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慶応3年12月25日、老中稲葉正邦の命を受けた庄内藩を主軸とする幕府軍は、不定浪士らが江戸市中に騒乱を巻き起こしている黒幕が薩摩藩であるとして討伐を決意、三田の薩摩藩邸を襲撃しました。後世に「薩摩藩邸焼討事件」と伝わる事件が起こった日です。… pic.twitter.com/xx4iftWqe8
今からちょうど160年前、元治1年4月11日、「幕府、所司代稲葉正邦を老中に任じ、桑名藩主松平定敬「越中守」を所司代と為す。特に定敬を旧に依て溜詰に班す。横浜鎖港談判使節池田長発等、パリに於て、駐仏イタリア公使の日伊条約締結要求を拒否す」。
淀藩主・稲葉正邦は鳥羽・伏見の戦いで幕府を裏切った。 旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いでの態勢を立て直すことに決め、戦場に近い淀城にいったん入ろうと陸軍奉行・竹中重固は淀藩主・稲葉正邦に入城の許可を求めます。ところが、徳川慶喜側近で老中・稲葉正邦は拒否、旧幕府軍は敗走します。正邦の先祖
神道事務局(神道本局・神道大教)初代管長稲葉正邦卿の「終始一誠意」の書が大神教本院に掲げられていた。大神教が神道本局に所属していたことの縁だろう。単に「神道」と書かれているのは神道本局の略称名である。 pic.twitter.com/VmMoaiGwab
返信先:@madaraiguana他7人和風キリスト教の強い影響下。 篤胤の後継者が平田鐵胤(明治天皇の侍講)。 平田鐵胤の弟子が稲葉正邦。 神道事務局の初代管長が稲葉正邦。 神道事務局の神職養成所が皇典講究所 =神社本庁と國學院大學の前身 =和風の神学校。 神職試験が平田篤胤説である皇典講究所の卒業生が、大本教の出口王仁三郎
鳥羽・伏見の戦いで劣勢となった旧幕府軍は淀城へ撤退。 淀城は老中・稲葉正邦の居城だったが、淀藩は新政府軍に寝返り旧幕府軍の入城を拒否😱 さらに旧幕府側だった津藩も新政府軍へ寝返り、旧幕府軍を砲撃❗ 津藩から思いもよらぬ攻撃を受けた旧幕府軍は総崩れとなった🔥 #青天を衝け #大河ドラマ
鳥羽・伏見の戦いで掲げられた錦の御旗🎌 これを見て旧幕府側は戦意喪失☝ 西郷どんでは大久保利通がでっちあげた偽物のように描かれていたと思うが、調べてみたら昔からあったみたい💡 ただ、デザインに決まりが無かったらしい。 「多分こんなんやろ!」みたいなノリで作られたのかな😆 #青天を衝け