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足利義教が万人恐怖と呼ばれたけど、室町時代の将軍は、程度の差こそあれ、だいたいあんな感じだし。 細川忠興が妻を見た庭師を切っても、問題視されないのは、程度の差こそあれ、身分差がある時代は、人の命が凄く軽いという、時代背景があったのが理由なんだなあ。 だから、謀反でも殺されちゃう。
結局、唐が滅んだあと、宋に対しては平清盛が通商関係を結んだだけ 元の時は鎌倉幕府が遣元船を遣わしていたけど、通商のみ 明の時は足利義満が久しぶりに臣下の礼をとったけど、足利義教で中止。その後再開だけど、勘合貿易で通商関係。その後は大内氏が中心
戦国時代はこうして始まった──最凶最悪の将軍・足利義教の残虐な行ないが独裁を極める中、戦いは激化する! 【期間限定連載】コミック版『逆説の日本史』中世鳴動編 episode9 shosetsu-maru.com/yomimono/comic…
今回は生首をたくさん描きました。戦国時代はこうして始まった──最凶最悪の将軍・足利義教の残虐な行ないが独裁を極める中、戦いは激化する! 【期間限定連載】コミック版『逆説の日本史』中世鳴動編 episode9 shosetsu-maru.com/yomimono/comic…
#河合城 赤松氏が東播磨の拠点として築城。 喜吉の乱の際、赤松満祐が将軍足利義教の首を持って入城したことで知られる城。※石碑と堀跡 #小堀城 城主は、赤松氏の一族とされる三枝氏で、三木合戦には当城を焼き払って三木城に籠り羽柴軍に対抗するも平井山合戦で討死にしたとされる。※土塁と虎口 pic.twitter.com/9h7YbR9gWd
返信先:@11111hiromorinn他2人特筆すべきは淨土宗の重要な法要「十夜法要(俗にお十夜」)は此の寺で修められ後に淨土宗の重要行事と爲った物です。足利義教の近臣平貞經の弟貞國が世の無常を感じ十日十夜籠って念佛を修めたのが濫觴。後鎌倉光明寺の九世觀譽上人が後土御門天皇に召され宮中で修め廣まりました。
返信先:@ANDY03531521めっちゃ綺麗ですね! 聖徳太子が立てたとも言われている五重塔!別名八坂の塔ですなぁ…足利義教が再建して今の形らしいですけどね 月と夜の背景がまた映えますね🌙*.。★*゚ いいな、京都…👘
足利義教の一生をずんだもん動画化しました!ゴールデンウイークのお供にどうぞ! とても収まりそうきらないので、シリーズ化します。 まさか15分の動画で、天台座主までたどり着かないと言う前代未聞の足利義教動画になりました。次回分を作るのが楽しみです! youtu.be/jaKG4QVjtd0?si…
返信先:@nakayukky_足利義満。もしくは「花の乱」の初回に幽霊役で登場した足利義教。
南北朝合一を成し遂げた歴史上の巨人でありながら、なぜか大河ドラマには一回も登場していない足利義満。皇位簒奪説がネック?(「太平記」の最終回、赤ちゃんとしてちょっとだけ登場w)
赤松政則 嘉吉の乱において大伯父赤松満祐が足利義教を暗殺したため幕府に赤松氏は一旦滅ぼされており家臣の浦上則宗に養育された 長禄の変の結果赤松家の再興が許されると加賀北半国の守護となる一方で浦上家はその地位を確立していく 応仁の乱発生時にはこれに乗じて旧領の播磨などを回復している
『親続古今和歌集』には「行きめぐり猶この世にとたのむかな命をかぎる別ならねば」という恋歌がある。 作者は多多良持世朝臣。これは大内持世のことを指す。 極官は従四位上修理大夫。将軍に添削を求められる和歌の名手だったようだ。 足利義教や斯波義将の作品も収録されている。
▲ブー爺『AM氏来訪』①結城合戦への過程 将軍足利義教は上杉憲実を救うべく、朝敵を意味する治罰綸旨が発給し、駿河守護今川範忠らに足利持氏の討伐を命じた。足利持氏の軍勢は、離反が相次いだこともあり、幕府軍に敗れた。足利持氏は足利義教との和睦を模索したが、実現しなかった。 pic.twitter.com/MY3intLEoW
足利義教が暗殺された時の誘い出された理由がかわいすぎ!ゆうきまさみ先生「そりゃ行っちゃうよね(笑)」 togetter.com/li/1184347 #Togetter @togetter_jpより あんなに無慈悲なことしちゃうのに鴨の子供生まれたから見に行っちゃう精神はあるの何?!?