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長徳の変では花山院に矢を放ってしまった隆家は、さがな者(性悪者)と呼ばれたが、一方では実資に可愛がられており「小右記」には実資が隆家の身の上相談に乗っていたことが記述されている。荒くれ者ではあったが同時に権力者(道長)に屈しない硬骨漢という辺りが好かれたのだろう。 #光る君へ pic.twitter.com/9XDeWTyXD8
「陰陽師zero」映画の晴博不足のせいで支部の二次小説ばかり読んでる。特に小右記の内容が活かされてるお話が多いんで、藤原実資さんには感謝ばかりなのだ。私の中では何故か、晴明の声は成田剣で再生されてる。ドシテダロ〜
お口が軽い道綱w 何でも喋っちゃうww 実資も話題好き 今週はさらに黒くなってたなーもう開き直ってるw #光る君へ
ちなみに 『小右記』には… 長徳元年(995)7月24日条 ◆◇◆◇◆ 「右大臣(藤原道長)と内大臣(藤原伊周)が、仗座(じょうのざ/陣座)において口論を行った。あたかも闘乱のようであった。皆、非常を嘆いた」ということだ。 #光る君へ
実資が定子様を「出過ぎ者」と憤慨したということは、皇后ですら政治に口出しするのは良く思われなかった時代だと思われるのだけど、まひろだと「女ながらに政に考えがある」と持ち上げられるのはちょっと理解できないっすね……
「そんなおもろいことあったの!?またやってくれるかなぁ。」って言ってた実資さん。
ちなみに 『小右記』には… 長徳元年(995)7月24日条 ◆◇◆◇◆ 「右大臣(藤原道長)と内大臣(藤原伊周)が、仗座(じょうのざ/陣座)において口論を行った。あたかも闘乱のようであった。皆、非常を嘆いた」ということだ。 #光る君へ
「そんな面白いことがあったのか!?よし日記に書いたろ!!!」 実資マジ実資
ちなみに 『小右記』には… 長徳元年(995)7月24日条 ◆◇◆◇◆ 「右大臣(藤原道長)と内大臣(藤原伊周)が、仗座(じょうのざ/陣座)において口論を行った。あたかも闘乱のようであった。皆、非常を嘆いた」ということだ。 #光る君へ