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まだまだ自分の先祖とか氏神のことは気になることがいっぱいあって 石上神宮で物部氏の祖が祀ってる布都御魂大神は、そもそも国譲りの時に武甕雷神が持ってた剣のことで なんで国を奪われた出雲側が、奪った天孫側の剣を祀ることになったのかが気になる
私は物部氏の祖である伊香色雄命が石上神宮で大切に祀った神を氏神に持ちつつ、 苗字元の先祖は物部家に対する裏切り行為をした可能性がある家系っていうなんともどっちと捉えて良いのかわからない系譜があるようですわ
複雑なんだけど 私の氏神→物部氏が石上神宮に祀っていた神様 藤原家→物部家を傘下に下し、徐々に政権から追いやったとみられる。 そのくせ自分らの氏神、春日大社には天児屋命とともに武甕槌神タケミカズチや経津主神フツヌシらをまつってる(石上神宮で物部氏が大切に祀っていた神か)
布都御魂は物部氏が祭祀する石上神宮に祀られてるから物部氏との関係性は深い。 布都御魂は中臣氏(後の藤原氏)の氏神。 中臣氏は蘇我入鹿を暗殺し、蝦夷を自殺させた 物部氏は先住民族である蝦夷と共存してた→友好関係? 個人名の蝦夷(蘇我)と民族の蝦夷(現アiイiヌ含)ここごっちゃになりやすい
石上神宮は、ニギハヤヒの子・宇摩志麻治(ウマシマジ)を「当神宮祭主(さいしゅ)物部氏の祖神」 「七支刀」(しちしとう)は、武器ではなく祭事や儀式に用いられた儀刀あるいは呪刀 🧌河童も出てきたけど😅 pic.twitter.com/A6gQ6iRShj
めも ◉戸谷学氏 ●饒速日命(にぎはやひのみこと)と先代旧事本紀(くじほんぎ) 物部氏の祖神は布留大神(ふるのおおかみ) 出雲を屈服させた物部系の経津主命は 祖神の名にちなんで 名付けられたか? 大神を祀る神社は 石上神宮(いそのかみ) ●三代神宮 宇佐神宮 石上神宮 鹿島神宮
石上神宮(奈良県 天理市)延喜式内社 大和政権の有力者物部氏の氏神であるとともに武器庫であったとも言われる。国宝「七支刀」は教科書で見たやつで「おー、ここにあるのか!」 神の使いである鶏(烏骨鶏と東天紅)が元気に鳴いて迎えてくれました🙂 pic.twitter.com/ZAPVtQyT97
久しぶりに、石上神宮をグーグル地図で開くと、小生の写真が正面に来たままで。 小さな自慢です。 #物部氏 maps.app.goo.gl/GghsRXru82F9KJ… pic.twitter.com/Yojb4a8CQp
私見では、江戸時代以前には石上神宮も、山邊郡川原城村(郷)も存在しなかったと考えます。石上神宮を新たに建立するにあたり、代々この地に住んで祭祀を務めた神官の存在が必要になった。そこで物部氏の系譜を引く川原城主の伝説を作り、明治初期に元の石上村を川原城村にしたのではないでしょうか。
返信先:@Om5Tk753Ps壬申の乱で天武「大海人皇子」南朝につきました。また彼の田原本町にある神社の末社に何故か「物部氏」祭祀といわれている「石上神宮」があるんですが矛盾してることはご理解頂けるかと。 また「大多羅」から「多々羅」。多々羅は「鉱石」関係の言葉で「タタラ製鉄」。「出雲」ですね。「済州島」も→
返信先:@kyuusyuha_001天理市、石上神宮に行った時に通りましたが凄く不思議な雰囲気の町でした。 1枚目は古代豪族・物部氏の氏神の石上神宮、2枚目は天理教の本部、3枚目は商店街のお店、神道のお葬式の喪服?4枚目は商店街、厳かな和物の店が多かった。信者用のマンションも県別でたくさん建っていました。 pic.twitter.com/xwxTZKRcQ5
天理教のおぢば(本部)は古代物部氏に関わる石上神宮ゆかりの斎場だったという説があるのですが、当時、石上神宮から天理教本部方面を見下ろして、それは本当かも知れないと思いましたね。
そういえば四半世紀ほど前に、この写真を撮ろうと思って教祖の墓地に参拝したことがありました。因みにこの時初めて石上神宮にも参拝して御朱印をいただいた記憶が。>RT