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戊辰戦争の終戦後、薩摩黒田清隆は北陸道鎮撫総督の参謀の1人として敵側にも関わらず丸坊主になって榎本武揚の助命を官軍の中で頼み込んだらしい。 長岡藩の河井継之助も助けたかったらしいがこっちは戦死してしまう。
読んでいて思い出したのが"峠"における河井継之助の立場。彼は開明家でありながら、濃厚な佐幕藩である長岡藩の家老という枠を自分に課した。土佐藩の武市もそれに近く、一方脱藩した龍馬や中岡はその対極だろう。
棚倉、二本松藩の守る白河を会津藩が奪取。直後に新政府佐賀藩が奪回。この間に新政府主力凸1が那須越えで会津へ。この阻止のため、越後から長岡藩凸4が会津へ。さらにこれで空いた越後口から、松代藩凸3が会津盆地へ。会津若松に六文銭の旗が翻る超展開に。わーお。 pic.twitter.com/BmOpuIJd0F
返信先:@Taoyamemasurao3他1人近世は溝口家支配で、内高数十万石の雄藩でしたが、外様のために分が悪く、信濃川絡みの訴訟では常に長岡藩に負け、悔しさをぐっとこらえての尚武の気風が、維新後の連隊に引き継がれたのかもしれません☺
石原莞爾中将:鶴岡(庄内藩)会津の次に薩長から恨まれた藩 山本五十六大将(開戦派ではない):長岡(長岡藩) 南雲忠一大将:米沢(米沢藩) 栗田健男中将(栗田ターン):水戸(水戸藩 官軍地域である) 井上成美大将(開戦派の南雲と超絶不仲):仙台(仙台藩)
返信先:@mei27sakitaka超何にも関係ないですが、 慶応4年5月2日長岡藩家老河井継之助が藩主の歎願書を持参、西軍の軍監岩村精一郎と講和談判を行った場所、慈眼寺の境内にある幼稚園出身です^_^
#峠最後のサムライ 司馬遼太郎原作の戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助が主役の時代劇 戦乱を描いているけど終始静かな雰囲気 幕末の人々を垣間見るような映画です 大きな感動とかはなく、淡々とこの時代の空気を感じることができる映画かなと思います filmarks.com/movies/80728
返信先:@nacht_kumoi引用RTもありがとうございます(≧∇≦)/ ショッピングやグルメも素晴らしいのですが、ぽんしゅ館の書籍コーナー、マジでお宝が眠っていると思われます( ̄ー ̄)bグッ!(長岡藩関連とか)
長岡藩と会津藩は戊辰戦争でともに戦い、官軍に破れました。長岡藩の城は焼け落ちて会津に戦いに来ていた藩士44名は処刑されたと。官軍は触ることまかりならぬと、見張りを立て、野に晒された藩士たちは白骨化するまで放置されたと。それを官軍が去ったあと会津の人たちが手厚く葬ったと。櫻井さんは、
あと、長岡藩に限らず、江戸時代の人の骨格が庶民と武士と大名で特徴がそれぞれ現れているらしい。 庶民は顎がしっかり発達して目の部分の骨の孔は小さく、武士は孔が大きく顎は細く目はスッキリとした縦長の顔立ちだったらしい。大名以上は顎は更に細く目の孔が更に大きかったらしい。
返信先:@sakanoue078単純に最新式の銃で西洋式の軍隊だったはず……ただちょっと自信なくなってきた ガトリング砲は多分「北越戦争」の「長岡藩」のエピソード混じってますね~ あれ聞いた時はビビった覚えがあります
長岡藩は幕末の戊辰戦争は佐幕派の藩として会津藩に与して奥羽越列藩同盟側で新政府軍と激しく戦ったらしい。 河井継之助は老中だった藩主の牧野忠雅に気に入られて長岡藩の指揮官になったが、非戦中立を目指して和平の道を模索したが、会津を徹底的に叩きたかった新政府軍に却下され戦死。
徳川将軍だけでなく、長岡藩の歴代藩主も墓から藩主の姿が遺骨から姿形が復元されているらしい。 長岡藩は譜代大名の位置付けであり9代目で老中牧野忠精を出していて松平定信とも縁があり、寛政の遺老とも言われている。
Ami ノ家ノ辺リノ景色 見タコトアルゾト思ッタラ 只見町ノ河井継之助記念館ノ近クダッタ 越後長岡藩ノ軍事総督ヲ看取リ 記念館マデ建テテクレタ 只見町ノ方々ニ感謝 @seishun18x2 pic.twitter.com/898L16kbXB
日台合作映画 #青春18x2 新潟 ぐりーんぴあ津南ノらんたんヤ 飯山線 只見線ノ景色 きれイヤッタ〜 happinet-phantom.com/seishun18x2/
蒼柴神社 新潟県長岡市 2024年4月15日参拝 悠久山にあります。長岡藩中興の祖牧野忠辰公と事任主命を祀っています。 元は長岡城内にありましたが9代目が移しました。 pic.twitter.com/jFJTFKaD0t
返信先:@DDH182miraiうっすら存じ上げております...ここに(岩国)来たの!とか思うなどしました... (実は幕末好きで過去創作など嗜んでおりました...尊王攘夷派では長州藩、佐幕派では会津藩(新撰組)、奥羽列藩同盟で長岡藩(河井継之助氏)と仙台藩(からす組)が好きです)
『峠』(司馬遼太郎)読了。今回で3周目 長岡藩の河井継之助。時勢に囚われることなく自分を徹底的に律し続けた男。カッコ良すぎる。『燃えよ剣』と並んで定期的に読み返したくなる 私はこの「峠」において、侍とはなにかということを考えてみたかった。(あとがきより) 最後の侍の生き様を刮目せよ! pic.twitter.com/7hCZ6hDGvF
ぽんしゅ館の無双してきました٩( ᐛ )و🍶 越後湯沢駅内。500円=5枚コイン🪙で、お猪口の試飲ができます 北雪 春はレモングラスのようなスッキリしたハーブの香りが広がって大好き! 越後長岡藩は名前で選びましたが、男性的かつにごりのないお酒で美味しかったです。さすがガトリング家老。 pic.twitter.com/WJh5o3BdAl
そのような軍事史好きには垂涎の的である甘粕日記ですが、七月になると突如自分が参戦している北越戦線ではなく、急に磐城戦線のことを書き始め、長岡藩兵の奇襲で有名な第二次長岡城攻防戦についてもノータッチです。
返信先:@niigatsukiそれでも交通網とくに東側については、今後も整備や再開発されるべきです。みなとトンネルや柳都大橋など、何かの為と言わんばかりに、不可解な用地を余らせています。長岡藩いわゆる新潟島と、新発田藩の沼垂エリアの確執か何か知らんけど、貨物線に沼垂駅という広大な跡地も放置されたままです。 pic.twitter.com/zLpbchZYtH