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今の不安を取り除いて楽に生きたいけれど、それを手に入れるためにはものすごい不安にみずからぶつかりにいく必要があるのがめちゃくちゃハードルが高い。覚悟というか、気力がそこまでもっていけてない。暴露妨害を何度か頑張れても継続する気力が今の私にはない。いつかは、とは思っているが。
おはようございます。 昨日は変な時間に昼寝したせいで全然寝付けず、朝方から爆睡してギリギリに起きました。愚行の極みです。 欲望に忠実だと生活習慣が狂ってきますね。ストレス無く生きたいけれど、抑圧しないと社会性のある生き方ができない。それに倣ってると目まぐるしく毎日が過ぎる。怖いね。
「おやすみなさい、メルエム」は本当に伝説。 ずっと名前を呼び捨てで読んであげなかったコムギが最後の最後に、愛をこめてささやいた言葉。 悲惨な最期でありながら、彼ら二人はひどく幸せだったはずだ。人生とは長さで価値が決まるわけではないのだ。それでも、長く生きたいけれどね。
死にたいというか、嫌な現実から逃げたい。 自分のいう死にたいは逃げたいと同義なのかもしれない。けど、生きたくもある。 まあ要するに、普通に生きたいけれど、嫌なことから逃げたいという事。 終わってる。こういう思考になる時点でガチクズ。死んだほうがいい。 痛覚がなければ別に今死んでもいい
妹が「お姉ちゃんはどうしてそんなに強いの?」と。違うよ、強い訳じゃない。心配性でいつも最悪の事態を想像してしまうから、行動が慎重になっているだけ。本当はもっと向こう見ずに生きたいけれど、何故か自らブレーキをかけるような出来事が周囲で起きる。邪魔されているのか守られているのか…
真面目と情熱はあるんだが、情熱と真面目がネガティブ方面に向いてしまって人生が狂った。でも立て直そうと必死でもがいている。生きたい。けれど死神が背後で私の幸せを全て吸い取り、生きる希望を刈り取っていく、それが鬱。
気力やガッツがあるのに、眠いとか寝間着から着替えるのが面倒(自己紹介)なのって一種の鬱病って聞くし、本質的には風呂キャンセルと何も変わらないんじゃなかろうか。 歳取っても精力的に生きたいけれど実際困難じゃねぇ
返信先:@jasmine12345432バランスをより良く取るのって本当に難しいものですよね。 出来るだけストレスを軽くして生きたいけれど、燻る種はそこかしこにあったりして。 jasmineさんが自分時間を素敵に得られますように✨
ものすごくシンプルに生きたいけれど、モノを作ることはモノを溜め込むことでもある ノートとパソコンだけならどんなに楽か 嫌だな 生活だけでも這う這うの体なのに 捨てて捨てて捨てまくりたい 大きな水晶楽器クリスタルボウルがまだ三つある、もういらないのに! 高かったから それにだいぶ救われた
Fi-Te持ちは、自分の感情に素直に生きたいけれど、それだと社会でやっていけないので規範に従う Ti-Fe持ちは、独自の考えはあるけれど、それを振りかざしてばかりでは人付き合いに支障が出るので空気を読む
返信先:@sekigutimakoto他1人飽くまで私個人の見解ですが、 ユッコさんは「もっと生きたいけれど、もう死を選ぶ以外に救いが無い」程、追い込まれていた、と思っています…。 決して自死という選択を美化する訳では無く、 芸能界と言う、極めて閉鎖的な世界の犠牲者だと。
素敵な一句ですね~。 私とてこんな穏やかな春の陽気に誘われて生きたい…けれど…。
春は去り初夏の気配が 行く春や 鳥鳴き魚の 目は涙 芭蕉 陽炎や 名知らぬ虫の 白く飛ぶ 一茶 ゆさゆさと 春が行くぞよ 野辺の草 一茶 皆の衆、良き日曜日を〜 Bon dimanche à tout le monde.
WIND BREAKER、心にぶっ刺さりました···!街という繋がり、助け合い、思い合い、そのままの自分で生きたいけれど否定されてきた、その反発と受容。 こういう街ほしいよ。個から集落へ戻ろうとしている、これ求めてる。サクラの照れ方がかわいい···内田雄馬さんのキレ方天才··· 勇気をもらう作品!! pic.twitter.com/4zdgypvr6F
これは、実は多くの女性が「結婚したら好きに生きたいけれど、結婚生活における全ての責任は夫だけに取らせたい」という意識を持ってるからだと思ってる。 本当の意味で自立した女性が極めて少ないので、男尊女卑とモラハラが結びついてしまう。 九州の家制度は本来こういうものとは全く違う。
九州に限らず、男尊女卑的な思考とモラハラはとても相性が良いので、一生を共にするパートナーとしては近寄らないのが一番良い。例えば、将来のキャリアや家事育児分担の話、ジェンダーに関する話題に対してどのように反応するかが、試金石になるかと思います。
配慮って人の為にやるっていうよりは、配慮しないことによって跳ね返ってくる自分への批判を減らすためにやるみないな感じですから 空気なんて読みたくないし、配慮せずそのまま自由に生きたいけれど、そうするとどんどん生きにくくなっていくのが世の中ではないですか 全ては己のためにです
「自分はこう生きたい」けれど家庭や学校や会社や社会との関りの中で望むようにいかない葛藤 大きく言えばお釈迦様が悟りを開いた以降も人類はみな等しくお釈迦様と同じように葛藤を抱えて葛藤を悟りたいと「考えて何とかしようとしてきた」 そろそろ考えるのを止めて祓い清めて肉体と精神を整えては
上手く付き合っていた方が得でも、そのために何だかなと内心では思っていながらにこにこ話すとか、そんな失礼なことやっぱり私はできないや。失礼な人には失礼だと言いたい。その上で、相手の失礼は自分も相手に失礼を働いてよい理由にはならない。風のように生きたい。けれど、手前勝手には吹かない。