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高尾山古墳の例は追葬で説明できると思います。古墳は単なる個人墓にあらずです(周溝墓からの発展でしょう)。墳丘完成していて削平ないのに主体部ない古墳は諸事情で被葬予定者が別の場所に葬られた可能性も。敏達天皇なんかも敏達天皇陵が築造されたはずですが、結局母の墓に葬らており、河内大塚山…
Takeo Kusumi@T_Kusumi057
寿陵があった証拠ですが、たとえば高尾山古墳では墳丘造成時土器と埋葬時祭祀土器の時期が一小様式違う可能性が指摘されます(他にも似た例あり)。老司古墳では、墳丘築造途中の築造休止面に「表土化」した時期幅が想定されます。墳丘完成していて削平ないのに主体部ない古墳など。いろいろあります。