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森政弘「不気味の谷」(1970/2012)を読み返しての再発見は、「不気味の谷」現象がもともとは「義手」や「義足」の触感に即して、つまり「視覚」ではなく「触覚」の現象として発見されていたことです。その後の議論はもっぱら「視覚的類似度」の問題に流れがちだったので、原点回帰はけっこう重要。
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そういえば濱口竜介監督には『不気味なものの肌に触れる』もあり、森政弘「不気味の谷」イェンチュ「不気味なものの心理学」あたりの議論もご承知のように思う。後者の「死の知的不確かさの不気味」は、『悪は存在しない』の多重化していく「生死不明」状態と相通じるところがある
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森政弘「不気味の谷」(1970)は、「不気味の谷」の底には「動く死人」があると想定していたが、『悪は存在しない』のトラヴェリング・ショットが、死骸それ自体は一切映さずに、「空を見上げていたのは動く死骸だったかもしれない」と感じさせるとしたら、それも「不気味の谷」の底に近いのかも