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歴史が大好きで、 銅鏡、銅鐸、銅矛、銅剣、銅戈、石棺、石室、甕棺墓、周溝墓、環濠集落、高地性集落、遺跡、前方後円墳、前方後方墳、帆立貝形古墳などの遺物・遺構や 古代人骨 DNAデータや 古事記、和名類聚抄、三国史記の地名、アイヌ語地名 のデータベースを趣味で作っている超異常者ですよ😇
かぬそぬは尋常じゃないほどのデータ収集癖があるので、一般人から見たらただのやばい埴輪なんですけど 尋常じゃないほどのデータ収集癖は学術分野には役に立つので、かぬそぬの存在価値を見出せる世界があって本当に良かったです……🙏 (そもそもコンピュータがない時代とか絶対に生きられない😱)
歴史文化ライブラリー 7月。目次あり。 「農耕社会が安定期に入った弥生時代中期、大陸より祭器や副葬品として導入された銅剣・銅矛・銅鐸などの青銅器は、列島社会を…」 ⇒中村大介 『青銅器が変えた弥生社会 東北アジアの交易ネットワーク』 吉川弘文館 yoshikawa-k.co.jp/book/b10084596…
邪馬台国なんて東大閥と京大閥が飯の種で争ってるだけ。出雲の荒神谷遺跡から大量の銅剣や銅鐸、銅矛が出土した時小馬鹿にした京大閥の畿内説論者は特に信用ならないと思ってる。
大学入って一番驚いたのは、 「邪馬台国論争はもう解決済みです。九州説の学者もいるにはいますが、ちゃんと考古学者を名乗っている学者の9割ぐらいは近畿説です」 と古墳時代の講義で教わったことかも
今日は出雲へ。出雲大社はもちろんなのですが、それより何より出雲古代歴史博物館がすごかった! 荒神谷遺跡から出た380点の銅剣、銅矛、銅鐸はもう凄いの一言。本物の持つ迫力に圧倒されます。えらいもん見たな~😆 pic.twitter.com/pCpVwd81wl
返信先:@Ling_Benny戦後だと ・足利尊氏の評価の変化 ・銅剣銅矛銅鐸文化圏の崩壊 ・藤村旧石器捏造 ・1192→1185 ・鎖国という表現や四つ口貿易 ・聖徳太子呼称問題 など、結構あるのよね。
返信先:@CasseCool天皇(ヤマト王権)血統が1700年くらい続いてるのは確かだと思います。実権がない時代の方が長いけど、征夷大将軍・摂関政治・外戚を始め、天皇君臨を利用したのが1700。その前は銅鐸文化圏銅矛銅剣文化圏が別れているので西日本と畿内は別王朝かと。東北は平安初期までヤマト王権と関係は無いかと
荒神谷遺跡。国史跡。銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した埋納遺跡。島根県出雲市斐川町神庭(出雲国出雲郡健部郷)。各種史料で当地の情報が錯綜していますが、西出雲の王(≒大国主)が大和に服属するにあたって、加茂岩倉遺跡と同様に、不要になった宝を隠した遺跡と見るのが素直なのかもしれま… pic.twitter.com/4pGNP7MawQ
【鋳型が出土しました‼️】 すでにネット・テレビでニュースになっていますが、今回の発掘調査で青銅器を製作する時に使う鋳型などが出土しました! 一つは、一方の面に銅剣、その反対側の面に銅矛の型を彫り込んだ鋳型です。 つまり一つの石材の両面を鋳型として使用したものです。 pic.twitter.com/0hK4zkZp4B
弥生時代の環濠集落 外側に土塁・柵、内側に堀 中世城館ではありえない構造 おそらく武器と戦い方の違いだと思う。 弓矢、銅戈や銅矛、銅剣。 攻撃側は土塁・柵を越えると、堀に落ちる。 堀底のドロ、網や縄でも張っていたら行動不能になる。 そこに銅戈を振り降ろしたらけっこう痛い。 pic.twitter.com/yRbB6FwfJI