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#歴代首相で学ぶ日本史 ▶第55代 総理大臣 石橋 湛山 いしばし たんざん 石橋内閣 1956年(昭和31年) 12/23~ 1957年(昭和32年) 2/25 ※65日間 ・出身:東京府 ・学歴:早稲田大学文学科 卒業。早稲田大学宗教研究科 修了 ・衆議院議員 ・自由民主党総裁
思想家湛山と政治家(前半)湛山と総理大臣(晩年)湛山は全くの別物 晩年湛山を岸信介へのカウンターとして評価している左派はよく分からん(岸政権樹立の最大の立役者) x.com/oien_w/status/…
安保お花畑で石橋湛山を平和主義者として支持する奴は大丈夫。右翼の湛山好き、お前がモーデルかケッセルリンクじゃないなら今すぐ逃げろ!(人生の教訓) x.com/dokushoa/statu…
森さんが購入された「#この国の危機の正体」は第一刷でしょうか、それとも第二刷だったでしょうか。第一刷であれば61pで「62週ぐらいしか続かなかった石橋湛山内閣」とあるのは65日間の誤記です。平凡社に向けてはツイート済みですが、湛山主義者らしからぬ佐高信さん誤記で歴史が変わるのでご注進。 pic.twitter.com/BqqHLdlp47 x.com/mori_hideo_/st…
佐高信さんと望月衣塑子さんが政治やメディアの問題について対談した「この国の危機の正体」を読みました。重要な政治の問題をメディアが発信できていない。また市民も受け取れていない状況をどうしたらいいか。佐高さんは中村哲さんからの学びを発信していきたいと言われていました。 pic.twitter.com/3yOyqCdjDq
超党派の議員が参加する「石橋湛山研究会」と「田中角栄研究会」 毎日新聞・伊藤智永さん 「湛山は冷戦期に『日中米ソ平和同盟』を説いて笑われた。角栄は訪中直前、自宅療養中の湛山を訪ねて労った ロシアと北朝鮮が同盟を結んだ今、中国と話せる政治家が日本にいるだろうか」 #ss954 pic.twitter.com/Qxkj4zimFu
本文中にある「共に首相になったが、型破りの異端児。どちらも党を追われた経験を持つ(湛山は自由党時代、角栄は離党)。戦う政治家だった。」という一文のうち、田中角栄は日本民主党時代の1947年と自民党時代の1976年にそれぞれ所属政党を離党しています。…
毎日朝刊2P、湛山と角栄 編集委員 "伊藤 智栄" ② 思想と行動の基盤に、自分の頭で考え、体得した "独自の経済合理主義" があった。 結果、"二人とも"、"中国との関係を重視" した。 "湛山" は、冷戦期に、"日中米ソ平和同盟" を説いて、 笑われた。 "角栄"…
毎日朝刊2P、湛山と角栄 編集委員 "伊藤 智栄" ① "石橋 湛山" 研究会と "田中 角栄" 研究会に、 与野党有志議員が参加。 湛山会100人、角栄会50人。なお増えそうだ。 湛山没後50年、角栄没後30年。 党派を超えた議員たちが、この二人に引かれるのが 面白い。…
なぜ今、湛山と角栄か。 共に首相になったが、型破りの異端児。どちらも党を追われた経験を持つ。戦う政治家だった。 土記:湛山と角栄=伊藤智永 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20240…
土記:湛山と角栄=伊藤智永 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20240… どちらも戦う政治家。 「思想と行動の基盤に、自分の頭で考え、体得した独自の経済合理主義があった。結果、2人とも中国との関係を重視」 「ロシアと北朝鮮が同盟を結んだ今、中国と話せる政治家が日本にいるだろうか」
“怒りは真剣な感情だ。今の世論は、むしろ自堕落な政治への愛想尽かしに見える。民主主義では、怒りより危険な態度である” / 1件のコメント b.hatena.ne.jp/entry/s/mainic… “土記:湛山と角栄=伊藤智永 | 毎日新聞” (1 user) htn.to/2jTRYsqASy
#佐高信 さんと田中秀征さんの共著「#いまなぜ湛山か」も発表が「#統一教会と創価学会」や #佐高信の隠し味 で予告されていますが、7月中の発行ではない様。先の平凡社新書「#この国の危機の正体」で湛山の在任が62週と誤記してたので気をつけて下さい。 shueisha.co.jp/books/newbooks… @Shueishashinsho pic.twitter.com/N7O61XIRrE
俺の周りだけの話、賢い子は法学部入るのが増えてる気がする。 ふと哲学科で政治家なったの誰いるかなと考えたけど、日本でめぼしいのは石橋湛山ぐらいだった。 湛山は日蓮宗の坊さんの子で、東哲だと思ってたのよ。でも田中王堂について学んだっていうんで、プラグマティズムの影響受けたんだろな。
『眞相』1948年6月1日発行 一旗たくらむ(石橋)湛山和尚(おしょう) (表紙は昭和電工疑獄事件で収賄罪容疑により48年12月に逮捕をされる芦田均首相) pic.twitter.com/WKmN0kdbtL
やはり湛山はひと味違いますね。彼の積極平和主義は戦前から一貫していますし、吉田を明確に批判していて、単なる状況論に流されないものがあります。湛山がもう少し長く権力を持って自民党の中軸となっていれば、その後の「保守本流」の流れは変わっただろうということですね。
#歴代首相で学ぶ日本史 ▶第55代 総理大臣 石橋 湛山 いしばし たんざん 石橋内閣 1956年(昭和31年) 12/23~ 1957年(昭和32年) 2/25 ※65日間 ・出身:東京府 ・学歴:早稲田大学文学科 卒業。早稲田大学宗教研究科 修了 ・衆議院議員 ・自由民主党総裁
今日は評論家・政治家 #石橋湛山 の命日(1973年)。東洋経済新報社社長を経て、第1次吉田内閣の蔵相、自由民主党総裁、後に首相を歴任しました。戦前「小日本主義」を唱えるなど自由主義的論陣を張り、戦後も日中・日ソの交流に尽力。☞ iwanami.co.jp/search/?&searc… 『石橋湛山評論集』 『湛山回想』 pic.twitter.com/r0taLU01g5
安倍晋三の祖父を「天皇が嫌っていた」理由〈保坂正康〉 湛山が首相になり閣僚名簿を「ある一人の人」に見せたのだが、その人は次のように言ったという。 「どうして岸を外務大臣にしたのか、彼は先般の戦争に於いて責任がある。その重大さは東條(英機)以上であると思う」 gendai.media/articles/-/113…
【#白井聡 ニッポンの正体】 いまこそ、小日本主義! 没後50年 甦る石橋湛山の理想と哲学 湛山は戦前から一貫して戦争、拡張主義に反対する小日本主義を唱え、日本近代の中でも異彩を放つ政治家でした。彼の人生と生きた時代を通して、いま私たちが学ぶことは何かを考えます。youtu.be/Up-VeHrS5Zk pic.twitter.com/ljTaFzTMnw