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正月映画これか
#松山ケンイチ × #染谷将太 「聖☆おにいさん」新作は劇場映画、12月20日(金)に公開🎞️ ・ #中村光 が映画のために描いた長編エピソードを実写化 ・監督&脚本は #福田雄一「巨大ロボットが出てきたり、アクションシーンもあったり」 ▼詳細はこちら natalie.mu/eiga/news/5724… #聖おにいさん
松山ケンイチ×染谷将太W主演で『聖☆おにいさん』実写映画化へ 監督・脚本は福田雄一 realsound.jp/movie/2024/05/… #聖おにいさん #聖☆おにいさん #松山ケンイチ #染谷将太 #福田雄一 #中村光 #山田孝之 realsound.jp/movie/2024/05/…
……またなんか口走ったんか(見ていない)。アタマの中になんかあったんかな?実は映画決まってるとかなんかないかな?夏の映画の発表が前年の12月だったから、正月映画だったら夏に発表が予定されててもおかしくはないよな……(ただの妄想)(というか懸念)(戦々恐々)。
ゴジラは元々正月映画だけど、夏休み前後に前年のビデオが出るのも一大イベントだったな。半年〜7か月程度でソフト化というのはあの頃と変わらないけど、昔は最後に観てからも半年近く経ってたから本当に首を長くして待ってた🦒 家で観ながら劇場でも観られるとは夢のような時代 #ゴジラマイナスワン pic.twitter.com/hZWcDyn1k5
唐突だけど ちゃん父のカラオケの十八番は 海ゆかばとか 軍歌だったんだけど、 あんまり上手くなかった。 でもかっこいいでしょ。笑 あと正月映画見ようぜって言われて隣に座ってたら見せられたの八甲田山だぜ。ちゃんはる当時10歳。 かっこいい父、さすが五十六役のトヨエツに似てるだけある。笑
第一作の衝撃、というのはリアタイ世代じゃないと分かりづらいと思います。伊福部昭氏の音楽は全く色褪せないけど 私が子どもだったとき、ゴジラは子供向け正月映画的な位置づけだったと思うし、平成シリーズはすでにキッチュなネタもの扱いだった
返信先:@xiR6q2AqumjtTjmイナズマンも正月映画のゲスト出演してたんですけどね。 あの時期、アクマイザー3やキョーダイン等変な感じに復活させて古くからのファンがそっぽ向いちゃった感じになってましたからね。 イナズマンは良かったんだけどな~(^^)
ゴジラ1.0、アマプラで見たけど、マジ名作。 ゴジラの基本理念に立ち返った且つ古今の日本をゴジラを通して炙り出している。 正月映画化した、いつぞやの「シェー」をする娯楽ゴジラと一線を画した本気のゴジラ。 ガチで素晴らしかった。 連休最終後半に見れて良かった。 pic.twitter.com/KOcJzGo4B5
今ざっと確認したら、斉藤由貴映画ってあれだ、ゴジラ以降の東宝正月映画を3年ほど担当してたんだわ 84ゴジラの翌年、85年末(86年正月映画)から 87年末(88年正月映画)まで ゴジラ2の企画はこの間も動いてた筈で まぁ難産だったんでしょうね(^^; 当てなきゃならん宿命
見るものもなかったので、テキトーにチャンネルを回してる中で見つけた映画『博徒列伝』てのを途中から見てたんだけど。 最後、車くらい手配してやれよ、とか無粋なことを思ってしまった(汗)。 昭和の正月映画がコレだったのか、とか思うと時代を感じざるを得ないな。 作品としては良かったけど。
『「正月映画」は消えたのか──ネット配信だけが要因ではない日本の生活様式の変化 #昭和98年』by「Yahoo!ニュース オリジナル 特集」 yahukome.com/article/502089…
「いや、現場でそれ聞いてたら、私の次の質問違うもん」 「でも、原稿読んでインスパイアされたこと書いてもいいでしょ」 「えええ、ずるいですよ」 「いや、もうちょっと考えようよ。時間かかってもいいから」 「ダメです。私は正月映画の公開に間に合わせたい」
あたらしい発掘保護品の登録> 1987/昭和62/日本ビクター/スクリーン近代映画社/VHD/SCREEN VIDEODISC MAGAZINE MOVIES VOL.1 '87 JANUARY/ムービーズ VOL.1 '87年正月映画大特集号/創刊号/ - Extinct Media Museum:絶滅メディア博物館 extinct-media-museum.blog.jp/archives/24304…
返信先:@HM373_KIMISUI2〜3週目あたりまでは『ミステリー言う勿れ (48億) 』と同じ推移と言われてましたね。TVの報道は少なかったですが、やはり最初の起爆剤はネットやYouTubeを中心とした北米大ヒット報道ですね。これで正月映画として息を吹き返しました。からの、オスカーですね。ともあれドラマティックでした。
返信先:@73wZeGpi0l62178他2人ゴールデンウィーク」の名称は、映画会社の大映が松竹と競作して1951年(昭和26年)に同時上映となった『自由学校』が、大映創設以来最高の売上(当時)を記録[2]し、正月映画やお盆映画以上の興行成績を残したことで[3]、この時期に観客を多数動員し活性化することを目的として、
アメリカン・グラフティも初めて見たのはNHKの正月映画だった!確か中学1、2年位で初見は何が何だかわからなかった。一夜の物語が色々交差してるのも後で見直して『なるほど!』と。まだビデオもない時代、ぴあを見てはリバイバル上映している所行ったな。最後に劇場で見たのは銀座だった。
●シネ・ヌーヴォでピーター・グリーナウェイ『プロスペローの本』(1991)楽日に。この時点での監督の集大成にして、よくぞまぁ…みたいな壮大な実験映画。初公開が正月映画だったのが今となっては信じられんw そして監督の映画は音楽以上にサッシャ・ヴィエルニーのキャメラの存在の大きさを感じた。 pic.twitter.com/mZ3JONUGeE
返信先:@theatre_ginkgo正月映画用のハナ肇さんとコント55号のそれぞれ主演の喜劇映画を、同じスタッフで無理の無いスケジュールで掛け持ち撮影を行うという離れ業もやり、その仕事が認められれば自分の企画が通りやすい…と語ってましたね。
82年の松竹正月映画は、ジュリーと田中裕子をゲストに迎えた『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』と、この『つっぱり清水港』の二本立て。この寅さんは新宿松竹で封切りで観ているので、この前田陽一の映画も観てるはず。なのに、まったく覚えていなかった。なるほど、そういうことかと思える映画でした。 pic.twitter.com/Yd69w3eQKv
バイクで列車に飛び移るシーン、ヘリコプターのシーン🚁は凄いですよね、正月映画でとても豪華なアクション映画でしたね、お気に入りです😃🎬👏
ジャッキーマラソン24作目 #ポリスストーリー3 香港映画初のジャッキー肉声字幕版 「広東語でいいわ」 「それを聞いてホッとしました」 今となっては🥲 ボスは誰かに似てると思ってたけど光石研だ!😁 ポリスト4部作中唯一「英雄故事」が流れない #ジャッキー・チェン