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話は飛ぶが、かって紫式部の『源氏物語』は儒家や僧侶からふしだらであるがゆえに手厳しく酷評され、あんな作品を物した紫式部は地獄に落ちた、とまで難詰された。文学作品を倫理的観点から非難するのは洋の東西を問わず、レールモントフの『現代の英雄』も然り。小説はどこかしらピカレスクの風味を
勿論儒家の「高い道徳を体得して社会的成功を目指せ」に対抗し、社会的成功を諦め自由を求める道家では社会的成功を諦めるという苦しい修養が必要なのは確かだが、これはテレビで解説されるような「禁欲」ではないんですよね。
ワタクシの好きな「中庸」の「思考や行動に偏りの無い」「中正的な」というニュアンスは日本におけるものだったのね。 中国語では「凡才」「主体性の無い態度」を表すらしいw ただ儒家の用語としては「中庸之道」でそのまま伝わるらしいけど。
あれよね。曲がりなりにも儒教がストッパーだったんかなとか思ってしまう。儒家を良いとは思わんけど、それすら無くした文革以後って恥知らずの国ができただけだなぁと。 AIゴロとか転売屋もそうだけど、それで食うメシが旨いとかいうやつは同じ空気吸ってほしくないわ。 news.infoseek.co.jp/article/otonan…
やはり「リベラル=儒家」説が合ってる気がするんですよ。 ②人は皆同じ⇒正しい規範が必要⇒儒家 「米国人も日本人も皆同じ⇒正しい米国に合わせろ」、これがリベラル思考。リベラルに権力持たせると世界が不安定化する理由です。個々人の違いを絶対認めないからな。 x.com/kizusan_fire/s…
この戦いを考えると、リベラルがダブルスタンダードだったり法律軽視だったりする理由がよく分かる。 ①人は皆違う⇒区別するルール(法)が必要⇒法家 ②人は皆同じ⇒正しい規範が必要⇒儒家 だから②は法の上に規範が来るんよね。でも①にとっては人種や国籍よりもルール(法)が大事なんよ。
皆様こんにちは👶 今日の言葉は🌺 過ちて改めざる。 これを過ちという。 【意訳】 誰でも過ちを犯すが、 それに気づきながらも改めようとしないことこそ、 本当の過ちであるということ。 孔子(中国の思想家、儒家の始祖) 今日も素敵な一日を…😄 pic.twitter.com/rR8M3kzLdM
おはようございます😊 孔子の物語シリーズの第四回では、彼の影響力とその遺産について掘り下げます。孔子の教えは、彼の死後、中国の文化、教育、そして政治に深く根ざし、儒家思想として知られるようになりました。… pic.twitter.com/yOTYi4n9lO
ソクラテス以前の哲学者は主に自然について語り、ソクラテスとなっては道徳を専ら論じることになるが、ちょうど両者と似た関係にあるのが儒家と道家で、儒家はどちらかといえば道徳に重きを置き、道家は道家流の道徳もさりながら、それ以上に自然探究を究めていくようにも思われる。
兵家が戦略・戦術を、法家が法や社会の仕組みを、儒家が他者への配慮を重んじるのに対して、道家はそれら人為的な取り組みを否定し、道から与えられるのだから流れに身を任せるようにとする。この考えが社会的弱者や敗者を肯定することになる。分断された社会で思うところあり。
>RT 文・史・哲が密接な中国学に属するものですから、文学部の他の学問がバラバラに思えてしまう これは中国学の成立の経緯が特殊だからか? 先祖となる江戸の漢学も、西洋の東洋学・シノロジーも3つを分けない そもそも儒家の経典に『詩経』と『春秋』がふくまれてるのが大きいのだろうか?
エドワード・ヤンの『獨立時代』では、漢民族社会における儒家伝統依存と、ウェスタンインパクトとの交差点で揺らぐ、大都市タイペイに生きる孤独な人間たちが、微かな希望をもって描き出されている。 pic.twitter.com/GwdzqF3Q0f
関西大学に新儒家の研究をしている人がいるのか 吾妻重二教授 「近世の中国思想史を中心に儒教史、朱子学を主に研究するほか、現代新儒家、道教や仏教なども視野に入れる」 gakujo.kansai-u.ac.jp/profile/ja/xa1…
『大学』は、儒教の経書の一つ。もともとは『礼記』の一篇であり、曾子によって作られたとも秦漢の儒家の作とも言われる。 その内容には「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領と「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目が提示されている。 pic.twitter.com/hFYLiRxlXy
諸子百家とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。「諸子」は孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子などの人物を指す。「百家」は儒家・道家・墨家・名家・法家などの学派を指す。 pic.twitter.com/sTNBvTSIbS
貰えないから、なぜわざわざお金を払って自分否定する人に罵られるの、ドМだ」 「ww睡眠薬だけ貰っておけ」 「一応儒家っぽいなんだ」 「お」 「最初は自己反省だが」 「どうやって」 「与えられた仕事を片付けるの、同期とライバル視はいらないのだ」 「それで人間関係は、上司だけみて余裕が
ベトコンは「南ベトナム解放民族戦線」の略で南ベトナム解放「人民」戦線ではない。 ホーチミンは実家は儒家でパリ留学の良家優等生だった、共産主義に傾倒し北ベトナムの主導者となった。南北統一の為「南ベトナム解放民族戦線」を組織。南ベトナムゲリラ戦勝利する為に保守派民族派も取り込む。
これもまた法家vs儒家の戦いの一部。 ①法家:人は皆違う⇒ルール(法)で区別する ②儒家:人は皆同じ⇒規範で区別する 現実を見れば人がそれぞれ違うのは自明なのに、②の人はそれを認められないから、「正しいか、正しくないか」で戦ってしまうのよね。 news.yahoo.co.jp/articles/8bcdc…
吉川幸次郎の中国文学史、恣意的か儒学的視点なのか知らないけど、道家の名前を一度も出さず、孔子ステキ☆&楚辞はええぞで先秦時代を終わらせてるの、コンニャロメ☆、てなった。 私が荘周贔屓というのはあるけど、文学の源流として墨家も法家も儒家に及ばない、てあって 道家は? てなるやん?