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今回追加分でちょうど読みたかった井師の評伝が入ったので、井泉水日記と併せて読んでる😇 瓜生敏一 著『荻原井泉水研究 : "層雲"創刊以前の井泉水』,オールスタッフ名古屋,1982.5. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/12464089 (参照 2024-05-02)
おはようございます。 今年の中島公園はみっちりと満開のソメイ君をあまり見かけないまま4月も終わろうとしている。寒暖差が良くなかったのかな。 なかなか悩ましい。 荻原井泉水 咲きいづるや桜さくらと咲きつらなり pic.twitter.com/tG1DIosMxo
買ったら実は著者の署名本"らしき"ものだったというのは稀にあって、この吉井勇『人間径』は300円、荻原井泉水『芭蕉日記』は100円で買ったもので、どちらも後日に開いてみたら気づきました。如何せん、自分には筆跡鑑定能力が無いので偽筆だろうと踏んでいるのですが、有識者の方いらっしゃいますか。 pic.twitter.com/EKjJOo1fAs
4月22日(月) 今朝、庭の牡丹が咲きはじめていて、花にとっては残念な雨です。 💟あしたは開く牡丹のきのうよりきよう 荻原井泉水 #haiku #4e #e植物 pic.twitter.com/UZXOgLYjQb
11/12 桜やシランが綺麗な坂道を下り、天満宮へ。 本殿は再建中で、モダンな仮殿を参拝。 筆塚近くの野見宿禰碑に出雲大社との関連を感じる。 本殿裏の夫婦樟を詣でて休憩。梅が枝餅と抹茶。 「くすの木千年さらにことしの若葉なり」 -荻原井泉水 土産はウソ鳥と天神鈴。 pic.twitter.com/fEpflmmauK
尾崎放哉 句集 (池内紀 編) 「すぐ死ぬくせにうるさい蠅だ」「よい処へ乞食が来た」「呼び返してみたが話もない」など、笑いと切なさが微妙なバランスでせめぎ合っている句が多く、心に残った。その魅力は荻原井泉水の添削に依るところも大きいことを、あとがきを読んで知った。とても勉強になった。 pic.twitter.com/ptoYnN8D4s
池近くの椿が深紅の花を咲かせています。樹下にはすでに落ちてしまったものも。 ぬくうてあるけば椿ぽたぽた 種田山頭火 *『草木塔』(1940年、八雲書林)より 山頭火(1882-1940)は、山口県生まれの俳人。荻原井泉水の『層雲』に参加。僧として各地を歩きながら、多くの自由律俳句を詠みました。 pic.twitter.com/xTMJpb458s
井師の桂子さんへの想いと慚愧の念を知ると、死にたがりの放哉への入れ込み方もわかる気がする…… 荻原井泉水 著『大地に嘆く : 随筆俳句集』,新作社,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション dl.ndl.go.jp/pid/2387761 (参照 2024-04-06)
大正時代の俳人尾崎放哉ほうさい1926(大正15)年の忌日。1885(明治18)年鳥取県生まれ。東大法学部卒。1915年、荻原井泉水主宰の俳誌層雲に参加。自由律俳句を投句も代表作の短律のものは殆ど晩年の作。保険会社で要職に就くも酒癖で退職1923年、地位や家族を捨て京都、神戸、若狭等各地を放浪。… pic.twitter.com/C4ugHtDzJ9
【尾崎放哉(おざき ほうさい)】 本名:尾崎秀雄〈おざき ひでお〉 1885年〈明治18年〉1月20日 - 1926年〈大正15年〉4月7日 日本の俳人、『層雲』の荻原井泉水に師事。 種田山頭火らと並び、自由律俳句の著名な俳人の一人、鳥取県鳥取市出身。 代表区「咳をしても一人」 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE…
この本は以前に読んだ。池内紀の編集がとても良かった。個人的には、尾崎放哉の才能を引き出した荻原井泉水の方がもっとすごいと思う。
「咳をしても一人」 今日は俳人・尾崎放哉の命日(1926年)。エリート街道の前半生と各地を転々とした後半生。亡くなったのは最後に落ち着いた小豆島でした。冒頭の句など、一度知ると忘れ難い、印象的な自由律の秀句の数々を岩波文庫に収録。 池内紀編『尾崎放哉句集』☞ iwnm.jp/311781
口笛吹かるる朝の森の青さは ◆尾崎放哉(オザキ-ホウサイ) 1885.1.20-1926.4.7 俳人 「咳をしても一人」が有名 『層雲』の荻原井泉水に師事 種田山頭火らと並び 自由律俳句の著名な俳人の一人
放哉忌 【解説】 尾崎放哉の忌日で、四月七日である。現在の鳥取市に明治十八年に生まれる。俳句は荻原井泉水に師事し、「層雲」の自由律の俳 人として活躍。大正十二年から各地を放浪し、大正十四年に小豆島の南郷庵に入る。俳句三昧の晩年を過ごし、大正十五年、四十一歳で没した #チューバ学ぶ4 pic.twitter.com/DCrGTXUgQ4
おはようございます。4月7日は、自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である尾崎放哉の忌日です。活動の場を荻原井泉水の「層雲」に求め、僧形に身をやつするなど、種田山頭火との共通点が多く、比べて語られることも。現在の東大に行きましたが、エリートコースから脱落し窮乏の内に病没しました。 pic.twitter.com/myMF97eBxU
又ころがり込んできたのが月夜の放哉か 放哉と、月は屋根の上にきたので寝る 荻原井泉水『宵待の月は寝ながら作る』(層雲1974年11月号) 亡くなる半年前に放哉との京都での思い出を夢見る井師……私の自叙伝だかで放哉が亡くなった時本当にひとりぼっちになってしまったって言ってたもんな……