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続)近代小説は両方の読みを伝える必要があるということで異論の余地はないだろう。現代小説はどうか。例えば村上春樹の『鏡』ならどうだろうか。「僕=作家村上春樹」と捉える読みは紹介したほうがよいような気がする。では、村上春樹以外の現代作家で、そのようなアプローチをとるべきなのだろうか。
しかし自分について書かれたものを読むというのはなんだか「鏡の国のアリス」になったような気がするものである。たぶん僕と村上春樹氏は鏡を隔てた異なった世界に同時存在しているのだろうと思う。いつも誰かの見がわりをしているような気がしてならないのだ。
村上春樹さんの「鏡」を読みました。 本当は鏡なんでなかったという話を怖いとは思いませんでした。 無意識が深層心理が自分(表面だけの自分)をじっと見ている、というストーリー。この人は今まで、無意識からの声を聞いたことはなかったんでしょうか?不思議な気持ちがしました。
返信先:@daddy_cool33村上春樹(また、ハルキの中でも本のチョイスよ…)も、キングもまさにしろくまフレーバー😂 ボードゲームも、版の古きよきなかんじが(エンドレスわっしょい) しろくまさんの自由の牢獄に触発されて、久しぶりに大人エンデ『鏡のなかの鏡』を病院に持ち込んでます☺️ 幾度となく読み耽った本💎 pic.twitter.com/YJIHZBjjdD
村上春樹の壁と卵のスピーチを読んでからどれだけ創作のなかに虚構や誇張を加えるべきか、虚構と誇張が認められる適した現実の鏡になるには…みたいな事を考えながら創作に接することがある 答えは出ないで〜〜〜〜すアホゆえ
しかし自分について書かれたものを読むというのはなんだか「鏡の国のアリス」になったような気がするものである。たぶん僕と村上春樹氏は鏡を隔てた異なった世界に同時存在しているのだろうと思う。いつも誰かの見がわりをしているような気がしてならないのだ。
意識の深い部分には無意識がある。無意識のさらに深い部分に「集合的無意識」があり、全ての人の無意識がつながっている(ユング)。物語では「装置」を使うことで集合的無意識にアクセスする。#かがみの孤城 では「鏡」。#すずめの戸締まり では「後ろ戸」。#村上春樹 作品は「夢」や「井戸」である。 pic.twitter.com/eHw9t2kzqy
物語の盛り込みが過ぎるとも思えたが、必要あってのことなんだろう。 某界隈では猛批判を受けているだけに、挑むような長い読書だった。 批判も称賛もされて然るべきだ。 強いメッセージ性を感じる文章は、己の主観を映し出す鏡となって我々に返ってくるのではないか。 『騎士団長殺し』村上春樹 pic.twitter.com/sHW6mWbjdr