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トマスを保守的で権威主義的だと見る人もいるけど、本人は恵まれた環境を捨てて振興の托鉢修道会に入った。トマスが学生のとき「だまり牛」とか陰口を叩かれてたのとか興味深いねぇ。なんかそういうところのほうが個性というか人間味を感じるとこはある。
トマス・アクィナスのこのエピソードは『神学大全』を書き始める前の若い頃の話らしいですし、由緒あるベネディクトゥス会ではなく当時まだ新興でしかも托鉢修道会のドミニコ会に入るのを引き止めようとしたためらしいので、この紹介の仕方は疑問があります。
処女童貞が一番エライのだ!と、かなり無理めな主張をしていました。 しかしこんな人がいたら親族は困ります。親族は「お手付き」を期待し色気ムンムン女性をトマスの元に家政婦として派遣しました。だがトマスはムキィ!と激怒し松明を振り回して女性を追放。当然彼は童貞のまま死亡しました。
都市から見るヨーロッパ史 第5回 「中世都市のイメージと現実」 5/1 12:45放送大学テレビ キリスト教の影響下で形成された中世の都市イメージと都市観について考える。 キーワード 聖なる都市、悪徳の都市、都市讃歌、托鉢修道会、守護聖人、善政と悪政のアレゴリー、ブルッヘ・シエナ・フィレンツェ
🥜まめちしき🥜 托鉢修道会ドミニコ派は、信仰に頑なな性格があり、異端派閥への弾圧のための拷問を得意とします ドミニコ派の弾圧によって、南仏のアルビジョワ派などが被害を受けました またこの性質から清での典礼問題でイエズス会と対立しました
🥜まめちしき🥜 托鉢修道会の二派、ドミニコ派とフランチェスコ派は有名な宣教師の所属派閥だったりします フランチェスコ派は元に布教に来た、 プラノ=カルピニ ルブルック モンテ=コルヴィノ の所属する派閥です
LAXXXV67:以上でドミニクスとドミニコ会に関することは終わり、次節の「フランシスコ会」に移る。節のタイトルは『アッシジの聖フランシスコ』である。 フランシスコ会も托鉢修道会で、ドミニコ会と同じころイタリア中部のアッシジで誕生した。創立者はフランシスコである。 ('24.4.21)
このような商業活動は、聖職者たちが抱いていた名誉ある貧困の考えに反するものでした。しかし、当時のイエズス会士の中には、この理想よりも社会の影響力の拡大を優先する者もいた。托鉢修道会はイエズス会を腐敗していると激しく非難し、
あと宣教師と一括りにするのもよくない スペイン系の托鉢修道会らとポルトガル系のイエズス会とではまた違うし、スペインとポルトガルが同君連合下にあるとはいえ、スペイン系とポルトガル系が仲がいいかと言われればそれも違う 彼らは日本の布教方針をめぐって大揉めしてるのでそこらへんも考慮すべき
宣教のヨーロッパ-大航海時代のイエズス会と托鉢修道会 (中公新書 2516) amzn.asia/d/cuL7ONT #Amazon イエズス会がTLにやたらと出てくるんだが、こういういい本に触れてからの方がいいのでは・・・(震え声)。