- すべて
- 画像・動画
並べ替え:新着順
…口語で俳句を作り、正岡子規研究の第一人者でもあるが、間もなく80歳の大台を迎えようとしている。そこで老いの俳句についてあれこれと考える…情報誌アクセス2024/1号web版【老いの俳句 -君とつるりんしたいなあ】新刊ダイジェストより neil.chips.jp/chihosho/diges… pic.twitter.com/xkQFUFP1nP
根岸の正岡子規旧宅「子規庵」を見学に行く。お向かいの書道博物館は行ったことがあるのだが、ここは初めて…というか以前は入れなかったのでは。空襲で焼けたものの復元である。あまりの狭さに驚く。子規はこんな陋屋で病臥しながら素晴らしい俳句や随筆を書いたのか…。 pic.twitter.com/C4lMlcyhag
プレバトの永世名人のコーナー冒頭で、正岡子規と高濱虚子に挟まれて尾崎紅葉の肖像が現れます。紅葉は小説家としては知られていますが、一般には俳人という印象は薄いのではないでしょうか。しかし紅葉は西鶴の後を継ぐ小説と俳句の二刀流です。余技どころではない熱い情熱を俳句に注いでいました。 pic.twitter.com/9880vrwWtU
「春や昔十五万石の城下かな」と正岡子規も俳句に詠んだ松山城は海も見える丘の上にあり、町のあちこちから見えます。松山中央郵便局の赤いポストの上にも、当時ご自慢のお城の模型があって、いいなあと思いました。 岸辺の緑を映す堀の向こうに見える城の姿に風情あり。 cuoreverde.exblog.jp/34072853/ pic.twitter.com/iDuGTbmbAk
正岡子規は俳諧大要で、万事知るは善けれど知りたりとて俳句を能くし得べきにあらず「文法を知らぬ人が上手な歌を作りて人を驚かす事は世に例多し」 春の山屍をうめて空しかり 虚子 霜くすべ夕餉了へても明るかり 中原道夫 文法的には多かりを除き、終止形として空しかり明るかりとは使わないと。
返信先:@annin_book正岡子規は自身の俳句と短歌の教室を持ってました。或る日の授業は半紙と筆を持って散歩してその時閃けばその場で歌や句を作る、だったそうです。私は趣味で短歌をやりますが長い文章を創作する方はどうされているのかと思い、興味深くこのtweetを拝見しました。
与謝蕪村の俳句は写実性が特徴。 正岡子規が目指した理想の俳句は、つまり蕪村を理想とした。 一幅の絵を観るような俳句。画家でもあった蕪村の真骨頂が写実的俳句。 「ところてん 逆しまに銀河 三千尺」 「牡丹散りて うち重なりぬ ニ三片」
Wikipediaの夏目漱石のページにもっといっぱいある!非道い/浪漫/沢山/月並み(東大予備門時代の同窓生正岡子規が旧派が毎月の一日に行う句会を「月並俳句」と呼んだことから。転じて「ありきたりで面白みに欠けるもの」という意味として定着。)すごすぎる 夏目•文豪•漱石を名乗るべき
伝統俳句を名乗ってはいても、明治の旧派と正岡子規の間に断絶があるから、実際には伝統を継承してない。 現代俳句は根拠となる西洋的文学論が哲学の終わりによって失われている。 対立するような理由はない。本当の伝統の不易流行の俳諧に戻るべきだ。
桐一葉日当たりながら落ちにけり 20歳頃俳句を作っていた。当時はネットやツイッターはなくて、なので短詩形文学で自己表現していた ただ近代に正岡子規が「客観写生」を唱え、その手法が主流だった。上に紹介したような、ただ風景の一部を切り取るような句がよいとされた。
返信先:@yoshiyuki_1031『春風や まりを投げたき 草の原』 正岡子規の野球について詠んだ俳句ですが、屋根に覆われた人工芝の野球場より、この方がよっぽど野球らしいんですよね。
司馬遼太郎『坂の上の雲(二)』 維新から20数年、小国の日本が挑戦を巡り、大国「清」と交戦状態に。陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。 正岡子規は胸を病みながら、近代短歌・俳句を確立しようと決意する。 子規と真之の交流が良い。でも子規がそろそろ…。 pic.twitter.com/NL90yzQ3Ga
松山市立正岡子規記念館 近代日本文芸の扉を開いた俳人の博物館。『俳句の里松山』にふさわしいボリュームある展示で、文芸を大切にする松山藩の成り立ちや、俳句や短歌の革新などを説明している 日本野球の用語を作った人でもある。 「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」 pic.twitter.com/RUUAsBLBGW
デュエマには実在した歌人の名前+俳句用語+erが命名法則になってる種族がいて、種田山頭火や石川啄木、小林一茶、正岡子規とかが元ネタになってて面白いんだよな 何故か椎名林檎もその命名法則に含まれています なんで????????
若干風邪気味の僕🤒。 寝ようとしたら特徴的な鳴き声が聞こえて、調べてみたらどうやら杜鵑らしい。正岡子規の俳号の由来の杜鵑。俳句やらんかったら、鳥の鳴き声なんて気にしてなかったやろな…。咳する僕は正岡子規とちょっと似た状態で、なぜか嬉しさに似た感情が😷…。