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桐生を見下ろす丘の上の新田義貞挙兵の地の碑。特に根拠は無いみたいですが(^_^;)確かにここに旗立ててれば遠方から分かったでしょうね。ちなみに生品神社の説も太平記のみにしか登場しないようなので言ったもの勝ちかも。観覧車本日も11時開店です。 pic.twitter.com/9qUY1uvYYg
新田義貞が終わったら、三成さんちの嶋左近くんを解説するで 勿論、関ヶ原視点のヤツ。中心となるのは、関ヶ原の前哨戦になる杭瀬川の戦いかな? 嶋左近を来週末の5/11,5/12までに投稿したい。それが終わったら、藤原道長(第三週)と佐々木道誉(第四週)。 六角氏のは6月から準備する予定。
返信先:@DARUMAE1561そういう意味じゃ父高氏が京都で反旗を翻して六波羅探題制圧したあとに鎌倉を脱出して、新田義貞に合流、鎌倉攻め参加の武士たちに軍中状を発付したわずか3歳の千寿王ことのちの義詮の貴種ぶりもなんかいいですね 南北朝時代は貴種がたくさん揃ってるからなんか好きなんですよね
井の頭の弁財天(大盛寺)天台宗の寺院なんだけど、源頼朝や新田義貞そして徳川家にも崇敬された歴史がある場所だった。 そうした歴史ある場所で1日を過ごし いいもんなだなぁと、土地のもつ奥行きに幸福感♡ pic.twitter.com/y3KZMVzQ10
文武天皇の皇后が紀州熊野三社で安産祈願し、皇子が無事に誕生した謝意を表し創建されました。 新田義貞公が戦勝祈願の参拝をし、楠木正成公の鈴を奉納、徳川家康公によって横須賀城築城後は城下近郷を挙げて厚い信仰を集めた神社で、災難除や縁結びなどの深い御神徳がいただけるとのことです✨✨ pic.twitter.com/TRj61t9JYI
歴史のロマンを感じている。 新田義貞次男・義興?墓の下から骨発見 人物特定に至らず 威光寺(群馬・太田市)で11日に開眼供養 | 上毛新聞社のニュースサイト jomo-news.co.jp/articles/-/455…
1333(元弘3)年新田義貞が上野国で鎌倉幕府打倒の兵をあげた時、真っ先に馳せ参じたのは、大井田経隆(つねたか)を首領とする越後の新田氏一族でした。これ以後、大井田氏などの一族は、建武の新政(けんむのしんせい)から南北朝時代の動乱期に、南朝方として各地に転戦し勇名をとどろかせました。 pic.twitter.com/2HqXvPOU1q
新田義貞公之像〜分倍河原駅前 鎌倉幕府が滅亡する1週間前、 1333年5月に起こった 分倍河原の合戦にちなむ。 分倍河原で北条軍を破った 新田軍は多摩川を越え 一路鎌倉へ向けて南下、、 pic.twitter.com/At321iKhCV
時代の価値観が分かって面白い。 私の先祖は“善”の新田義貞に仕えていたため、戦前の少年雑誌の口絵に何度か登場した。児童文学の仕事をしていた頃に、目次情報で確認した。今は亡き大伯母が一族のルーツ探しにはまっており、口絵を見に来た事もあった。 ただし戦後はほぼ忘れられた存在となった。
明治時代の見立て番付「善悪鏡」 悪の横綱・平清盛/善の横綱・楠木正成 悪の大関・平親王将門/善の大関・菅原道真 以下悪は蘇我入鹿に弓削道鏡、善は坂上田村麻呂に和気清麻呂…と当時の価値観がひじょうにわかりやすく反映されている。基本は「忠臣か逆臣か」
新田義貞次男・義興?墓の下から骨発見 人物特定に至らず 威光寺(群馬・太田市)で11日に開眼供養(上毛新聞4/30) jomo-news.co.jp/articles/-/455… 「義興は、南北朝動乱で…最後は多摩川の矢口の渡しで殺された。その話は江戸時代に平賀源内が書き、人形浄瑠璃で上演…歌舞伎の演目『神霊矢口渡』に」
とりあえずいつもの。 足利尊氏 堺雅人 足利直義 藤原竜也 高師直 高嶋政伸 佐々木道誉 山本耕史 北条高時 小泉孝太郎 長崎円喜 片岡鶴太郎 北畠親房 陣内孝則 北畠顕家 中川大志 新田義貞 西島秀俊 楠木正成 内野聖陽 後醍醐天皇 真田広之 #お前らが大河で見たいキャスト言ってみろよ
#お前らが大河で見たいキャスト言ってみろよ 足利義詮:神木隆之介 足利尊氏:高橋克典 赤橋登子:石田ゆり子 足利直義:要潤 足利直冬:黒崎煌世 高師直:トータス松本 楠木正成:内野聖陽 楠木正行:村上恒司 新田義貞:玉置玲央 北条高時:草彅剛 北条時行:高杉真宙 北畠親房:草刈正雄 後醍醐天皇:井浦新
中学受験では、善の部は楠木正成、管原道真、坂上田村麻呂、新田義貞、悪の部は平清盛、平将門、蘇我入鹿、(弓削道鏡)、明智光秀、足利尊氏、(足利直義) 、藤原純友を学びます。悪の方が多いですね(かっこは細かい塾で学ぶもの)。
一行目がヤバい。上毛新聞の記事チェック体制はどうなってるんだ。地元のことなんだからしっかりしてくれ。/新田義貞次男・義興?墓の下から骨発見 人物特定に至らず 威光寺(群馬・太田市)で11日に開眼供養 | 上毛新聞社のニュースサイト jomo-news.co.jp/articles/-/455…
▲ブー爺:韓ドラ『太宗イ・バンウォン』 李成桂(イ・ソンゲ)と足利尊氏に似ているような。千寿王(義詮)の父は足利尊氏・母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で正室・赤橋登子。1333年、千寿王(義詮)は足利家家臣に連れ出され鎌倉を脱出し、新田義貞の軍勢に合流し鎌倉攻めに参加した。 pic.twitter.com/neEcLYgDAA