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初心者 「おすすめの応仁の乱参戦武将って誰?」 優しいオタク 細川勝元、山名宗全 ゆっくり育てたいオタク 畠山義就、大内政弘 沼に引きずり込みたいオタク 古市胤栄、毛利豊元 関わってはいけないオタク 西陣南帝
備中足守と佐渡ヶ島、という距離的に離れてるのももちろん 鋳造時期が 人世虚しい(1467) 応仁の乱の最中ってこと。 つっても前年に疫病流行で 細川勝元 山名宗全が亡くなり 戦いの中心は収束の気配を帯びてた。
戦国時代に山名宗全により築城された山城。「天空の城」「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるらしい。総石垣といい眺めが楽しめ、観光化されていて登りやすい #日本100名城 (@ 竹田城跡 in 朝来市, 兵庫県) pic.twitter.com/QL5DxQJiVF
【#竹田城】 2024年4月30日登城 1443年に山名宗全によって築城されたと言われ、のちに赤松広秀が城主となった城郭。とにかく山頂にそびえ立つ石垣は圧巻でした! #日本100名城 pic.twitter.com/UNCR8Tf01x
返信先:@Dylan_MacKay___歴史ヲタなんで昔話大好きなんですけどwww 畠山義就と畠山政長が上御霊神社で合戦して山名宗全が義就に肩入れしたから応仁の乱がクソ長くなったみたいな昔話めちゃ好きで😅😅😅
【京都市】左京区 『山名宗全公之墓』がある「真乗院」は谷崎潤一郎の『細雪』が執筆されたと伝わる場所!(高津商会RICA) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/expert/article…
山名宗全 小嶋千鶴子 清水信次 鈴木喜兵衛 藤沢友吉 衣笠貞之助 小島剛夕 沢本忠雄 世阿弥 古阪憲司 中山伊知郎 藤田絋一郎 御木本隆三 遠藤利貞 加太邦憲 吉村権左衛門宣範 駒井重格 高木貞作 黒沢翁満 佐父理希亮 珠光院貞姫 酒井孫八郎 小沢圭次郎 松平定教 松平定敬 竹内十次郎 鳥居強右衛門
【京都市】東山区 『山名宗全公之墓』がある「真乗院」は谷崎潤一郎の『細雪』が執筆されたと伝わる場所!(高津商会RICA) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/expert/article…
【京都市】東山区 『山名宗全公之墓』がある「真乗院」は谷崎潤一郎の『細雪』が執筆されたと伝わる場所!(高津商会RICA) news.yahoo.co.jp/expert/article…
晴明神社は西陣のあたり。 西陣織の西陣は、応仁の乱の際に西軍の大将だった山名宗全らが陣を構えたことに由来します。というか山名宗全の邸宅がここにありました。東の堀川が東軍に対しての防御線でした。 pic.twitter.com/dbRFqtZTl8
竹田城 山名宗全、築城に着手、太田垣光景が城主となる。秀吉の但馬侵攻で終焉。桑山重晴、後、赤松広秀が城主となる。関ヶ原の役で、鳥取城攻めに参戦も、大火の責を問われ自刃。廃城。 ブログ kotohajime220110.com/takedajo-22122… ギャラリー(動画) youtu.be/vAxzy1-rNwA
【フォトスケッチゆらゆら】 天空の城「竹田城」 (日本100名城 No.56) 天空の城「竹田城」 雲海の上に、石積みの城郭 よくぞ創り上げた、見事です! #竹田城 #日本100名城 #赤松広秀 #フォトスケッチ #ゆらゆら
義政は各大名に介入を禁じた が 細川勝元は従ったものの 山名宗全は公然と義就を支援し 勝元の面目は丸つぶれとなった 勝元は捲土重来を期して味方を集め 5月からついに山名方との戦闘が始まった (上京の戦い)
9月6日 貞親はついに義視の排除に動き 謀反の疑いで義視を切腹させるよう訴えた 義政も一旦は義視を切腹させるよう命じた 細川勝元・山名宗全等によって制止され 貞親・真蘂・義敏らは逃亡 義政側近層は解体に追い込まれた(文正の政変)
義尚が成長するまでの中継ぎにするため 義尚の乳父であった伊勢貞親ら近臣は義政の将軍継続を望んでおり 義視を支援する山名宗全・細川勝元らとの対立は深まっていった 12月30日に義敏が上洛して義政と対面し 義廉派の焦燥はいよいよ深まっていった
『応仁記』 富子が義尚の将軍後継を望み 政権の実力者であった山名宗全に協力を頼み 義視は管領の細川勝元と手を結んだ 義視は義尚誕生後も順調に官位昇進を続けており 義視の妻は富子の妹であった 義政には大御所として政治の実権を握る意図があり 義尚誕生後も義視の立場を変えなかった
応仁の乱の中心人物の山名宗全と細川勝元は義理の父子だったの か! 応仁の乱はやっぱし家族喧嘩の究極形っていうのがぴったしなのか... 他にも意外な親戚っているのかな pic.twitter.com/Ul06YvCdY4
ひの‐とみこ 【日野富子】 室町幕府八代将軍 足利義政夫人 実子義尚の将軍継承を図って山名宗全を後見者 応仁の乱の原因 幕府の政治に専横をきわめ 京都七口に関所をつくり関税 高利貸・米相場にも手を出したりする 富を築き 経済を混乱させた 永享一二~明応五年(一四四〇‐九六)
応仁の乱の原因 義尚の後見人を山名宗全に頼んだこと 『応仁記』が記した虚構 富子が自身の妊娠中に妹の良子を義視に嫁がせてその基盤強化に力を貸していること (男子が生まれてもそれが成人する可能性が低かった当時
文明5年(1473年) 山名宗全 細川勝元 死去 義政が隠居して義尚が元服して9代将軍に就任 兄の勝光が新将軍代となった 義政は政治への興味を失い 文明7年(1475年)には小河御所(上京区堀川)を建設して1人で移った
しかし 翌寛正6年(1465年)に富子は義尚を出産 富子は溺愛する義尚の擁立を目論み 義尚の後見である山名宗全や実家である日野家が義視と対立 これに 幕府の実力者である勝元と宗全の対立 や 斯波氏 畠山氏の家督相続問題などが複雑に絡み合い 応仁の乱が勃発
楽毅、田単、王翦、許褚、典韋、孟獲、司馬炎、伊達政宗、立花道雪、真田幸村、北条早雲、斎藤道三、立花宗茂、細川勝元、山名宗全、足利尊氏、新田義貞、楠木正成、柳生宗矩、木戸孝允、木戸松子。この辺りは多分出ると思うけど今後のカード追加で期待してる。 おやすみ(-_-)zzz
教科書では山名宗全は、持豊の方が先に書かれていた気がするからどっちも知ってた。 武田信玄とか上杉謙信とか多分学校の授業だけだと、「晴信」とか「長尾景虎」「輝虎」あたりの名前は知ることがなかったんじゃないかなと思う(大河ドラマをきっかけに知った)。 RP
返信先:@BigBrother_Popy私が学校で習った頃は法名の方(宗全)が教科書にカケラも載ってなくて「山名宗全」という表記に出会ったのは良い大人になってからでした…… 時系列的には、応仁・文明の乱の頃にはもう出家してたので、宗全と呼ぶので合ってるんですけど……山名持豊のことですよね???
あまり諱を知られてないのは…? 山名宗全⇒山名宗全 佐々木道誉⇒佐々木高氏 太田道灌⇒太田資長 三浦同寸⇒三浦義同 武田信玄⇒武田晴信 上杉謙信⇒上杉輝虎 甲斐宗運⇒甲斐親直 大友宗麟⇒大友義鎮 立花道雪⇒戸次鑑連 斎藤道三⇒斎藤利政 とかかな