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近衛バカ麿はその通り。統制派は永田鉄山斬殺前後で変容。つーても統制・皇道派ともに一夕会理念だけれども東條は中央官衙勤務が実は少ないので、開戦までの東條については軍政に関して全部武藤章に丸投げ。後期統制派の主軸は武藤章と石井秋穂(池田純久)の系譜。一夕会は小川恒三郎存命なら違ったね。
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その寝技時に、陸相候補筆頭だったのが他ならぬ武藤章義父の尾野実信で、尾野は田中義一に出汁に使われた。武藤章が反長州閥(宇垣閥)になり永田鉄山直系の統制派のエースになる一つのネタがこれ。陸相候補になる実力者尾野コネ人事の裏面。
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陸軍統制派の代表だった永田鉄山はヨーロッパ駐在時にそれを痛く痛感したので、 社会福祉の充実や、兵役終了後の兵の再就職応援や、 除隊後の仕事の役に立つ「資格取得」の支援などなどについても構想を練っていたというのに、 100年前の人間より頭悪い自己責任論者って何なんだ
一言物申したいカバさん@Cannot_Kaba
二度の世界大戦で有効性が証明されたが、 「社会福祉を充実する事は総力戦での銃後の士気を高め、ひいては前線の士気をも高める」 という事も解っている 第一次世界大戦でドイツ軍が1918年前半までイケイケだったのに総崩れしたのは福祉不足が一因 ヒトラーが死ぬまで抗戦を続けられた理由はその逆