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大聖人も、「法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ」(御書1584頁)と明快に仰せになっている。 この御書の中で大聖人は、鳩摩羅什の漢訳では大白牛車の様子が略されているとしたうえで、ご自身がご覧になった梵語の法華経を参照し、壮大な大白牛車を描かれている。・・
改めて今日はたくさんありがとうございました!!!! 18歳の鳩摩羅什もよろしくお願いします☺️ ネロさんに出会わなければ無かったこの縁です ネロさんありがとう〜〜‼️♡ pic.twitter.com/3e2oXjzdLq
鳩摩羅什 西域の亀茲で生まれ父はインド人。大乗仏教を学び、高僧として知られていた。五胡十六国の争乱期の5世紀初めに、長安で多くの仏典を翻訳しで、中国仏教の発展の基礎を築いた。 くまらじゅう、とよむ。4世紀の末に、シルクロードを通って西域から中国に渡り、仏教を伝えた渡来僧。 pic.twitter.com/THsso2Snis
法華経は、大乗仏教の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれている。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した。複数ある漢訳の中では鳩摩羅什によるものが特に普及しており、その訳名は妙法蓮華経で、この略称が「法華経」である。 pic.twitter.com/Pc3t1UdPi9
返信先:@sainenji_kariya捨戒にも条件がありまして、言葉を理解できる相手がいれば大丈夫です。子どもや言語を理解できな相手であれば成立しないようですね。鳩摩羅什も「守れないので仏法を捨てる、還俗する」と言ったかもしれないですね。ちょっとせつない
返信先:@11111hiromorinn他2人後、融通念佛の道塲と爲り、更に淨土宗に成り今に至っています。本尊の釋迦立像は三國傳來との傳承を持つ特異な像容を持つ物。優顚王が釋迦在世中の姿を寫した物と謂われ、鳩摩羅炎(鳩摩羅什の父)が龜茲國に將來し、北涼の世祖が奪い禹域に齎したとされています。
返信先:@meganehead1原典が優れている上に鳩摩羅什の訳が優秀なのだと思いますが、他の大乗経典を実際に声に出して読誦してみると法華経が不思議と一番読誦しやすいんですよね。義浄訳の金光明経とかスラスラ読誦できるまでに一年ぐらいかかりました。言葉の選び方とか流れとかがリズミカルに構成されてないんですよね。
返信先:@mayatarou00上座部仏教は老荘と遠く、@mayatarou00 の誤解です 上座部仏教は初期仏教とは言えず、もっと権威化したものです 仏教経典を漢訳した時に、鳩摩羅什が妙を「最も優れた」という形容詞として使いましたが、それを中国では冥や不可思議のように勝手に解釈して、老荘と関係するかのような誤解を生みました
摩訶般若波羅蜜多心経提唱 井上希道老師 13 「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。」 鳩摩羅什も玄奘三蔵も漢訳しなかった語句です。ここは端的にこのままが一番良いのです。 ギャーテーギャーテー。ハーラーギャーテー。ハラソーギャーテー。このありのままが摩訶般若波羅蜜多です。 梵語の
姚興の没後の後秦は、実質的に滅んだ。姚興は熱心な仏教徒であり、仏教が中国において国の支援を受けたのは姚興の後秦が初めて。401年、後涼で暮らしていた仏僧の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)を常安(長安)に迎え入れた姚興。
軍師的位置にあって呂光を助け呂光・呂纂の下、涼州で生活。 401年 後涼を降伏させた後秦の姚興に迎えられて首都(長安)に移り住んだ。 402年 仏典の漢訳に従事後、羅什亡き後の跡継ぎを欲する姚興の意向を受け入れ、僧院を出て十人の妓女を娶って妻帯・還俗し、409年 逝去。亀茲出身の鳩摩羅什。
亀茲出身の僧侶が中国で仏典翻訳に従事していたという。 有名なのが4世紀前半から5世紀前半に活躍した亀茲出身の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ、Kumārajīva)。
この地を支配した亀茲(きゅうし)国は仏教を信奉しており、4世紀中頃の『出三蔵記集』には「時に亀茲の僧衆一万余人」、「寺が甚だ多く、修飾至麗たり。王宮は立仏の形像を彫鏤し、寺と異なるはなし」と記録されている。いつ仏教が伝わったのか明らかでないが、3世紀末には受容されていた。
「お経」の中でも、#鳩摩羅什 訳は音楽的にも優れている。定型詩パート「偈」のみならず、散文パート「長行」も、鳩摩羅什訳は、長短や緩急の加減が音楽的に心地良い。鳩摩羅什の漢訳は、中国文学史上、「四声」の発見や駢儷文の洗練に匹敵する事件だった。 youtu.be/TRdfx3899Ko?si…
講座「鳩摩羅什」(くまらじゅう) < 中国歴史人物列伝 at 朝日カルチャーセンター新宿 @asakaruko on 5月9日(対面+オンライン見逃し配信つき) 「世界宗教」ブディズムの中国社会への導入は、五胡十六国時代の胡族と漢族の合作による「プロジェクトX」だった! isc.meiji.ac.jp/~katotoru/asah…
法華経や仏説阿弥陀経をサンスクリット語から漢語に翻訳したのは鳩摩羅什という人だと最近知ったけど、生年344年没年413年なので、まさしく北魏の頃の人なんすね。 #3ヶ月でマスターする世界史 ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A9…
鳩摩羅什 西域の亀茲で生まれ父はインド人。大乗仏教を学び、高僧として知られていた。五胡十六国の争乱期の5世紀初めに、長安で多くの仏典を翻訳しで、中国仏教の発展の基礎を築いた。 くまらじゅう、とよむ。4世紀の末に、シルクロードを通って西域から中国に渡り、仏教を伝えた渡来僧。 pic.twitter.com/H7UwjWM9GV
法華経は、大乗仏教の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれている。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した。複数ある漢訳の中では鳩摩羅什によるものが特に普及しており、その訳名は妙法蓮華経で、この略称が「法華経」である。 pic.twitter.com/GOExva6YDn
正直捨方便は、法華教学では、折伏の切り札でしょう。サンスクリット語の躊躇することをやめる→方便を捨てるは、翻訳者の力量で、鳩摩羅什を師とするかだ
watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2024/04/… 法華経の行者にとって、、折伏の切り札、、これは大変だ、、 しかし、素人が思うには、、むしろ、「躊躇の念を全く捨てて、、菩薩の真中で語る、、そして教化する。」のであれば羅什訳の正直捨方よりも更に強い仏の意志が伝わる。
返信先:@siizaaGpS他1人もしや貴殿も元学会員だったの? 法華経はインチキと判明してる? その出どころと誰が宣ってるのか教えてよ、? 鳩摩羅什の文献訳1000ページ程の書籍あるけど法華経って難しいね。因みに世界三大宗教の文献も全てその宗祖の弟子達が文字化したことは理解してますよね。