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返信先:@kazufufu1その科学分析とやらで、そもそも 奴国20000戸は説明できない 邪馬壹国は3.5倍の面積 北部九州は弥生時代を通じて、最先進地域 魏志倭人伝の記述から邪馬壹国は佐賀平野、筑紫平野 吉野ヶ里遺跡の「楼閣」に登って、見渡す限りの広大な平野。 平塚川添、久留米、佐賀 pic.twitter.com/VrO4VX1Ej9
返信先:@chino_miyuki魏志倭人伝には邪馬台国ではなく邪馬壹国と表記されているようですね。ヤマイ国って読むのかな?ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA… pic.twitter.com/Kvyfx6Qqhg
佳字もー 対馬国、投馬国、兕馬觚、邪馬壹国、伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、斯馬国、邪馬国の「馬」・・・司馬懿の「馬」 伊都国、都支国、好古都国の「都」・・・許都、京都の「都」 華奴蘇奴国の「華」・・・中華の「華」 他に、 好古都の「好」、巴利の「利」、奴佳鞮の「佳」も佳字かも。
卑弥呼がいた弥生時代 畿内は銅鐸圏国家でした 古事記に出て来るのも 神武以降です それに古墳時代でも無いのに その墓に古墳を当てようとは おかしな話だと思いませんか 私は邪馬壹国畿内説を 支持しません 当時、倭の範囲は 瀬戸内・出雲および北九州王朝 だと考えています
>元々“邪馬壹国”と書かれている 余計なおせっかいですが、以下のような史料状況があります。現在われわれが見ているのは12世紀の版本(木版印刷本)で、早い話、史料上に邪馬壹が出現するのは宋代になってからだと考えられます。それまでは邪馬臺。 pic.twitter.com/hbwDvoUvuI
そもそも邪馬台国なんて無い 元々“邪馬壹国”と書かれている ヤマイチ(ヤマイ)国である ヤマトに結びつける為に 江戸時代から“邪馬臺国”の 写し間違いだと 言ってるだけでは❗❓ これだけ探して 見付からないのなら 私は海中か火山灰の下に 埋もれていると思う つまり奈良盆地では無い🙅 という事だ
そもそも邪馬台国なんて無い 元々“邪馬壹国”と書かれている ヤマイチ(ヤマイ)国である ヤマトに結びつける為に 江戸時代から“邪馬臺国”の 写し間違いだと 言ってるだけでは❗❓ これだけ探して 見付からないのなら 私は海中か火山灰の下に 埋もれていると思う つまり奈良盆地では無い🙅 という事だ
そして、その古代イスラエルの人達が 日本に戻ってきて作った国が倭国(ゆだこく) 倭国の首都圏が邪馬台国だと思っています 邪馬台国は通称で、正しくは邪馬壹国(やまとこく) 現在の、沖縄本島が邪馬壹国だと思います。 古代イスラエルのヘブライ語で「やまと」は、 「神の民」の意味です
邪馬壹国は阿波だった! 阿南古事記研究会 2024年4月10日 三村隆範氏 youtu.be/9NQZdF5OXi8?si… まずは高天原 (天上説=地上説)と 邪馬台国(音韻学、 三角関数、鉱物資源の理系的説明) を一致させることが 何より重要ではないか? 私持論では 職業柄地位の高い人に語らせても あまり意味ない。 pic.twitter.com/OvazyrXRfH
呪をかけられると考えて、真の指導者もその居る場所を考えそうだけどね。魏志倭人伝の邪馬壹国の話は伝聞しか書いてないはず。しかも伝聞の伝聞。やたら正確な説明の阿波説はヤマトが用意した偽物ではないかな?って考えるんよ。勿論邪馬壹国のモデルは実在のヤマト王権やとは思ってる。
何度か話してますが、今は史書は自国の事は都合の良く書く。だから他国の事は嘘を吐く必要はないってのが怪しい。中華思想、冊封体制なら他国も朝貢するのが当たり前として、朝貢してなくても朝貢してますと地方役人が報告してもおかしくない。そもそも邪馬壹国は鬼道の国。正しい位置を報告するかな?
と考える人なんです。神津島の黒曜石が私の論拠ですがね。そもそも邪馬壹国が魏志倭人伝の(モデルはあるが)想像なんやと考えてるんですよね。それに邪馬壹国がどこかは金印そのものが出るか、卑弥呼の銘が入ったなんかでないと、もう決着しないでしょう。多分出ないから永遠に決着しないよね。
去年から邪馬壹国阿波説が私のYouTubeのオススメに流れて来るのです。本当に阿波に邪馬壹国があったかの様に思えるのですが、余りに狭い地域に、神話の舞台があり過ぎると思うんですよね。古代人はそんな距離は移動出来ないとの話らしいのですが、私は縄文時代ですら日本ではかなりの距離を移動出来る
魏志倭人伝において、必要な記述 帯方郡〜邪馬壹国までの里程12,000里。 帯方郡〜邪馬壹国までの日程水行10日陸行30日 邪馬台国畿内説ででは 帯方郡〜不弥国までの里程10700里を記述し、不弥国〜邪馬壹国までは日程40日+投馬国を記述する 自分には先入観から来た妄説としか言いようがない pic.twitter.com/RY2uC7mIC9
田辺氏の「邪馬壹国」評に戻る。古田氏の手法に一定の評価を与えつつも、「私の邪馬台国論はなにひとつ論旨の変更を必要としない」と明言。続いて第1書に言及。「結果的には所在論のせまい枠の中に首を突っ込んで、他の大方の論者と五十歩百歩になってしまったのは惜しい」との評。
書棚に田辺昭三『増補 謎の女王 卑弥呼 邪馬台国とその次代』という本があるのを見つけて、久しぶりに開いて見る。目次を追うとp236 古田武彦「邪馬壹国」 という項目が!初版は1968年6月20日で、古田氏の『「邪馬台国」はなかった』はもちろん、第1論文「邪馬壹国」すら発表されていない時期。
返信先:@yamato_ouken_02邪馬壹国=熊本県八代説を唱えた韓国の作家リ・ジョンギ氏は『隋書』倭国伝に出てくる如意宝珠(夜に光る青い魚の目玉)は八代湾の不知火のことだと説いたがこの現象の発生が7世紀まで遡りうるかは謎。
邪馬台国九州説 帯方郡〜邪馬壹国 ○里程 あり 12000里 ○日程 あり 水行10日陸行1月(矛盾有り) ○方角、矛盾無し 里程○○○○○○ 日程○○○○○○ 魏の使者一行は「出張復命書」「納品書受領書」を提出。 「青大句珠2枚」を含む詳細 それらの他の諸記録を合わせ、割愛し並べ替えた。
帯方郡〜邪馬壹国までの総里程12000里の考察はさておき… 不弥国〜投馬国〜邪馬台国まで片道60日往復120日掛かってしまい、伊都国で魏の使者は4ヶ月も何してたん? とか… それなら帯方郡〜不弥国までの日程はなぜ記述なし? 男女生口30人分の食糧どうする?洛陽の「臺」までに+10人位、増えてね?
返信先:@horiguchikenjiそうなんですよね しかし里程と方位の記述から、伊都国の南、1500里前後にある事、佐賀・筑紫平野のどこかとしか言いようがないのです 逆にそこから「倒置法」で邪馬壹国までの日程、「水行10日陸行30日」の起点が、帯方郡なのか、投馬国なのか、起点を捉えるしかないってことです
邪馬邪馬臺國か、邪馬壹国か、という話があるが、これも同じようなことかも知れぬ。ウッカリミスではないに違いないのだ。 「邪馬壹国」でなければならない事情があったのかも知れぬ。 またはわたしの妄想では「伊都国」が「倭国(いこく)の戸口の国」だという意味を知っていて、
邪馬壹国研究会 会長 土佐野治茂氏・雄略朝の帝都は徳島なのか その22024年4月10日 youtu.be/iBU7dmYqjy4?si… @YouTubeより pic.twitter.com/0l8cfbdaxl
返信先:@hirabaru46「邪馬臺国」か「邪馬壹国」か 「邪馬壹国」論争一覧 hyenanopapa.obunko.com/yamaichikokuro… 三木太郎氏の34,35を追加。
邪馬壹国九州説は魏志倭人伝を読めば、かんたんに辿り着く。 古○史学なんか知らなくても。 畿内説の嚆矢となる新井白石も後に九州説を採用、日本書紀の山門(ヤマト)郡の土蜘蛛の女王、田油津媛に比定した。 つまり日本書紀の記述も、邪馬壹国、女王卑弥呼は九州と暗示している。
「※2024/4/14 33を追加。」を末尾に追加しました。 「邪馬臺国」か「邪馬壹国」か 「邪馬壹国」論争一覧 hyenanopapa.obunko.com/yamaichikokuro…
古事記原文読み解けば!「邪馬壹国は阿波だった!」阿南古事記研究会2024年4月10日阿波古事記研究会副会長 三村 隆範氏 youtu.be/9NQZdF5OXi8?si… @YouTubeより pic.twitter.com/o1CP1qex6P
返信先:@hirabaru46安本美典氏の『「邪馬壱国」はなかった』(新人物往来社、昭和五十五年一月)があるが、さきの白崎氏の著作とともに、要をえた妥当な批判である。 ― ※安本書は正しくは『「邪馬壹国」はなかった』