- すべて
- 画像・動画
自動更新
並べ替え:新着順
メニューを開く
橿原市四条町の字界を流れる水路 (34°30'15.5"N 135°46'49.3"E)と、吉野水分神社を結ぶと、高取城跡、塚穴古墳(文武天皇 檜隈安古岡上陵)、高松塚古墳の各中心を含み、橿原市五条野町の丸山古墳(畝傍陵墓参考地)を通る線を引くことができます。この線は、ミサンザイ古墳と畝傍山の間を通ります。
メニューを開く
奈良県橿原市四条町の「綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵」と明日香村野口の「天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(野口王墓古墳)」は、吉野山からほぼ一直線上にあります。吉野水分神社と「綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵」を指すポインターを結ぶ線は、「天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(野口王墓古墳)」を含みます。
メニューを開く
明日香村野口の天武天皇・持統天皇檜隈大内陵(野口王墓古墳)と、橿原市四条町の綏靖天皇桃花鳥田丘上陵はいずれも、宣長が『菅笠日記』の旅でこれらに比定したものです。四條村の一町ばかり東の田の中にある小さな塚は、神武天皇の御陵と申し伝えられますが、これは陵には見えないと宣長は云います。
メニューを開く
宣長の云う如意輪寺の「塔尾御陵(たうのをみささぎ)」は、現在の「後醍醐天皇 塔尾陵」です。この「後醍醐天皇 塔尾陵」から見て、明日香村野口の「天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(野口王墓古墳)」と、奈良県橿原市四条町の「綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵」は、ほぼ一直線上にあります。