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大前提の縄文人の行動範囲の広さに関する認識。 本土から数十キロ離れた神津島の黒曜石の往復運搬。 勿論、必ずしも個人の移動範囲とは違うだろうが、1万年(100世紀!)以上の時の流れの中での延べ人数を考えれば、朝鮮半島へ渡った縄文人もそれなりの数になっただろう。x.com/miroc75118370/…
文化圏、交易路との関連 縄文時代の神津島の黒曜石の伝搬は有名だが、北海道、長野、島根などにも産地があったそうだ。 それにしても、本土に産地があるのに神津島まで往復運搬したのだから、たいしたものだと思う。 rekitan.seesaa.net/article/201809…
人間が進化し続けてきたとなんとなく思い続けるのはまずいのかもしれない。 縄文時代の人たちが黒曜石を求め、60Km近く離れた神津島と伊豆半島を往復運搬した、その身体能力や感性を想像しながら、子どもの自殺やアトピーの増加などを思うと、退化してると思われる部分にも注意を払う必要がありそう
縄文時代の神津島の黒曜石の伝搬は有名だが、北海道、長野、島根などにも産地があったそうだ。 それにしても、本土に産地があるのに神津島まで往復運搬したのだから、たいしたものだと思う。 rekitan.seesaa.net/article/201809…
縄文時代の神津島の黒曜石の伝搬は有名だが、北海道、長野、島根などにも産地があったそうだ。 それにしても、本土に産地があるのに神津島まで往復運搬したのだから、たいしたものだと思う。 rekitan.seesaa.net/article/201809… pic.twitter.com/denkqiI0HK
縄文時代の交易範囲を見ると、運搬スピード次第ではあるが、リレー式運搬網があったのは確か。 神津島から伊豆半島まで60Km近くを航海できるのだから、その移動力を駆使した「クニ」同士の接触はあったのだろう。 北海道にある「クニ」も、代々受け継いだ経験から、サハリンまで通じていただろう。 pic.twitter.com/Ys5PRr1o2s