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返信先:@conomumichi映画「青い山脈」と言えば東宝の池部・杉コンビの他に日活の吉永・浜田コンビも忘れ難い。 世のサユリスト、カブ主の皆様、小百合さんがスーパーカブC105をノーヘルで駆る姿を御堪能下され 大映「火の女」でもホンダのバイクで疾走する山本富士子が拝めるが 爽やか青春映画の この作品もイイ(^_^;) pic.twitter.com/VhR5UcWZat
あとは90歳の誕生日を祝ってもらうけい子さん。彼女は印象的だった。やってはダメなことだらけの戦時下体制が終わって、映画を学ぶために上京し、進駐軍の家に転がり込む。その中で出会った「青い山脈」。若い人に囲まれ、お酒を飲んで、本当に楽しそう。「いつもこういうことできたらいいのにね」。
歳頃から両親に連れられ、歌舞伎、新派、新国劇を観劇。戦時下もギリギリまで上映された映画を観に行った。戦後、初めて映画を観たのは小学校の校庭で「青い山脈」をゴザにすわり観た。上映館が回復すると映画全盛の時代!洋画も日本映画も観まくり!エンタの世界は昔も今も、魅力溢れる憧れの存在! pic.twitter.com/6hzdQSKpqr
当社刊行の『アコーディオンで奏でる世界の映画音楽』に収録の、せきたさらい編曲「青い山脈」も紹介されています。アコーディオン弾きの方、「ブギウギ」で服部良一に興味を持った方、ぜひ読んでみてください。
以前アップしたアコーディオンの弾き方についてのnoteで、アクセスが伸びてる記事です。 服部良一先生の曲はやはり今も褪せない普遍性があるのでしょうね…✨ 【ちょこっとアドバイス4】青い山脈【避けて通れぬ昭和の名曲】 #アコーディオン #安西はぢめ #note note.com/anzeanzaihajim…
④ 41.嘆きのテレーズ 42.心の旅路 43.帝銀事件 死刑囚 44.女中ッ子 45.小原庄助さん 46.祇園の姉妹 47.洲崎パラダイス 赤信号 48.お遊さま 49.安城家の舞踏会 50.青い山脈 皆さんも色々漁ってみてください! 日本映画にも出来れば字幕が欲しい。
こんにちわっ♫ ほうれん草とお味噌と食用菊の苗を持って地域の空き屋活用カフェ『フラット』さん 顔を出すといつもオーナーさんがコーヒー飲んでいけばと声がけしてくださるので(☕️250円) 私は他の方たちと会話を楽しめるようになりました。 ちょっと年上の方たちと 明日は映画『青い山脈』dayとか pic.twitter.com/EbNi6EEYfo
え?去年の11月に「小津映画×斎藤高順メモリアルコンサート」が開催されてたのね!わああ〜行きたかった〜😭 「早春」の主題曲にサセレシア、生で聴いたら間違いなく泣く😭服部良一コーナーで東京ブギウギも銀座カンカン娘もある〜!コーラスがついた青い山脈も!いいなあ〜🥳 soundtrack-of-ozu.info/topics/3591 pic.twitter.com/0YWlnOLLVl
返信先:@X124839934465他1人映画『青い山脈』が公開されたのは1949年。敗戦から僅か4年後のことでした。その主題歌には、敗戦後の焼け野原から立ち直ろうとする当時の国民の夢と希望が溢れているように思います。 通貨危機後の日本に『青い山脈』のような活力を求めるのは、本当に残念ですが困難でしょうね。
ここで私の好きな藤山一郎の曲ベストスリーを紹介します 3位 『青い山脈』 言わずと知れた名曲だが映画がちょっとムズいので3位 2位 『丘を越えて』 「真澄の空」とかいう現代では滅多に聞かない日本語 1位 『東京ラプソディー』 現代でも通用するオシャレな曲と詞に恍惚 初期のレコードで聴くべし
シューマン 作曲 ♪謝肉祭 - 第16曲「ドイツ風ワルツ」 原節子主演による1949年の映画「青い山脈」でこの曲を演奏するシーンがある。映画よりも曲の方が古いんだけど、今の時代のピアニスト達が最新機器で録音するから、白黒映画の中で流れると時代が入れ替わったかのような錯覚を起こす😅 pic.twitter.com/gXon7FhEpk
#アイドル誕生 1975年夏、トラック野郎公開。同じ頃、山口百恵の映画(三浦友和出ていない。)公開。同時上映、片平なぎさの映画青い山脈(三浦友和出ている。)。2年後、トラック野郎の映画のマドンナ、片平なぎさ。いろいろ繋がっている。
#アイドル誕生 NHKの正月のドラマ。桜田淳子ファンから指摘受けて、手帳の映像だけは差し替え。1975年、桜田淳子が山口百恵をおさえてトップ。1975年、映画界でトラック野郎が大ヒット。芸能界、いろいろあった年。山口百恵、歌手だけでなく、ドラマ、映画の女優。片平なぎさも映画主演デビュー。
数年前、朝日新聞他数紙に私が石坂洋次郎さん原作の映画「青い山脈」の主人公のモデルであると一斉に報ぜられたことがある。確かに符合する点はある。私が終戦の前後、旧制弘前高校の学生だった頃、石坂さんも弘前におられ、よくお宅へ参上した。(鈴木健二/元NHKアナウンサー「お元気ですか」昭和63年)
水野 「青い山脈」は昭和24年でしょう、戦後何年も経っていない間によくあんな青春賛歌映画が作れたと感心しますよ。あの映画の明るさが私たちの心をどれだけ楽しませてくれたか。 池部 日本人というのは不思議なもので、環境に順応するというか切替えが早いと言うか、あまり主体性がないのかな(笑)
敗戦後『青い山脈』のような作品を映画やドラマで繰り返し見せられてきたから多くの人が戦前という時代が性に対して抑圧的な時代だったと長いこと信じてきたけど様々な研究から昭和15年ぐらいまでは性的にはかなり自由な雰囲気があったことが明らかになってきたのか
ナチス・ドイツとの合作の『新しき土地』から戦中の映画、そして戦後の『青い山脈』から小津映画に出演した原節子が演じた役柄を見ていくと、良くも悪くも日本人の生活意識の表層が描かれている。その日本人を原節子に準えるならば、日本人とは何だったのか。