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「原始仏教」という概念にも言えることですね。「原始仏教」は、実際にアジアに見られる仏教(特に大乗)と違って「合理的」で「科学的」なものだったという「物語」は、19世紀の合理主義のフィルターを通して仏典を読んだ西洋の学者が創作していった新しいイデオロギーだったりする。 #紙の上の仏教 pic.twitter.com/dqnzxdWkdw
存在の無いエンティティを団体の指導者とする形態は、19世紀のオカルト界で流行り、神智学でもブラヴァツキー夫人が交流していたとされるマハトマと呼ばれる存在がいます。当初クロウリーもアイワスをシークレットチーフスの一人としていましたが、後に聖守護天使とされました。
#丸大ハンバーグ このCMに反応してしまうと、年齢ばれてしまいますが、好きですw さすがにここまで大きい人はいませんが、19世紀後半には244㎝もある≪中国の巨人チャン≫という方もいますけど pic.twitter.com/ML3wWA1nfE
【面白CM】#丸大食品 ハンバーク 幼少時にこのCMを見たときは、このサイズの人間が実在すると思い込んでいました。 インパクトが強烈だったので「 #大きくなれよ 」は、今際のきわにも聞こえてきそうな気がします。
オーギュスタン美術館は、中世から19世紀までの彫刻、絵画、オブジェを展示しています。歴史的な環境の中で芸術を発見してください!#オーギュスタン美術館 #中世美術 ja.partoutatix.com/toulouse-ja/%e… pic.twitter.com/McgwqVhCKS
その上でp.211に至って「19世紀 イギリスの覇権と世界システム」という特集ページが組まれ、「世界経済は垂直的な分業の結びつきを強めた(世界システム)」とし、従前は近世〜近代から適用していた世界システムの叙述を、「19世紀以降は、この世界システム論の視点で世界史をみていく」と限定した。
19世紀初頭に流行したアール・デコのパターン資料集。幾何学模様、花や自然、動物を表現した模様などあらゆるパターンを紹介。大胆な色と抽象的なデザインで組み合わされたアール・デコのカラーの図版、テキストを収録。 ▼オンラインストア 『Art Deco Patterns』 buff.ly/42vMHMx pic.twitter.com/Eu56FnEHb6
返信先:@kazuo_ishikawa国際社会はまだ弱肉強食の世界でありドイツのショルツ首相の言う通り、19世紀に戻つた感んと同じで、勝った方が、領土を占拠している方の領土と国連も認めている状態。よい例は日本の島根県の竹島が韓国領土になています。戦争に敗けたら強盗よりも凄く命も財産も無くなります。そういう世界に逆戻り。
夜中に本棚整理 お世話になった古ラテン語辞書 爪かけがあって引きやすい かつて登下校にこれと 「19世紀の遺産」と呼ばれていたLiddell & Scott'sの古典ギリシャ語辞書を持ち歩いていた 西洋古典語の辞書の定番は当時これくらいしかなかったけど今はもっと選択肢があるのかな🤔 #ラテン語 #西洋古典 pic.twitter.com/ggVksC3Jln
ヘンゼルトはリストやショパンと並べられる19世紀の大ピアニストだったそうで、シューマンは「北のショパン」と形容したと解説にあった。 華やかで1枚1枚違う情景の絵を見せて頂いた様な気持ちで、田所さんの美しさ溢れた表現に酔いしれた🎹🌹🎹レナ先生が私の可愛いそして尊敬する田所さんと・・続→
19世紀のピアノの前に佇むモーツァルト うーん、今度白いグランドピアノの写真を撮りに行かねば…! いや、都庁のあのピアノという手もある…? もしくはT国ホテル… 全身+色々な動きのあるアクスタが欲しい〜 上半身だけとか、途切れてるのとか、そういうのじゃなくて!! pic.twitter.com/zOSrRmlAtk
🌿19世紀末フランス、パリ。 演劇界に颯爽と現れたイヴ・ラクロワは大衆の人気を独占するが、その陰である復讐計画を進めていた・・・。 #森川久美『#シメール』昭和53−54年 pic.twitter.com/OhXh0aQ4V1
【デザート】 庶民がデザートを食べるようになったのは、おおよそ19世紀末。 デザートと言ってもケーキなどは記念日でもなければ食べられなかったので、主にフルーツとチーズ(ヨーロッパ人にとってはチーズは別腹)でした。 またチョコレートの消費が、フランスで日本の3倍、ドイツ5倍と大好物です
ギロチンは、フランス革命後もフランスで死刑の方法として使用され続けました。19世紀には、ギロチンの設計が改良され、より効率的で人道的な装置となりました。しかし、20世紀になると、死刑制度自体に対する批判が高まり、1981年にフランスで死刑が廃止されました。
返信先:@contact_taruuni19世紀のジャガイモ飢饉でアメリカ大陸に多くの移民が渡った影響で、アイリッシュの音楽が今のアメリカのロック音楽の基礎となったとか色々ありますが、まぁそれは別の機会に… 禁酒法明けはアイルランドはウイスキー輸出でかなり儲けたでしょうね…
神奈川県相模原に拠点をおく芸術家の共同体パープルームの展示室。写真の壁には現メンバーとナビ派(19世紀パリで活動した芸術家集団)のピエール・ボナールの作品が、時間を越えて並列に展示されていました。 pic.twitter.com/Oa9Nx2quQy
// 🌹感動のフィナーレ!!🌹 『#筆先のエトワール」② by #鴨まどり(@madori_kamo) #ebookjapan & #LINEマンガ にて先行配信スタート🎊🎊 \\ 19世紀パリ、オペラ座🩰 役を掴むために“恋”を 知ろうとするエマだけど、 このトキメキは制御不能で!? ほか電子書店&紙書店では 6月5日(水)発売💐✨ pic.twitter.com/JpJU4n82ki
保守主義者が具体的にどのような思想・体制を掲げるかは、その国、時代、立場などにより異なる。ヨーロッパを含めて世界的には当初は王党派だったものの、19世紀以降に社会主義が台頭すると、従来は進歩主義だった自由主義が保守主義と連携する、あるいは「保守主義」と呼ばれるようになった
🇪🇺「日本人は過去の植民地支配について反省が 足りてない!」 🇧🇪←原住民を虐待、19世紀当時ですら民衆に ドン引きされる、旧植民地での内戦 に介入 し事態は悪化 🇪🇸🇵🇹←ロクな統治をせず放置プレイ、貧困と病 原菌だけを贈呈 🇫🇷←クソミソ国境を大量生産 どの口が()
オムニバスドラマ『パリ殺人案内』は7話で構成され、エッフェル塔やオペラ座などの観光名所を舞台に、殺人事件が起きる。どのエピソードも19世紀末の世相や社会問題を反映してるよ 個人的にはホテル・リッツを舞台にした誘拐事件「ヴァンドーム広場」が面白かった。エスコフィエが登場するよ
25年ぶりに観れたフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー。お母さまの遺品のピアノの響きから漂ってくる19世紀的な香りに改めて陶酔。後日、この部屋でおこなったインタヴューの記憶が生々しくよみがえってきた。
1999年、#ETV特集 はまだ無名だったピアニスト #フジコ・ヘミング さんに密着、その数奇な半生とピアノにかける情熱を自ら語る姿が大きな反響を呼びました。謹んで哀悼の意を表します。 #ETV特集「フジコ~あるピアニストの軌跡~」今夜10時 再放送です。 #Eテレ nhk.jp/p/ts/NL2MGZPNV…
19世紀末の作曲家は、パトロンの振込をあてにするか(ワーグナー、ドビュッシー、チャイコフスキー)、教職につくか(フランク、フォーレ、ドヴォルザーク)、興行主といっしょにやるか(ヴェルディ、ラヴェル)、別の仕事を持つか(ロシア五人組)など、安定した生活を送るのは大変だったからね。
英国使用人研究は19世紀ヴィクトリア朝からを中心にしたけど、論文や当時の資料がアクセスできすぎるので、16-18世紀に行くか。 すでに家政マニュアルで着手はした。 でもこの時代は日本のテューダー朝など歴史生活本の中にもある気がする。 あのメイド服もない(重要)。 note.com/kuga_spqr/n/n1…
ケルトの宗教史の専門家は、6世紀~8世紀の間にアイルランドで作られた文献をはじめとして、19世紀の終わりまでアイルランドに生き残っていた叙事詩伝説や民間伝承などの後世の資料を利用することも可能なのである。 M.エリアーデ『世界宗教史』筑摩書房 (原著 1976)
中世の伝説やイギリス・アイルランドの民間伝承で重要な役割を果たした。 この信仰は先史時代にその根をもつもので、アジアの一部の文化においては19世紀にまで生き残った。 ケルト人の間では頭蓋骨は神から授かった聖なる力の集積所であり、その持ち主をあらゆる危険から保護するとともに、
Anaïs Mitchellは、Bonny Light Horsemanのメンバーとして初めて知ったけれど、すでにさまざまな活動をしてきた優れた音楽家だった。19世紀のBalladを演奏したこのアルバムは、古典を演奏しながらも本当にみずみずしい新しさにあふれている。声もアコースティックな音色の響きも美しい。 pic.twitter.com/Rjg1JmxAC1
#ステンドグラス美術館 とっっっっっってもよかった!✨19世紀後半〜20世紀前半に実際にイギリスの教会で使われていたものが戦争や風習の変化を免れて小樽の地に。宗教画の荘厳さに加え油絵とは違った光と調和した美しさ、実際の教会で見たらここよりも圧倒されるんだろうな〜。 pic.twitter.com/xNsPFw7UpS
ちなみに この前登山鉄道の本読んでたら、19世紀に米国で登山鉄道をつくろうとしたら「そんなのできるわけないよ、いっそ月に行く鉄道でもつくったら?笑」とバカにされたけどそれをそのまま登山鉄道の名前(Railway to the Moon)にしたとかいう強い人の話が書いてあって、それが元ネタ
19世紀半ばに製造されたラチェットレンチの修復動画を見た事がある。 錆塊を電解液につけて電気還元し錆を削り落とすと鋼材は未だ健在。 各部ピカピカに磨きネジとバネを交換して組み立て、カチカチと歯止め音を響かせ作動したときは、感動した。 これもそう。 時を経た機械のなんと美しいことか。
まだ19世紀来の市民的価値観が濃厚な時代に女性単独での旅行記(震災体験記)は珍しいかもしれない。単独で日本を訪れた同時代の女性としては、『日本奥地紀行』のイザベラ・バード、森鴎外を追っかけてきた舞姫「エリス」のモデルとなったドイツ人女性、古代植物学者のマリー・ストープスくらいか。
返信先:@kujoucannon果汁入りミードについてちょこっとググったら19世紀まで製法が確立されてなかったとあったので、賢者が試験的にプロトタイプを仕込んでいたとしてもちょっと面白いかも…探究心豊かな賢者だとしてもいとしいな(凄まじき妄想)