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【#る太】足利尊氏殿の命日まであと3日!!配信まであと6日!!そんなGW前半に1幕OPの映像をお届けします! ダイジェストや二部など既に公開中ですが、まだまだまだ見所が残りまくっているる太。その全てを余すこと無く堪能できる5/3~のる太配信を是非ご覧ください。 ◆1幕OP→youtu.be/vYWpulIcywE
ふおお🤩る・ひまわりさんが尊氏さんのご命日を記念して『る太』OPを公開して下さってます😭 壮大な曲で「託された男がいた〜♪」とくるので 「うおお✨我らが足利尊氏登場かッ🤩」と心の勝鬨を挙げたら「家時〜♪」とまんまとはぐらかされ 「フライングすみません(しゅるる…)」となったのは私です🙇♀️
返信先:@kamiya3jus17日本史わからない人が見た逃げ若 なんか鎌倉幕府が滅んだらしい…執権?将軍じゃないの?将軍ってなに? 室町幕府?足利尊氏京都から逃げてなかった?いつの間に戻ったの?室町通りってめっちゃ狭いやんなんであんなとこに幕府建てたの?(幕府って建物?) こんな感じです!対よろです!
今回は楠木正成や足利尊氏 新田義貞らが鎌倉幕府を倒すくだりでした。 いつも眠くなりかけてくるのですが負けた方のお姫様や奥方達が顔に真っ赤な焼きごてを付けられて売られて行くという話が聞こえると目が覚めます。大将達は死んだらしまいですが女の人たちは
神霊矢口渡は足利尊氏、楠木正成とともに太平記三英雄である新田義貞をテーマに少年時代から憧れ続けた平賀源内が書いた浄瑠璃である。僕にとっては、お~い!竜馬の坂本竜馬、土方歳三、沖田総司、ドラゴンボールの悟空、ベジータ、未来トランクスが少年時代に憧れた三英雄である。 pic.twitter.com/3LKdvEQCSp
今日4月27日(1333年)は丹波に入っていた足利尊氏が、後醍醐天皇に応じて倒幕を決意し挙兵した日 後に丹波篠村八幡で占いしまくっていた男がいたそうですねぇ・・・ 信長:ヤケパチさん 扇子:水道屋さん さくら屋敷:まだおPさん #MMD pic.twitter.com/aquqWWQJ1t
返信先:@nakayukky_明治時代から昭和の戦後まで 足利尊氏は名前を呼ぶのも ダメ┓(*´゚ω`)┏ だったにゃーね 今はとある漫画ではラスボス にゃーね🐈🐾💦 某は優柔不断でやる時にはやる 尊氏が好きにゃーね🐈🐾
むしろ、焼失していないからこそ、永禄末年まで何とかなった…のかも。あと面白いのは、足利尊氏御教書の一部と織田信孝文書はどうも、所領安堵を主張するため松尾社側が造ったのではという説。同時代に偽作されたからかなかなか素人には見分けがつかない。やるな…
足利尊氏、義満の御教書や室町幕府奉行人連署奉書、信長、秀吉、家康から以降徳川将軍の朱印状はあれど、地方の戦国大名の文書がない理由…シンプルな話で、応仁の乱で焼けてないんだわ。つまりは再建に地方まで勧進活動までしなくていいのよね。一度弘安8(1285)年に焼けてるけどそれくらい?
4月27日(土)夕方🌆17時32分 📰🤔今日この日② 鎌倉幕府の御家人・足利尊氏が倒幕に転じて挙兵。1333(元弘3)年 1332年、後醍醐天皇が配流されていた隠岐の島を脱出。足利尊氏が倒幕軍に加わり戦局は逆転する 1333年に鎌倉で行われた東勝寺合戦により、執権の北条高時が自害し、鎌倉幕府は滅亡
#あしかがフラワーパーク で藤の花等の花々を観てから足利駅付近のホテルに宿泊。 ホテルに移動する途中、太平記館に立ち寄り、大河ドラマ「#太平記」で足利尊氏役の真田広之氏が着装した #大鎧 を観ることにし、私も着装したいと思いながら大鎧を撮影しました。 pic.twitter.com/oBUg4C2Nbf
(続き)鎌倉幕府を倒した翌年、後醍醐天皇は年号を建武とあらためて建武の新政を開始。しかし公家を重く用いたため、武士の間に不満が。足利尊氏は新政に失望した武士たちに、武家政治の再興をよびかけて兵をあげ、建武の新政は2年で失敗。器 pic.twitter.com/Q1XnMf9uRw
今日は、1333年、鎌倉幕府の命を受け、西国の討幕勢力を鎮圧するために、司令官として丹波に入っていた足利尊氏が、後醍醐天皇の求めに応じて、倒幕を決意、逆挙兵をした日。要は、鎌倉幕府を裏切った日ということに(続く)器 pic.twitter.com/FMWhi7Fb2u
ロス民時代からの、リスナー仲間のRTを見ていると、CIAと連携して親米政府を新たに樹立出来そうな気がしてくる春の昼下がり。 今の政府を変えても仕方がないから、ポイしたらどうかしら。 国体の保護は足利尊氏ばりの南北朝方式で。
武田不動尊、武田毘沙門天か。武田信玄にしても上杉謙信にしても信仰対象はあくまで武神で武運長久のため。それにくらべ鎌倉武士は、熊谷直実、源頼朝など来世をえらく気した信仰、室町の足利尊氏の地蔵信仰も来世のことを気にしたもの。戦国時代になると前時代ほど来世を気にしなくなったのだろうか?
後醍醐天皇は、元弘の乱で隠岐に流されるも逃げだして討幕に成功し、建武の乱では鎌倉から上洛してきた足利尊氏に敗れて一度は京を明け渡すも北畠顕家らの活躍で尊氏の西国への追い落としに成功と、「ピンチになっても何とかなる」という成功体験を二度もしたのが湊川では裏目に出たのかもなぁ。
『形は足利尊氏でも』という本をつくりました! #わたしの現代新書 #現代新書60周年キャンペーン 60th.gendai-shinsho.jp/maker/books/K6… twitter.com/hirataitaisho/…
『心が楠木正成ならOK』という本をつくりました! #わたしの現代新書 #現代新書60周年キャンペーン 60th.gendai-shinsho.jp/maker/books/1K…
道鏡 どうきょう 文武天皇4年(700年)? - 宝亀3年4月7日(772年5月13日) 奈良時代の僧侶 俗姓は弓削氏(弓削連) 俗姓から 弓削 道鏡 (ゆげ の どうきょう) 平将門 足利尊氏とともに 日本三悪人
これはなかなか良い動画でした #逃げ上手の若君 【逃げ若 歴史研究者解説#01】足利尊氏は史実だと“優柔不断!?”【逃げ上手の若君】 youtu.be/rZMiEtv97-s?si… @YouTubeより