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返信先:@nordlys1966沢田教一の本でしたっけ?沢田教一に憧れた報道写真家・一ノ瀬泰造の本という認識でした。ちなみに1999年に映画化されてます😌 amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E9%9…
返信先:@SniperSceneライカはM3とかも気になる存在でしたが、カメラショーでR4を見て気に入ってしまい、やばかったです。中身がミノルタと知って一気に熱が冷めましたが… M3とかは、沢田教一さんの本を読んだのがキッカケかなぁ…
テロルの決算、からの Aの調書 沢木耕太郎さんの講演を聞きにいった時のテーマが、サイゴンの沢田教一さんについてのお話でした x.com/kinomaco/statu…
ピューリッツァ賞が話題になっていたけど、過去の日本人受賞者は次の3人。 ①長尾靖「浅沼社会党委員長の暗殺」(1961) 日比谷公会堂での党首演説会で、社会党の浅沼稲次郎委員長が17歳の右翼少年に刺殺される決定的瞬間を撮影。そのとき長尾のカメラに残っていたフィルムは最後の1枚分だった。 pic.twitter.com/QtUFMDJxhk
②に関して,日本人受賞者の沢田教一さんと酒井淑夫さんはともに米国の通信社 UPI の所属だった。 日本人初の受賞者,長尾靖さんは当時毎日新聞社所属だったけど,例の写真が UPI から配信されたので対象になったのかな(よう知らん)。
一度調べたことがあるが、しかも全員受賞年齢が若い 長尾靖(31歳) 沢田教一(30歳) 酒井淑夫(26歳) やっぱ位置取りとかもそうやけど戦場カメラマン的な要素もあるし、体力勝負なんやろなぁ x.com/kinomaco/statu…
ピューリッツァ賞が話題になっていたけど、過去の日本人受賞者は次の3人。 ①長尾靖「浅沼社会党委員長の暗殺」(1961) 日比谷公会堂での党首演説会で、社会党の浅沼稲次郎委員長が17歳の右翼少年に刺殺される決定的瞬間を撮影。そのとき長尾のカメラに残っていたフィルムは最後の1枚分だった。 pic.twitter.com/QtUFMDJxhk
18年前角川から新しい雑誌が出て、知人が携ることになり、一行詩という頁に投句したことがある。 この沢田教一さんの写真や一ノ瀬泰造さんの遺品カメラが展示されているベトナムの戦争証跡博物館のこと等を詠んだ ニコンの背に銃痕ひとつ仏桑花 メコン遠雷天井高き古ホテル 特選であった。懐かしい x.com/kinomaco/statu…
銃撃直後、美しい青空と星条旗はためく下、拳を何度も突き上げ「共に戦おう」と雄叫び上げたトランプ前大統領のワンショット、この素晴らしい一枚を切り取ったのがフォトジャーナリストのエヴァン・ヴッチ氏、キャパや沢田教一ら命を賭して撮った写真群今見ても胸に迫るものあるが、久々凄い写真目撃! pic.twitter.com/4eQlcBGtBu
沢田教一氏の展覧会に、たしか10歳頃に母親に連れて行ってもらったことがある。まだ沢田氏が撃たれて亡くなってから10年後くらいのことで、ベトナム戦争もまだ記憶に新しい時期だったのだろう。M16をついて祈る通信兵の写真が記憶に残っている。 pic.twitter.com/fZ8sZlBGpX
私が難波・大阪高島屋での写真展『写真家沢田教一展 その視線の先に』を観に行った際に買ったもの。該当部分によると…… ・1965年9月6日、ビンディン省クイニョンの北20キロ ・この一枚で沢田は世界的有名人となった ・沢田は後に写真の親子のもとを訪ね、賞金の一部を贈った
RT 沢田教一『安全への逃避』。1966年度ピュリッツァー(ピュリツアー)賞受賞(報道写真部門)、第9回世界報道写真展大賞受賞、1966年度米海外記者クラブ賞第1位、第23回USカメラ賞受賞……と総なめにした。『戦場カメラマン澤田教一の眼』のpp112-113にも収録。
RTS 「①長尾靖」は昭和の政治社会史を紐解くとき必ずといっていいほど出てくる。最初見た際、写真が不鮮明で何の場面か分からなかった。鮮明な写真を見て衝撃を受けたことを覚えてる。「②沢田教一」も広く知られた写真。沢田は青森出身。友人が、好きな写真家の一人にあげていたっけ。③は初見。
こちらは知らなかった。浅沼委員長の暗殺は写真タイトルで、沢田教一の受賞作はカメラマンの名前で覚えていた。 x.com/kinomaco/statu…
②沢田教一「安全への逃避」(1966) ベトナム戦争下、サイゴンの農村で米海兵隊による爆撃から川へ逃れた母子の姿をとらえた。沢田は1970年にカンボジアで被弾して死亡。 pic.twitter.com/PwJjYQ9RAU
ちなみに日本人では沢田教一氏が日本人二人目のピューリッツァー賞を受賞しているが34歳という若さで戦地で没している。 ピューリッツァー賞というタグが出たのは多分某大統領候補襲撃の画像からだとは思うけど、受賞は命懸けの報道写真である… なんか軽々しいタグの付けられ方を見るにつけ(文字数
返信先:@hanada_miki追い詰められて河を泳いで渡る母子の姿であり、背中を焼かれて裸足で逃げ惑う女の子の姿でした。」 これは五十嵐匠監督の映画にとりあげられた沢田教一さんの事ではないでしょうか。寸劇からこの記事にたどり着きました。
返信先:@Nwc7PiKrE547865他1人正直言うと沢田教一さんのベトナム戦争の有名な写真も思い浮かんだのですがそれより先にあの2ショットの写真がパッと思い浮かびました🙄 多分、キューバ危機の件で話し合いをしたのかと思います。