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福塩線で神辺へ 菅茶山の廉塾 城跡 小学低学年まで住んでたんですよね この鬼門櫓跡からの風景の中に😁 当時は田んぼだらけだったんだけどなー🐸 学校まで歩いて遠いとか ご近所の川がデッカいとか 思ってたのが 今散策してみると 近いし 小ぢんまりとしてるし😅 pic.twitter.com/oHkA6eOCOQ
そういえば、去年廉塾の解体工事の現場を見学させてもらった時、この廉塾の水彩画をいただいたっけ。心がこもった手作り品。 あれから玄関に飾っております。 pic.twitter.com/zTOmVUQ5kO
この古盃は上杉謙信の旧蔵品 なんでここに? 文化2年に米沢藩の侍医平田道宣が神辺の菅茶山の廉塾に逗留して、翌年茶山の求めに応じてこの古盃を贈ったということで、上杉謙信の物がまわりまわって廉塾の菅茶山の所にあるということらしい。 廉塾は国の特別史跡 現在建物を修復中です。 pic.twitter.com/I06d760ztq
「半ば強引に廉塾を離れ」 無難にとどめた表現ですな。田舎は嫌だって京都にでた頼襄先生、茶山先生のご機嫌をとるためか、京儒の悪口書きまくりなのが面白い。
\春の展示「#菅茶山 のタカラモノ」が始まりました/ 今回の展示では、茶山と同時代を生きた広島藩を代表する儒者 #頼春水 ・ #頼山陽 との交流を、両家の伝来資料によって紹介しています。 展示期間は4月19日(金)から6月16日(日)までです。ぜひお越しください! #ふくやま草戸千軒ミュージアム
多度津生まれで、1890年代前半、南メソジスト教会派の多度津教会創設期のメンバーだった。当時、教師が神戸から多度津に船で毎週末訪問し説教したらしい。(日本キリスト教歴史大辞典、1998、多度津教会の項) 1991年頃多度津から福山に船で渡って、神辺にある菅茶山の廉塾を訪ねたことを思い出した。 pic.twitter.com/4anx1NSRAy