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江戸時代でも、武士と口論になった町人が武士の脇差奪って「相手がビビって『これで許してくれ』って差し出してきた」と言いふらしてたら、後日相手に乗り込まれて一家全員斬殺された事件があったそうな。名誉傷つけると最後はそうなるんよね
現代でもアメリカあたりなら、警官の銃を奪って逃げだしたらその場で無礼討ちされそうではあるよね。 togetter.com/li/2366118#c13… 「江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹..」togetter.com/li/2366118 にコメントしました。
これでもまだ大人しくなったほうなんだよなぁ。赴任一年で年貢徴収煮来た代官(高僧)を下馬しなかったという難癖つけて数人で殺 害した(.. togetter.com/li/2366118#c13… 「江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹..」togetter.com/li/2366118 にコメントしました。
.@ojisan_think_so ブシシシシシ…! togetter.com/li/2366118#c13… 「江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹..」togetter.com/li/2366118 にコメントしました。
.@rrecter まぁ今回の犯人も自分のあった詐欺被害については ストーカー法で阻まれたあたりで法治に疑義が生じた部分もあるのかなって togetter.com/li/2366118#c13… 「江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹..」togetter.com/li/2366118 にコメントしました。
江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹聴したら一家全員惨殺された話…他人の名誉を傷つける危険性 - Togetter togetter.com/li/2366118.
江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹聴したら一家全員惨殺された話…他人の名誉を傷つける危険性 togetter.com/li/2366118 #Togetter @togetter_jpから むしろ「無礼討ち必須案件」みたいなパターンだな……なお手続きからは逃げられない現実は非情である。
抜き差しならないところまで矜持に傷をつけてしまったんやな刀だけに 家族まで不幸にしてしまう不躾さは慎むのがよいね武士だけに togetter.com/li/2366118#c13… 「江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹..」togetter.com/li/2366118 にコメントしました。
真田さんと鞠子様に思いを馳せてたら、高校剣道部時代に稽古でやらされてた組み打ちを思い出して、あれはなんだったんだ?と調べてみたら、江戸時代の剣道では有効(現在は禁止)とされてたらしい… え…?私何…?武士…? pic.twitter.com/Q30jxpiwYj
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中世日本人は名誉に厳しいからな、戦国時代の南蛮人の宣教師だか軍人が書き残してるけど日本人は傭兵としては粗食に耐え滅茶苦茶強く最.. togetter.com/li/2366118#c13… 「江戸時代に武士と口論になった町人が渡された脇差を持ち逃げし「侍に勝った」と吹..」togetter.com/li/2366118 にコメントしました。
俗説と言う入り出鱈目です 武士も罪を犯しません 江戸時代は道徳的価値観が広く深く浸透しており、犯罪発生率が非常に低かったのです 犯罪が少なかったのは暮らしが豊かだった事もありますが、 江戸時代の人は教養が高く、他人に迷惑をかけて生きて行く事を良しとしませんでした
返信先:@ESPRIMO7「日本人は罪よりも恥を気にする」とかいう俗説も、日本における仏教の影響を軽視し過ぎた誤謬だと思うんですよね。 仏教の影響が濃厚だった江戸時代とかは、みんな仏教的な罪を気にしていましたよね。
江戸時代の武士の日記で 「今日から酒をやめようと」始まって すぐに「また飲んでしまった」と書いてるのがあるんですけど 人間臭くて好きなんですよね 意思が弱くても すぐ負けて良いんですよ 鯛の塩麹 不定休ですよ 17時半~12時~3時の営業です 12時~3時でノーゲストになったら閉めますよ pic.twitter.com/TwFmLGMC6Z
箏は奈良時代(西暦710年~794年)に日本に伝わり、時を経て日本の文化と音楽に欠かせないものとなった。江戸時代には、箏は日本の貴族や武士階級の間で人気が急上昇した。茶会、歌会、芝居など、エリートの文化的・社会的活動に欠かせないものとなった。熟練した箏の奏者は、日本で高く評価された。 pic.twitter.com/Eo8sIAQXum
返信先:@matsubarajin731他1人政治家は現代の「武士」です‼️ 岸田文雄首相は、 わざわざアメリカで向き、 日本人を代表する立場にありながら、 自ら辱めを受けました。 江戸時代なら、 「切腹」ものです。
明治以前、江戸時代の庶民は「宗門人別改帳」という村・町ごとに作成された民衆調査の台帳や、お寺の作成した「過去帳」に記入され戸籍制度の役割を果たしていました。武士については「分限帳」と呼ばれる武士の名簿のようなものが藩ごとに作られています。それを明治政府は「戸籍」として再編成し、徴…
国家の根幹を家族(戸籍)に置いたのは、第一義的に万民帰一。そして万民帰一の背景には徴兵制整備による近代軍隊整備だから(大江志乃夫)。近代史的因果関係抜きのナラティブ化は本邦観念右翼の特質。
☆江戸の暮らしを優しいタッチで描くショート連載!!『江戸時代のちいさな話 暮らしのスケッチ帖』(笹井さゆり) 武士の魂を小粋に華やかに仕上げる職人の技をみよ!! pic.twitter.com/JaDeYQkOJD
江戸時代の武士男性を育てていたのは父親や有識者の教育だと思うが、現代の男性はどうしてその男性を育てる責任から逃げているのだろう? 人として大事な事、特に力の強い男性としての教育は男性がする方が分かりやすいはずなのに。 関わらないと教育等できないのに。親なのに何故しない男性が多いの?
『 #大吉原展 』より。吉原って何?② #宮川一笑 『吉原風俗図』(元文(1736~41年)頃、 #千葉市美術館 )この作品は江戸時代前半の吉原を描き。最高位の遊女である太夫が闊歩し、武士たちがこの魔境で遊んでいた頃の吉原を知る貴重な一枚です。 #東京藝術大学 #東京藝術大学大学美術館 #展覧会 pic.twitter.com/4hl4JrMhzv
日本の国会議員も江戸時代の武士のように高い矜持を持ってもらいたいものだ。江戸時代に役人の汚職はほとんどなかったし。日本の民には民主主義とはどのようにものかを理解して欲しい。 まあ、未だ選挙で現ナマが乱舞するようですから、無理とは思うけど。
1612年の今日5月13日は関門海峡の巌流島で宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したとされる日。宮本武蔵は江戸時代初期の剣術家で二刀を使う二天一流兵法を生み出しました。戦国時代の武士ではないので、宮本武蔵の実績は命をかけた剣術試合によって残されたものです。
江戸時代の藩でも茶坊主枠は下級武士の出世の窓口として活用されたところがある。 本来ならば御目見え以上の家格でないと側近になれないが、茶坊主になることで身分を超えた存在として扱われ側近になることができた。
5月半ばとなり衣替えの時期ですね。DICカラーガイド日本の伝統色には衣服に関する色もあります。本日は江戸時代の武士が着用していた「熨斗目」の色を紹介しますね。 #生地 #色彩 #デザイン pic.twitter.com/AnqcGp6vaF
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間‼️🥹 讃岐神風ツーリング 〜多度津港旧外港東防波堤編〜 江戸時代、金刀比羅宮への参拝客や北前船の停泊する港として栄えた多度津港 武士を頂点とした身分制度のあった時代、自分の才覚と努力で、大金持ちになれるチャンスをつかむことのできる庶民の夢物語 pic.twitter.com/dvDxznFXl5
武士や商人などの身分階級があった江戸時代でも 商人が一番下の位だった 世界で商売の場合 ユダヤ人も世界から憎まれていたお金を稼ぐ人は憎まれやすいのかもしれないそんな時代はつい最近まであったのだ 人類史はとても短い歴史は勉強になるだろう 知恵になるだろう
お前ら垢抜け垢抜けうるさいが、 語源知ってんのか?🚬 まず垢抜けるとは 江戸時代に使われるようになった言葉、 江戸等の大都市では、生活が向上、 「風呂屋」が作られ利用者が増加 元々は、武士や豪商等、特権階級の物だったが、江戸時代には庶民も風呂を気軽に利用できるように、… pic.twitter.com/3jAmP3FOKO
タイムスクープハンターの何かの回でやってたけど、当時の日本人誰でも成人は腰に脇差差してたし(江戸時代は武士の子は子供のうちから差してた)、メンタルほぼ武士道で、つまり惣村の構成員の喧嘩が村全体の戦争に発展して石投げ合って殺し合ったって。 あと烏帽子は取っちゃ駄目。
この関係で「こう言う武士云々精神論の話 日本人の殆どが農民なはずなのに、なぜかエリート意識を持つんだよね しかも良い面だけ取り繕う」という投稿があります。確かにその面があります。 しかし歴史的には庶民も仇討ちをしたり、武芸稽古したり、武士を理想の規範とする意識も確かに存在してます
ヤクザの倫理がある意味武士をモデルにしていたりと、身分を問わず日本人全体に影響を与えてるのも事実ですよね。(そもそも江戸時代初期以前なら自力救済社会の度合いが高く、庶民層も舐められないようやられたらやり返す、または強い者の庇護下に入るわけで、武士もそれ以外もあまり違いはない)
返信先:@supers_vikings配信で、語ってありがとうございます。あんなか侍マラソンは江戸時代、中山道 安中の武家屋敷から碓氷峠(軽井沢の熊野神社)まで、武士か競うものから、始まり。山を走るのが、箱根駅伝が初めてかなと思いがちですが、安中が山を走るマラソン、マラソン発祥です。安中から碓氷峠までは30キロです。
東京国立博物館蔵美しい着物達だそうです 日本の着物の起源は江戸時代の小袖(こそで)で、もとは宮廷貴族や武士が下着として着ていましたが、江戸時代には次第に経済力のある庶民の家庭に普及し、当時の最先端の織物染色技術が導入され、ますます華やかで洗練されてきました。#着物 #旅です pic.twitter.com/rt2jYVIxpc
江戸時代の町人文化について「おもろいなぁ」と感じることが多いが、江戸時代を手放しで礼賛する人たちには、抵抗を感じる。圧倒的多数を占めていた農民たちは、汗水流して作った米を自由に食べることができず、「年貢」(税金)として、少数者である武士たちに搾取されていたのが、江戸時代。
短編のアイディア自体はある。 ……けど、それを実現できる素材が無いんだ…… 例えば、現代に江戸時代の武士だか農民だかがタイムスリップしてきた話を作ろうとしよう。 武士だか農民の立ち絵がまず存在し無い!! 自分で描くと、1枚1ヵ月かかるからリソース不足! こんな感じで、実現できず。
森鷗外は趣味の古書漁りで江戸時代の武鑑(武士人名録)を蒐集するうちに、弘前医官渋江氏蔵書なる朱印のある本にしばしば出会い、医師という自分との共通点への興味からか、これをきっかけにして史伝「渋江抽斎」を記した。
返信先:@cheetaro3江戸時代でも、武士と口論になった町人が武士の脇差奪って「相手がビビって『これで許してくれ』って差し出してきた」と言いふらしてたら、後日相手に乗り込まれて一家全員斬殺された事件があったそうな。名誉傷つけると最後はそうなるんよね