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糸居五郎「昭和の初めに、中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズが<山寺の和尚さん>を、当時としては、モダンなビートでもってやったわけです。こういったものを何十年かたって、現代ふうに置き替えたのが<ナイアガラ音頭>…そんな感じですね」(1976)*8 sonymusic.co.jp/artist/EiichiO… pic.twitter.com/OwBjKUM0uj
返信先:@masakow_radio実は私もあんまり糸居五郎さんについては詳しくないんですよ、ただ、熊本のDJさんが、1973年6月に開催されたオールナイトニッポン主催の第1回全国DJコンテストに応募し、優勝。当時ニッポン放送アナウンサーだった糸居五郎とともに、アメリカで行われたDJ会議へ日本代表として参加されました pic.twitter.com/UABvcuHreH
ファンタジー/岩崎宏美 糸居五郎がアメリカのDJ形式でヒロリンの曲を紹介するアルバム は~い元気ですか!?僕はモチロン元気ですYO! 糸居五郎です! #キュウオン pic.twitter.com/TCnhzKohbf
AMラジオの周波数がまだ9の倍数になってない オールナイトニッポンの2部が糸居五郎さん 朝の番組にアンコーさんの名前や、くり万太郎さんも 円蔵襲名前だから「円鏡のハッピーカムカム」 NHKで夜8時から浪曲の番組やってる テレビの大相撲の開催が蔵前国技館 70年代のラテ欄面白い
【あの日のラテ欄】昭和52年5月11日(水) 過激かつマニアックな『タモリのオールナイトニッポン』。ある時、放送内容が直前でも決まらず、キューシート(進行表)は白紙のまま。それを手にタモリは即興でしゃべり続けた。話題を呼んだ赤塚不二夫への〈白紙〉弔辞の約30年前のことだった。@retoro_mode
糸居五郎さんのおーなーぃっとにぽーん、ゴォゴォゴーえーんどごーず、おんー! 後に糸居五郎さん、みゆきさんのオールナイトニッポンの二部を亡くなる直前までやってた
【あの日のラテ欄】昭和52年5月11日(水) 過激かつマニアックな『タモリのオールナイトニッポン』。ある時、放送内容が直前でも決まらず、キューシート(進行表)は白紙のまま。それを手にタモリは即興でしゃべり続けた。話題を呼んだ赤塚不二夫への〈白紙〉弔辞の約30年前のことだった。@retoro_mode
糸居五郎さんのおーなーぃっとにぽーん、ゴォゴォゴーえーんどごーず、おんー!
【あの日のラテ欄】昭和52年5月11日(水) 過激かつマニアックな『タモリのオールナイトニッポン』。ある時、放送内容が直前でも決まらず、キューシート(進行表)は白紙のまま。それを手にタモリは即興でしゃべり続けた。話題を呼んだ赤塚不二夫への〈白紙〉弔辞の約30年前のことだった。@retoro_mode
返信先:@bansho_akane他1人ニッポン放送ではこの日、高嶋秀武・くり万太郎アナの60時間マラソンDJをやっていたんですね。糸居五郎の50時間を上回る記録でしたが、通常の番組の中で放送されていたとは知りませんでした。
Go Go Go and Goes On! モチのロン、糸居五郎さん調で♪ なんと自分は糸居五郎さんの享年を超えてしまったと知る。 “フル点” なんて、死んでも言いません(笑) 1987年撮影 #55の日 pic.twitter.com/DzwOgNeSOq