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返信先:@7MAHMnaDqXzk3If返信に気付かなかったのですが、 その地図でも鬱陵島でない方が于島、両島はペアで、現在の竹島が韓国領になってます。 なお、地図に関しては近代の公的地図でないと領有に関しては参考程度の意味しかありません。 1905年以前の近代日本では、両島は日本領ではないというのが公式見解のはずです。
返信先:@akatuki_sunrise他1人どこに松島=鬱陵島と書かれた地図があるのです? 引用の地図ってどれですか?どこに古地図があるの? こんなふうに? pic.twitter.com/pwQWh9oWYE
返信先:@akatuki_sunrise他1人日本政府が松島=鬱陵島とこざかしく ※名前を入れ替えたのは 1880年です。 太政官指令は1877年。無駄ですw なんなら 1877年以前の日本の政府機関の地図で 松島=鬱陵島と記載されたものをだしてくださいw pic.twitter.com/eDFyoTNvUC
返信先:@redmarine754他1人それは鬱陵島のすぐ近くにある竹嶼(죽도)です。 解放後の地理の教科書に掲載された”独島”の写真と実際の竹嶼の地図⤵️ pic.twitter.com/qW23Ae2BiO
返信先:@HiroshMatsuur2他1人ようやく、李朝の粛宗時代から朝鮮領という説には無理がある、まできましたね。 では、次です。 18世紀の日本側の地図に竹島はほぼ正確に記載されており、江戸時代初期の鬱陵島への渡海免許、同島へ向かう途上にある竹島の利用(停泊と漁業)開始も明らか。それら全てを無視しますか。
返信先:@HiroshMatsuur2他1人その岩礁は竹嶼であって、現在の竹島ではないこと、散々論証されているかと思います。 于山国の地図には竹島と言える島はなく、領土問題として朝鮮側に認識されていたのは鬱陵島まで。それに竹島を強引にセットしようとするから矛盾してしまうのですよ。
返信先:@HiroshMatsuur2他2人もう一回、お聞きします。あなたの貼ったリンク先をどう読んだら「竹島が李朝の時代から朝鮮領」などという結論になるのですか。 韓国の研究者が強引な憶測で復元した于山国(鬱陵島)の地図に現在の竹島も書かれていた「はずだ」と推測を重ねたトンデモ説に対する反論のページですよね。
返信先:@kugmangsan対馬の話題に戻そうと必死なのは分かった。しかも日本人製作の地図で🤣🤣 でも、論点ずらし、議論誘導に乗る気はない。 鬱陵島、竹嶼島、竹島が記載された「朝鮮が作成した地図」の提示まだ?
返信先:@kugmangsan鬱陵島の地図を日本が書いた。朝鮮も書いた。第三者も書いた。 その場合、法的根拠も国の批准もなく、地図だけで領有を決める合理的な方法があるなら提示して。 一番重要なのは国の意思表示。 国の領有は勅令41、日本の竹島編入、SFTといった意思表示が必要。 pic.twitter.com/a4QXGXDqn1
亞細亞東部輿地圖 明治 31(1898)年, 陸軍参謀本部陸地測量部 発行 著編者 河合利喜太郎 校閲者 高等師範学校教授 那珂通世 朝鮮の鬱陵島と竹島の地図上の地理位置修正! pic.twitter.com/T72epogQsO
鬱陵島北東側の竹島という名称は、鬱陵島に不法入島した日本人によって’竹ノ子島’という名称に由来し、1883年に檜垣直枝によって地図に表記され始めた! pic.twitter.com/teAh4Wg3Tx
1796年から1849年の間の日本の地理認識! 本田俊明の竹島と松島の自国認識論 + アルゴナッツ表記の西洋地図の日本流入! 朝鮮の鬱陵島と于山島竹島は別にあり、竹島と松島は日本の領土で、アルゴナッツは竹島、ダジュレットは松島という認識! pic.twitter.com/v9WOqp7sx2
1796年以降、日本の領土という認識の誤りの基礎から作成された地図! 1800年代、竹島(朝鮮称鬱陵島)と松島(朝鮮称于山島·竹島)はいずれも日本の領土でしたか? pic.twitter.com/bVa1DAdT2E
朝鮮海の鬱陵島、于山島·竹島 日本海の竹島、松島 朝鮮称鬱陵島 = 日本称竹島 朝鮮称竹島 = 日本称松島 1796年、地図上の地理的誤りの発生! 竹島、松島の日本領土認識の台頭 pic.twitter.com/oedPapRVyA
返信先:@AARKdbWeK7hQeCV太政官指示が竹島(現鬱陵島)、松島(現竹島)と理解していないコリアンは絶えず現れる。証拠と提示した地図を詳らかに見て現在の竹島と違いすぎると気づかないほど目が曇っている。固定観念の塊みたいなコリアンたち。
君にはまだ早いかな。 1877年(明治10)時点での明治政府の見解における松島は鬱陵島のことなんですよ。 その地図は島根県(正確にはそのもとになった江戸時代の地図)の見解です。
返信先:@AARKdbWeK7hQeCV1877年の太政官指令で松島が朝鮮領であることは君も認めてるじゃないかw その正確な位置がこの地図だよw 日本の地図を見ろよ。 竹島消してるんじゃないよ!
返信先:@japjenisu568800他3人“竹島と外一島”が日本と関係ないと判断した時には今の竹島はホルネットでした。松島はその時に鬱陵島。大事な事は国の意見です。 例えばこれ 者ノ如シ而テ此ホルネットロックスノ 我国ニ属スルハ各国ノ地図皆然リ他ノ二嶋ニ至リテハ各国其認ムル所ヲ同フセス もう嘘はやめてください。 pic.twitter.com/8e43BgPmed
返信先:@kugmangsan他12人1887年 - 新撰地誌巻1 所収「日本総図」 測量して地図に書き込めば領土になる? 文書は要らないんだっけ? 鬱陵島、返してね。🤣🤣🤣 pic.twitter.com/ex6HuvASFD
鬱陵島の北東側に于山島は存在しません! これは測量地図の観点であり、朝鮮古地図は察訪関係および道程関係としてその彊域を表記してきました! こういう関係は時期ごとに変わるってこと! pic.twitter.com/vj952Hg4y9
「竹島」(鬱陵島の江戸時代の呼称),「松島」(現在の竹島の江戸時代の呼称)という2つの島があることを日本の諸文献や地図により知っていました。その一方,ヨーロッパの地図には,西から「アルゴノート島」「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知っていました。このため, pic.twitter.com/J9vG9M1Tpf
1882年、鬱陵島外図の竹島 1894年、清国新地図の竹島 朝鮮古地図の書き方と測量地図の書き方の間の間隙! 韓日で初めて、私はこれを理解しました! pic.twitter.com/CWQnauyhFm
返信先:@dMUAYFRBv6GsJZx一応、地図はついているのですが、よく見る、鬱陵島の右側に小さな于山島がある地図なんです。 x.com/Daishi_hundred…
Wikipediaより、①『大韓地誌』の附図。②一部拡大:鬱陵島の右側に于山島。③于山島=竹嶼じゃん。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7…
Russo-Japanese war map 1904年4月29日に神戶ヘラルド新聞社が発行した地図には鬱陵島とHORNET. Iを朝鮮の領土と表示! HORNET. I = 竹島 黄色 : 朝鮮の領土 pic.twitter.com/N1AO93dvlM
1931年 新編 日本歴史地図 第32図、(2), 日本海海戦図 索引、32、2 竹島(朝鮮) 竹島海戦当時、竹島は朝鮮の領土! 朝鮮称鬱陵島(日本称松島) 朝鮮称竹島(日本称リアンクルト島) pic.twitter.com/E7IYwArxa0
返信先:@kugmangsan他16人東西60里、南北40里、合二百里 ⇒「合」というのは「合わせて」、つまり「合計して」の意味。 大東輿地図でも分かるように周囲の意味。 「石島が鬱陵島から約200里」 ⇒これはあなたの歪曲ですか?誰かの妄想ですか?ソース記事がありますか? pic.twitter.com/3rzYzHQaXm
竹島論争に入る方に「于山島」について知っておいて欲しいことがあります。朝鮮時代の古文書に于山島は二種類あって、「世宗実録地理志」「東国輿地勝覧」のいう于山島は現在の鬱陵島、「東国文献備考」「廣輿図」「海東地図」「青邱図」「大韓全図」のいう于山島は現在の鬱陵島の付属島「竹嶼」です。