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返信先:@debanezukoICUは戦勝国アメリカが、日本が本当に民主主義の国になるには神の前に人間の平等を謳うキリスト教を奉ずることなくばの趣意で、全米キリスト教教会の寄付を基に、日本統治の仕上げのように創立された大学。設立に美智子妃入内も画策した小泉信三氏ら戦後日本再生を主導したリベラル知識人多いに関わる
《明仁親王(第125代天皇)の教育の責任者》《日本聖公会のクリスチャン》《皇太子と正田美智子の「軽井沢のテニスコートでの出会い」は、カトリック人脈である田中、小泉、吉田茂らが共に演出したとされ》 ★小泉信三 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F…
返信先:@Yuki0402S明仁の教育係であった小泉信三は反共のキリスト教徒で美智子さまの輿入れを強く推進した人物。 上皇を甘やかした点、そして美智子さまのキリスト教信仰について皇太子妃となった後も容認した点ででも今となっては皇室を間違った方向に導いた。 なお、上皇后は洗礼は受けてなかったと言い訳している。
断捨離の過程で出てきたもの。 「文藝春秋」昭和34年2月号に白洲正子さんが「美智子さんの試練 小泉信三氏への手紙」という一文を寄せている。 婆様に厳しい意見を言っていたのは梨本宮伊都子さんだけではなかった事が分かる。 #白洲正子 #文藝春秋昭和34年2月号 pic.twitter.com/V57OubP0y9
日経朝刊27P、新聞の切り抜きも "古書" 作家 "出久根 達郎"。③"佐藤 春夫"は感激し、"美の世界" 特製本一冊を"美智子"妃殿下に献上。許されるなら、お手元の切り抜きを"お下げ渡し"頂けまいか、とお願いした。妃殿下は快諾され、切り抜きの小箱の表に、墨で題箋を自著された。届けたのは"小泉信三"。
ウィキに「1957年8月19日の、皇太子明仁親王と正田美智子との軽井沢のテニスコートでの出会いは、田中耕太郎が、カトリック人脈である小泉信三、吉田茂らと共に演出したとされており、田中もその出会いの場に立ち会っている。」とあった。田中耕太郎は皇室キリスト教化工作にも関与したようだ。