今年は #光る君へ を見て観覧にくるとより楽しめますね。今日は、官位が上がった #岸谷五朗 の束帯の色に因んで、モレラートのリバプールをご紹介。カーフにクロコダイルサイドの型押しをした薄型のモデル。鮮やかな赤色は時計を引き立て腕元を明るい印象にします。 pic.twitter.com/TQBjI7Veoe
返信先:@bushidoh_sb綸旨に私称官位を書くかどうか難しいとこですね 織田尾張守という武家の名乗りは武家の感覚ではこれ自体名前なんですよね ですから綸旨で無位無官者を織田三郎と書く感覚で織田尾張守と書くことは戦国期ならありうるかなとも思います 私称が多い戦国期ならではの難しさですね
第六天魔王は官位じゃない。
大河ドラマ『軍師官兵衛』見てたら、上洛直前の信長が「尾張守」を称してて、そんな時期あったか?と思って調べたんだけど この頃に正親町天皇から信長に出されたの綸旨に「織田尾張守」とあるらしい。 これが本当だったら、やはり信長も上洛前から官職を得ていたことになる。…
なんとなく官位相当考えると、尾張守>弾正忠だけどな。弾正忠は信長の家の官途だから自然な気がするけど、自称の上総介と正式任官の弾正忠の間に挟む官職としては、違和感はあるけど、どうなんだろう。上総介は氏真への対抗意識と考えると自称官職として腑に落ちる。
返信先:@bushidoh_sbさらにこの時代、家康の三河守の扱いを見てもわかるように たとえ朝廷からの正式な叙任であっても、室町殿の認知がなければ武家社会では通用しないという武家官位独特の慣例が存在しているようなので、とても奥深いですね
返信先:@bushidoh_sbこの時代、武家の官位に関しては自称が極めて多く、その自称に対してどう扱うかはあくまでも他者がどう扱うか(敵対している場合は呼称しないが、そうでない場合は私称官途をそのまま使用した)ことを考慮すると 正親町天皇の綸旨は美濃尾張の御料所の回復を命じているわけですから
返信先:@bushidoh_sbまた後述されていますが、信長の叙位は確認される限りだと天正2年に従5位下昇殿が口宣案で出されていることからも 通常尾張守は上国の守なので官位相当は従5位ですから、やはり自称であることはほぼ間違いないかと
よくわかんない。幕府と朝廷の役職(官位)ってどんなのがあるのか知らないから。◯◯守って朝廷の位かと思ってた。関東管領とか鎌倉公方とかが幕府の役職なのかなあ?信長の野望新生やってると幕府が直ぐに滅びちゃうから価値を感じられない(笑)
大河ドラマ『軍師官兵衛』見てたら、上洛直前の信長が「尾張守」を称してて、そんな時期あったか?と思って調べたんだけど この頃に正親町天皇から信長に出されたの綸旨に「織田尾張守」とあるらしい。 これが本当だったら、やはり信長も上洛前から官職を得ていたことになる。…