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#タイタニック号 #Titanic110 興味深いのは後に日本人の卑怯な振る舞いを証言したと言われてれるビーズリー氏と、その証言により新渡戸稲造などから無用の中傷を受けた細野正文氏の証言が、同じ記事に掲載されたという事 細野氏のその後の事を考えますと、これは何という皮肉か… pic.twitter.com/1FSwN8fLDj
返信先:@551_confucius細野正文氏、ミュージシャンの細野晴臣さんのお爺様ですね。晴臣さんは日本のロックの長老みたいな人なので正文さんが生き延びなかったら、日本の音楽も変わったかも。 pic.twitter.com/g9EVuFNXGe
#今日は何の日 #タイタニック号 #Titanic112 1912年:朝日新聞の記事 カルパチア号のニューヨーク到着を報道 ニューヨークタイムズ初報の誤報内容を指摘 流氷海域を通る客船の航路の変更、船に日本人(細野正文)が乗船してたのをタイムズ特電経由で報じました (外務省からの発表ではありませんでした) pic.twitter.com/Ng89w9Zyq8
#昨日は何の日 #タイタニック号 #Titanic112 1912年4月19日:朝日新聞のタイタニックの記事 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が弔電発信 細野正文氏の乗船がここで初めて報道 また救命ボートの欠陥や保険金の支払いが報じられている pic.twitter.com/zlqXYXwY5m
#タイタニック号 #Titanic112 細野正文は衝突後、日本人という理由だけで3等の通路に連行、2等の旅券を見せてなんとか甲板に上がった 最後のボートが下ろされる時「あと2人乗れる」という船員の声が聞こえた 男性客が飛び込むのを見て、後ろから短銃で撃たれる覚悟で飛びこみボートに乗って生還した pic.twitter.com/V8PH2w4vH1
#タイタニック号 #Titanic112 二等船客には鉄道院在外研究員の細野正文氏が乗船していた 海外出張で太平洋回りで帰国の途に着く為に乗船 一等の乗船券を買えるほどの旅費を持っていたが、英人社交界としての場でもあった一等の切符は日本人であった細野に購入する許されなかった(画像の書籍より) pic.twitter.com/BhXF8Nx70f
タイタニック・続き)1912年、第1回鉄道院在外研究員としてのロシア・サンクトペテルブルク留学の帰路に、タイタニック号に日本人ではただ1人乗船していたのが細野正文・沈没時に彼は救助。あのYMO細野晴臣の祖父。器 pic.twitter.com/KNRb9l12nu
タイタニック・続き)1912年、第1回鉄道院在外研究員としてのロシア・サンクトペテルブルク留学の帰路に、タイタニック号に日本人ではただ1人乗船していたのが細野正文・沈没時に彼は救助。あのYMO細野晴臣の祖父。 pic.twitter.com/3svLfaewVB 三千里薬品3000ri.jp
☝️本日『タイタニックの日』 タイタニック号と言えば、これに乗船した唯一の日本人の 新潟県上越市出身の細野正文氏。 そして、その孫が細野晴臣さん。 細野晴臣さんと言えば、YMOですが、 私は聖子さんの楽曲に細野さんが起用された印象のほうが 圧倒的に強し! youtube.com/watch?v=lyyPTP…
1912年4月10日、タイタニック号がイギリスのサウサンプトン港からアメリカのニューヨーク港に向けて出航しました。 周知の通り、タイタニック号はこの5日後に海上の氷山に衝突し沈没します。 また、乗船客の中には唯一の日本人で鉄道官僚の細野正文がいました。 pic.twitter.com/owBLuzf6NS
タイタニックが話題だけれど、実は日本人でひとりだけ沈没から生還した人がいて、その人は新潟県上越市の出身でYMOの細野晴臣さんの祖父である細野正文さんであることはあまり知られていない。画像は細野正文さんが救助された船の上で書いた遭難手記。 pic.twitter.com/ZCAuikGsrM
1912年4月10日、タイタニック号がイギリスのサウサンプトン港からアメリカのニューヨーク港に向けて出航しました。 周知の通り、タイタニック号はこの5日後に海上の氷山に衝突し、沈没します。 また、乗船客の中には唯一の日本人で鉄道官僚の細野正文がいました。 pic.twitter.com/qn8oFkSwrq