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返信先:@MISHIMA_ESSAY中央公論社刊 石光真清著 石光真人編「城下の人」新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争 pp.32~35より抜粋 jtsuruki.blogspot.com/2020/04/pp3235…
maps.app.goo.gl/H2XFMpCV8VAJdv… 熊本大地震から4年経て思ったこと jtsuruki.blogspot.com/2020/04/202004… 石光真清著 石光真人編「城下の人」 pp.32~35より抜粋 jtsuruki.blogspot.com/2020/04/pp3235… 中島岳志 杉田俊介 責任編集「橋川文三-社会の矛盾を撃つ思想 いま日本を考えるー 」 pp.189-190より抜粋 jtsuruki.blogspot.com/2022/06/202206…
父親のほうの親戚が外国語学校露語科で社会科学研究会をやっていて、当然治安維持法で逮捕されたのだが、この保護観察になった<RT 戦時中は駿河台の文化学院の建物にあった参謀本部の分室で対露諜報をやっていた。 母親の方には石光真清がいるし、俺のロシアに対する微妙な感情は血筋だと思う。
鶴木次郎のブログ: 中央公論社刊 石光真清著 石光真人編「城下の人」新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争 pp.... jtsuruki.blogspot.com/2020/04/pp3235…
『無名』背景理解、 『君花海棠の紅にあらず』 『偽装者』 『叛逆者』 『南京路に花吹雪』 『紫禁城の黄昏』 『城下の人』(以下、石光真清の手記4巻) 『川嶋芳子伝』(昔過ぎてどの本か忘れた) 辺りでぼんやりつけた大陸情勢の知識が役に立った…かな。 やっぱりスパイ物好きなんだな、私😅
返信先:@yuno_sarashina本人が言ったからといってそれが真実とは限らないし、石光真清氏が二葉亭四迷と会ったと回顧録に書いたのも実は虚偽かも知れないですからね(同氏は諜報員として活動していたので)。 歴史の妙よ( ̄▽ ̄;)
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石光真清の手記①(中公文庫) 城下の人、p288の決死隊の最後の描写。この部分が史実かどうかはわからないが、これを読んで、さもありなんと思った。ご興味ある方は読んで見てください。
生きて虜囚の辱めを受けず、というのはクソな訓戒だよなぁ…とずっと思っていたのだけれど、日清戦争について調べているとほとんどの捕虜が私的に凌遅刑(身体を生きたままバラバラに分解していく死刑方法)を受けてぐっちゃぐちゃに殺されているので、あぁ…これが原因か…と思いました…
四迷はハルビン時代に市内に写真館を開業して諜報活動をしていた石光真清と会っていた事が石光の文章に記されていて、小説を志すと伝えた時「くたばってしまえ」と父に言われた為に二葉亭四迷の筆名にしたってエピソードを四迷の口から聞いた事を石光は記している。(森銑三「明治人物閑話」中公文庫)
どうでもいいけど二葉亭四迷という筆名の由来は父親が叱った時の言葉だという説と、自分自身の下らなさに愛想が尽きて発した言葉だという説とあるけど、前者は石光真清がハルビンで本人から聞いたと証言してて、後者は『予が半生の懺悔』って回顧録で本人が書いてるんだよな。
どうでもいいけど二葉亭四迷という筆名の由来は父親が叱った時の言葉だという説と、自分自身の下らなさに愛想が尽きて発した言葉だという説とあるけど、前者は石光真清がハルビンで本人から聞いたと証言してて、後者は『予が半生の懺悔』って回顧録で本人が書いてるんだよな。
友人様「「月が綺麗ですね」って言われたら何て返すのが正しいの?」 私「よう解らん。夏目漱石の逸話にされてるけど出典不明だし「死んでもいい」ってのは二葉亭四迷がロシア文学訳した言葉なんだけどその言葉は英語にしたらyoursで「私はあなたのものよ」なのよ。何でくっ付いたのかが不明。」
シベリア出兵と石光真清Ⅳ-49 吉野作造は、右翼の頭山満ら浪人会と演説会で渡り合う等、言論弾圧に立ち向かった気骨ある言論人の一人である。 大庭柯公は前に紹介したが、この大阪朝日の「白虹貫日」事件で大阪朝日を辞め「黎明会」を結成した。 米騒動は、無党派層の民衆の自覚をも促した。