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【「論」の遠近法2024】【批評】三宅香帆さん「「夫」になれない男たち――『君たちはどう生きるか』『街とその不確かな壁』そして『【推しの子】』」 「父の不在」。昨今のフィクションを貫く潮流が意味するものとは? 映画から小説、アニメまで、日本を席巻したヒット作から考察する。#群像7月号 pic.twitter.com/zzbxvDkoR4
返信先:@marno_san批評を“文句”という言葉に変えれば、辻褄が合いますけどね。おそらく、「他人への“文句”に時間を費やすなら、自分をより良くするために時間を使いましょう」という意味かと。文句と批評は似て非なるものなので、この点だけ気になったしだいです。批評行為が許されないなら、僕は廃業なので(笑)。
歴史修正主義という言葉の意味を都合よく使い分けたり、鍵垢で悪口を書いたり、時事批評をしていただけのことを「あらゆる社会的弱者に対する性差別・ハラスメントをしていた」と書いて全く恥じない学者諸氏に今更なにを言っているのか、と思うようなコメントを見かけた。
そういう意味で、日本のゲームを巡る言論って「ファミ通系ただの大政翼賛会メディア」と「ゲハ系クレームサイト」の両極端になってしまって、建設的な批評や物を言う消費者が育ってこなかった不幸があるね。今はもうメーカーも「どういうゲームつくればいいかわかんない」ってなってる。
煙に巻かれたような部分もありつつ批評性の高い作品に感じた 京都でも東京でも長野市でもなく松本での初演に意味性を感じたりそうでもなかったり 松本の舞台関係者の感想聞きたいなぁ 関東ではなく地元からの批評を知りたい
射程というのは、単に衣服への批評なのか、それとも髪型やアクセサリーなどの服装に対してなのか、またはファッションショーのようなコレクション自体やブランドの活動全体へのものなのか、はたまた現実での流行性へのものなのか。あまりにも複合的で複雑な性質をもつ、という意味です。(→)
野沢直子氏の記事を朝日新聞で載せる事の意味や価値を、二人の朝日記者がざっくばらんに語り合う。これも一つのメディア批評だと感じる。→遠い国で起きている戦争 当事者になれない私たちの苦しさ #1535 【朝ポキ】朝日新聞のポッドキャスト asahi.com/special/podcas… #ニュースの現場から #朝ポキ
この人の評価()なんて何の意味もないから妹尾ユウカと交際したい人だけ一喜一憂すりゃいいし、そもそも辛口前提の企画なんだから批判された本人も文句いってないのに騒ぐの変だとは思うが、昨今の男が女を貶すのは男尊女卑で許されないけど女は男を批評していいって風潮は嫌い
思うんだけどさ。政府の少子化対策って「口では少子化をダシにしてるけど、本音では少子化対策なんて目標にしていないんだよネ~🤪」なの。だから政府を批評する市民が「そんな政策では少子化は変わらない(キィー」などと批判や非難しても的外れで「指摘は当たらない(様々な意味で)」なんだよね。
返信先:@John1980nyno9歌ではなく、声という意味では、1960年代のイェルク・デムスとの「冬の旅」もすごいですよね。批評的には、デムスのピアノは劣ると書いてありますが、それもまた味わいがあります。
たぶん、論文、記事、コラム、考察、批評、書式など、関連する語句の意味、定義自体を取り違えていると思います。そこから生じた誤解のようなので、確認してみてください。私が説明してもよいですが、聞きたくないでしょうから、他の専門家、そういう分野の文章をよく読む人に質問してはどうですか。
#PR #講談社 作者からのメッセージ 私がはじめて批評を面白さを感じたのは、高校生の頃に読んだ柄谷行人『意味という病』。曰く「志賀直哉の小説では、「気分」が主体」である、と。その「気分」の倫理的絶対性を説いた文章から、小説の読み方を学び、物語のあり方に気が向くようになりました。… pic.twitter.com/nN4vxLFHWv
返信先:@old_schooooool#PR #講談社 作者からのメッセージ 私がはじめて批評を面白さを感じたのは、高校生の頃に読んだ柄谷行人『意味という病』。曰く「志賀直哉の小説では、「気分」が主体」である、と。その「気分」の倫理的絶対性を説いた文章から、小説の読み方を学び、物語のあり方に気が向くようになりました。… pic.twitter.com/VyCMKmMd7Y
アカデミックな世界だと、○○というテーマについて検討する、みたいな言い方をします。彼の批評がそういうステージかどうかという意味ではなく、ぼくのクセでそういう表現をしています。 例 宮沢賢治の童話『ビジテリアン大祭』を題材に、著者の生命倫理について検討する。 ↑ぼくの卒論
返信先:@Kakitsubaki漫画のレビューで検討って… 読んだ漫画の検討をするのがレビュー?何を検討するの? 一つ一つ丁寧に批評や評価をしている、ならわかりますが…。
基本的に自分は過去20年間、某十字架上で「さやmtfalkやささのeなまとのせこ038さやaga3かよさmp〒353⁉️👀㊙️❤️👍まこもさdjdpdj!!、^_^!」と意味不明の絶叫死(大貫隆『イエスという経験』を参照せよ)しちゃったあのひとのことしか考えていない。というかそれが一番"効率いい"からね、批評やるうえで
自分の見る感じ、近代の本質は「グローバリゼーション」。具体的にいえば「暦/時間」の惑星規模での一元化。で、いうまでもなくこの「暦/時間」の中心には某十字架上で磔(はりつけ)になっちゃった「あのひと」がいるわけだが現代日本のかなり偉い知識人でさえ「あのひと」のことをろくに考えてない印象
今まで読んだゴンザレス=トレス批評の中で、最も詳細かつ本質的だと思う。 彼の作品は私的/詩的な部分を中心に語られがちだが、実際は『何に意味・価値・視覚的魅力・実在性・価値・権威が宿るのか?』という芸術の本質を掘り下げたラディカルな作品である
だいたい、明治維新は日本人に対して武士になることを求めたわけでそれに沿って諸制度が作られたわけよね。一君万民ってのはそういう意味もある。だから名字を名乗れるようになったし誰もが兵隊になった。それに対しての批評をするときはその前提を理解してない限りは多分議論は噛み合わない気がする。
並列や比較を意味する「と」は、格助詞ではなく「並列助詞」または「等位接続詞」と呼ぶべきではないでしょうか。 蓮實重彦の名前も挙がっていますが、蓮實はドゥルーズの哲学における「と(et)」の用法に注目した最初の人であり(『批評あるいは仮死の祭典』)、町山さんはもちろん御存じのはず。 pic.twitter.com/gcqKDjRfxT
#町山智浩 著『#ブレードランナーの未来世紀』 映画に格助詞「と」を持ちこむとはどういうことか? ―暗黒綺想家・後藤護さんによる文庫版解説を特別公開! note.com/asahi_books/n/…
とある作品中の表現に対して、現在社会で問題となっている事象を当てはめて論ずること(感想や解釈という範囲にとどまらず、批判、批評すること)について何の意味があるのか個人的には分からないし、無粋だと思う。だが意見を言ってるだけなら何も言わない(不快ではあるが)
銭天堂を天海祐希さん主演で実写映画化って、この業界まだこんなことするんだ…って思った まあ見もしないで批評はアレだけど… でも実写化のハードルいろんな意味で高くなってるご時世だしさぁ つかわざわざ特殊メイクしないでも似てる女優さんとか居るでしょw
「批判」「批評」「批難」の意味を私は混同していたかもしれないので改めて調べる 「批判」評価の上で改善案など考察・検討もする(客観的) 「批評」は単なる評価 「非難」は欠点をただ責めるだけ(主観的)
「批判からは何も生まれない」という常套句を繰り返す人たちがいる。たしかに、批判という作業そのものが、直接的に何かを生産したり創造するケースは少ないのだろう。でも、目の前にある何かや誰かを批判する視点なり覚悟なりを持っていない人間は、結局、何も生み出せないのだと私は思っている。
批評はどんなものであれ、その道である程度のレベルに達していないと理解できないので、わかる人たちだけの話になってしまう。 無作為に見てしまうと99%以上の人が意味不明なので、広告とか、公共のものと考えると忌み嫌われて当然な気はする。
その論理だと、映画を上手く作れない人が映画を批評するのもおかしいじゃん。 批評/評論というのは、「消費」(大きな意味での)という行為を表現/芸術化する営為であって、対象の生産者である必要はないわけで。 もちろん生産者間の評価もあるだろうけど、それと批評は必ずしも一致しない。 >RP
【全豹一斑】ぜんぴょういっぱん 物の見方が狭量であること。物事のある一部分だけを見て、全体を批評すること。豹の体にある一つの斑点で豹全体を言うという意味 はじめて知った四文字熟語…!指にでも紋紋を刻みたいくらい大事。勉強になるな。 この子は東武動物公園のホワイトタイガー🪵🐅スヤァ pic.twitter.com/0ioYt72Dl0
文芸批評の体で漫画を語ったり漫画から時代を読み取ろうとするなというものすごい面倒くさい部分を私は持ってます。何か深い意味があって言ってるのではなくてこういう人がだだ漏れにしてる独特の偉そう感がファックだよねと思ってるだけです。
好きなマンガが褒められているのを確認する、みんながクソ認定したものを貶す、作者さんに喜んでもらうための批評感想、そういうのが現在のSNSだと思うが、マンガ夜話はそういうの全然ない。ないから面白かったと思います。 そういう意味では「ちゃんと炎上してる」うれしさもあったり。