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長屋王を婿とな??? 父は高市皇子、母は御名部皇女、良い血筋ですよ。 そして双系を持統天皇が決めたわけではありませんが…持統天皇自身の母は、男系だけど蘇我氏ですよ?…
才色兼備は理由になりません 妹の吉備内親王は長屋王と婚姻したがこれは立場的に (内親王)>(王)だから長屋王は婿入りであり不釣り合いは出鱈目 また天皇の母は皇族でなければならないと決めたのは持統 それを破り光明子を首親王の后にした不比等 持統王朝は双系が前提であり男系血統は後付けですね
返信先:@OFhJ4hnihLCwV6t持統天皇以降の天皇、上皇、法皇はその時の情勢や自身の要望により、火葬又は土葬にされています。 歴代天皇家の葬礼については、歴史学者の久水俊和先生のこちらの本に詳しく書いてあります。 中世天皇葬礼史――許されなかった〝死〟 久水俊和著 ebisukosyo.co.jp/item/554/
返信先:@OFhJ4hnihLCwV6t横から失礼致します。 持統天皇は自身の葬儀の簡素化、「倹約」を命じているだけで、火葬にせよとは史料には残っていないようですね。持統天皇の火葬は、天皇葬儀の簡素化(薄葬)と関わりがあるようですね。 因みに仏教に深く帰依した聖武天皇は土葬にされています。続く
返信先:@fj197099持統天皇以降の天皇、上皇、法皇はその時の情勢や自身の要望により、火葬又は土葬にされています。 歴代天皇家の葬礼については、歴史学者の久水俊和先生のこちらの本に詳しく書いてあります。 中世天皇葬礼史――許されなかった〝死〟 久水俊和著 ebisukosyo.co.jp/item/554/
返信先:@hidama_pser持統天皇以降の天皇、上皇、法皇はその時の情勢や自身の要望により、火葬又は土葬にされています。 歴代天皇家の葬礼については、歴史学者の久水俊和先生のこちらの本に詳しく書いてあります。 中世天皇葬礼史――許されなかった〝死〟 久水俊和著 ebisukosyo.co.jp/item/554/
返信先:@hidama_pser横から失礼致します。 持統天皇は自身の葬儀の簡素化、「倹約」を命じているだけで、火葬にせよとは史料には残っていないようですね。持統天皇の火葬は、天皇葬儀の簡素化(薄葬)と関わりがあるようですね。 因みに仏教に深く帰依した聖武天皇は土葬にされています。続く
🐣持統天皇か元明らの権力により他の皇族に天皇家を譲らなかったことによってこうしたことが起きたのだろう。この時母ではなく祖母に天皇が渡されたことを考えると今の順位は踏襲している。 それに草壁皇子が天皇にならなくても、男系は保たれているから、女系とは言えない。
返信先:@Chashiro1234567文武天皇から見て 祖父.40代天武天皇(686死)→父.草壁皇子(689死)→本人.文武天皇(683生)→祖母.41代天武の妻(持統天皇)(690即位)→本人.42代文武天皇(697即位-707死)→母.43代元明天皇(707-715)→姉.44代元正天皇(715-)
返信先:@hoyaminabeそうですね… 確か長屋王の父の武市皇子は、どの皇子よりも経験豊富で真面目で正義感が強く、父の天武天皇や正妻の持統天皇の信頼もあつく、皇太子にしたかったが 母親の身分が低いため、太政大臣で止まってしまったとか… しかも母の妹である元明天皇は、持統天皇の唯一の息子・草壁皇子の正妻⤵
返信先:@hoyaminabe自分の血筋の草壁皇子を天皇にと願った持統天皇も、その意思をついだ元明天皇も、「男系」という一線は譲らず、女性天皇となられた元正天皇が夫を持ちその子を天皇にではなく、長屋王と吉備皇女の婚姻という形で、藤葛にからめとられそうな皇統の予防線を張りましたよね。
返信先:@H_KANNA_0203細工物(鬼のお面など)、家具、屋根の下地板、下駄、太鼓の胴などに使われる。また枝はノリそだ、護岸用そだに役立ち、樹皮はタンニンを含んでいるので染め物や皮はなめしなどに使われ、広い用途がある。 品種…山野に普通に見られることから、野生動物の食料としても大切で、7世紀の持統天皇の頃には、
これは調査不足です 少し調べたらこの程度出てきます > 古代は火葬、火葬は703年の持統天皇の葬儀が初めて。それ以後は、土葬と火葬が混在したが、室町時代中期には火葬が定着していたとみられている。江戸時代になり1654年の後光明天皇の葬儀以降は土葬になり、(略)昭和天皇まで続いていた。
返信先:@kinyatarou横から失礼致します。 持統天皇は自身の葬儀の簡素化、「倹約」を命じているだけで、火葬にせよとは史料には残っていないようですね。持統天皇の火葬は、天皇葬儀の簡素化(薄葬)と関わりがあるようですね。 因みに仏教に深く帰依した聖武天皇は土葬にされています。
返信先:@index201306他1人大嘗祭って原型は天武天皇が作って、妻の持統天皇が法律で規定した。つまり「女性」が運用レベルだった儀礼を国家の仕組みとして落とし込んだ。あの男系男子派の里中満智子さんもマンガで描いてる。もちろん女性の持統天皇も大嘗祭できました。
それはそれとして、持統天皇の「北山にたなびく雲の 青雲の 星離(さか)りゆき 月も離りて」は凄まじく良いですよね!って話で盛り上がった。こないだまったく別件でこの歌読んだんだけど、その時の方がかえってますます良いなと思った。
里中満智子先生の 天上の虹 持統天皇物語 創作部分もあるが史実を元に 壮大な飛鳥時代の歴史漫画 何度も何度も繰り返し読みました。 私はこの本に出会い飛鳥時代が持統天皇が大好きになりました #この漫画知っている人で100いいね pic.twitter.com/fsrnZNhg3R
返信先:@hoyaminabe天皇の母は皇族と持統天皇が「定めた」根拠はなんでしょうね🤔安宿媛の立后まで「皇后」は皇族(磐之媛と春日娘子が記録上の例外)とされてきましたが、継体天皇以降も多くの天皇の母が蘇我氏や尾張氏出身で皇后ではありませんし、持統天皇の在位から存命までの間に天皇になったのは文武天皇だけです。
#フィクションでの人物像の振り幅が大きい歴史上の人物 紫式部=結構プライド高いおばさんと思っていたので、『光る君へ』で、紫式部ってこんな人だったん?と。 持統天皇(鸕野讚良皇女)=里中真智子先生の『天上の虹』では、冷酷と言われた持統天皇がすんごく良い人に描かれていて、 pic.twitter.com/rni2jUJIdS
伊達騒動 仙台藩重臣・原田甲斐宗輔の命日です。 歌舞伎『伽羅先代萩』では大悪党・仁木弾正のモデルとして、山本周五郎『樅ノ木は残った』では悲壮な決意で藩を守った主人公として、#フィクションでの人物像の振り幅が大きい歴史上の人物 です。 本日のお題は↑。 皆さん、誰か思い浮かびます? (い)
◼️永井路子「旅する女人」 夫大海人皇子に従い壬申の乱など動乱期を生き抜いた後の持統天皇、「更級日記」菅原孝標の女、巴御前、「とはずがたり」著者の二条の壮大な旅、江戸時代の商家の主婦沓掛なか子の秩父への旅。追体験した著者の筆致が冴えている。永井さんの本を読むのはライフワークですね。 pic.twitter.com/HgBqKRkEEy
返信先:@Zion_u持統天皇以降の天皇、上皇、法皇はその時の情勢や自身の要望により、火葬又は土葬にされています。 歴代天皇家の葬礼については、歴史学者の久水俊和先生のこちらの本に詳しく書いてあります。続く 中世天皇葬礼史――許されなかった〝死〟 久水俊和著 ebisukosyo.co.jp/item/554/
返信先:@O_chuckmge持統天皇以降の天皇、上皇、法皇はその時の情勢や自身の要望により、火葬又は土葬にされています。 歴代天皇家の葬礼については、歴史学者の久水俊和先生のこちらの本に詳しく書いてあります。続く 中世天皇葬礼史――許されなかった〝死〟 久水俊和著 ebisukosyo.co.jp/item/554/
返信先:@O_chuckmge横から失礼致します。 持統天皇は自身の葬儀の簡素化、「倹約」を命じているだけで、火葬にせよとは史料には残っていないようですね。持統天皇の火葬は、天皇葬儀の簡素化(薄葬)と関わりがあるようですね。 因みに仏教に深く帰依した聖武天皇は土葬にされています。続く
【新着書評】歴史上、その軌跡が分かる女性たち5人の旅。持統天皇、菅原孝標の女、巴御前ほか。切り口と体験記がおも… 『旅する女人/永井路子/文藝春秋』 honzuki.jp/book/status/no… #本が好き
天皇持ち出さなくても百年くらい前まではまだまだ残ってたし、日本初の火葬は僧侶やけど天皇(持統天皇)から貴族の間、それから庶民に広まったようなものやから、土葬派はここ1300年くらいの最新の流行に乗り遅れてるとは言える。
返信先:@LXtXCOEJH1d50LPおはようございます すごい色のカミキリムシですね! 万葉集 山上憶良の 銀も金も玉もなにせむに……とか額田王の茜さす紫野行き ……とか持統天皇の春過ぎて夏きにけらしとか たくさんありますよ~~