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返信先:@NT1151435422296他1人外から失礼します。 間違っていたら申し訳ありません。 日本のWikipediaに弥助が初めて登場したのは2006年8月31日。 ですがフランスのWikipediaでは2005 年 11 月 22 日です。 他にも、藤田みどり著 『アフリカ「発見」 ―日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店、二〇〇五年5月27日出版)⬇️
2005 年 11 月 22 日フランスのWikipediaで弥助の情報開始(日本語で読める)。 『へうげもの』漫画としては弥助初登場(2005年8月18日開始) 藤田みどり著 『アフリカ「発見」 ―日本におけるアフリカ像の変遷』 (岩波書店、2005年5月27日発売、論文は1997年) 利用された? fr.m.wikipedia.org/wiki/Yasuke
A History of Japan during the Century of Early Foreign Intercourse (1542–1651): Murdoch, James archive.org/details/in.ern… 江戸時代における日本人のアフリカ観: 藤田みどり repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstre… 長崎奉行所判決記録犯科帳 ndl.go.jp/kaleido/entry/…
John G.Russell “Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other”からのひき写しでしょうね これも参考文献は藤田みどり氏の論文 repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/… pic.x.com/3dw8uejbzx x.com/1966k2007/stat…
弥助wiki仏語版 「弥助は日本にやってきた最初の黒人ではない。1546年、ポルトガルの船長ホルヘ・アルヴァレスがすでにアフリカ人を日本に連れてきていた。学者の藤田みどりは16世紀には数百人の黒人が日本に住み、奴隷、使用人、兵士、芸術家として働き、時には大名に直接仕えていたと推定している」
ちなみに『弥助城主候補説』はWikipedia発の情報としては一番広まったお話です。2013年6月から11年間放置され、一般の方はもちろん、歴史ブロガー・漫画家・歴史作家など軒並み信じてしまいました。 ※次点は『光秀が慈悲の心で弥助を罵倒した』という藤田みどり氏の解釈 pic.x.com/kr4c3lsbmj
弥助wiki仏語版 「弥助は日本にやってきた最初の黒人ではない。1546年、ポルトガルの船長ホルヘ・アルヴァレスがすでにアフリカ人を日本に連れてきていた。学者の藤田みどりは16世紀には数百人の黒人が日本に住み、奴隷、使用人、兵士、芸術家として働き、時には大名に直接仕えていたと推定している」
これは2015年10月、ロックリー氏(鳥取トム)が英wikipediaに書き込んだ『弥助神格化計画』の初出例が伝播したものです。 英wiki「当時の日本では黒人は差別されておらず、むしろ尊敬されていた。なぜなら日本の寺院では仏像が黒く描かれていたからだ」 参考文献は藤田みどり『アフリカ発見… x.com/dokushoa/statu…
ポルトガル語版Wikipediaの弥助ヒドイな 「日本では黒人は差別されず、むしろ賞賛されており、日本の寺院では釈迦も黒人として描かれることが多かった。[ 14 ] 」とか書いてあるけど、参考文献の藤田みどり著には当然そんな記載ないぞ pt.m.wikipedia.org/wiki/Yasuke pic.x.com/sffo9yfdq6