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1618年の30年戦争で逆に日本人傭兵そこそこいたらしいしな 有名でないだけで外国人兵士はそれなりにいたんだろうね
戦国時代の黒人、弥助が名付きで有名すぎるだけで、どうにも普通にあちこちに同じ境遇の黒人はいたらしいっぽいんだよな。それこそ有馬氏の大砲撃ちは黒人だったとか言われてるし、外国人傭兵として意外に浸透してたんじゃないかって話
【モナド】 宗教改革の勉強はまだまだ続く。 ウェストファリア条約の締結から2年前、つまり30年戦争の終結直前にライプニッツは生まれる。 少し飛んで 特権と権力の取り扱いが難しいな🤔ルイ14世の側近ボシェが、カトリックの「特権」を保持しようとしたのは間違いないっぽい🤔…
【モナド】 宗教改革の勉強はまだまだ続く。 ウェストファリア条約の締結から2年前、つまり30年戦争の前にライプニッツは生まれる。 少し飛んで 特権と権力の取り扱いが難しいな🤔ルイ14世の側近ボシェが、カトリックの「特権」を保持しようとしたのは間違いないっぽい🤔…
シンホリ先生の戸籍への擦り方はそのまま「人権、(近代)民主主義、啓蒙思想」などに跳ね返ってくるんじゃね。どれも自明のことではなく、欧州における16世紀の宗教改革、17世紀の30年戦争及びウェストファリア条約締結と主権国家の誕生が背景にある。愛国心や国民意識は、本来はそれらと可分ではない。
右翼と保守の違いについて言及があって、リベラル保守という概念も出てくる。リベラルは欧州の30年戦争でプロテスタント勢力とカトリック勢力の戦闘をウェストファリア条約で調停したことに由来し、寛容 tolerance の精神を基本としている。
12/n その中には、もちろん宗教改革戦争(30年戦争)も含まれており、実際にブールタング要塞は、スペインのカトリック支配者に対するオランダのプロテスタント領の反乱の一環として建設された(ブールタング要塞、要塞の歴史)。
7/n ブールタング要塞の存在は、平時だけでなく戦争においても建築が必要であったという悲しい事実と、ルネサンス期に加速度的に起こり始めた技術の進歩が、宗教改革戦争(1618年~1648年の30年戦争のこと。オランダ独立戦争の80年戦争とカブっている)で致命的な効果を発揮したことを物語っている。
そういや30年戦争終わったばかりの時点だったな 最終的にオランダなどの国でカトリックは信仰として許されたけど、「公の場でやらなければOK」などの条件つきで、ヨーロッパの一部国においてカトリック教徒は自分の信仰を隠さないといけない、ということになった
③国際社会論:主要なアクターである国家間では、国際社会の制度を通じた相互作用によって秩序が維持される。 ○西欧的国家システムはドイツ30年戦争を終結したウェストファリア条約(1648年)により生まれた。対内的な排他的権利と対外的な主権平等。 ○国民国家を形成したのは市民革命。
日本の軍事技術の発展は1600年代初頭で止まっちゃったから オラニエ公の変革の後、グスタフアドルフのスウェーデン軍及びそれと渡りあった30年戦争後期の諸国軍が出てきたらもう勝てねえかなって感じはするけど
今、ヤフオクで SPI/Empires of the Middle Ages が出品されているが、 出品者がウォーゲームをわかってないのだろうが、 他の30年戦争のFreiburgとか、Cromwell's Victoryが気になる😂😂😂 page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o11…
「仏教については、「宗教戦争はほぼなかった」と言っても良いでしょう。 最近では、ミャンマーで仏教徒とイスラム教徒の対立がありますが、そうしたことはむしろ例外的で、少なくとも、十字軍やドイツ30年戦争などのような世界史に大きく残るような紛争は起こしていません」
何で山川の団塊ジュニア世代の教科書では、一言も触れてくれてないの⁈30年戦争とかより、こちらの方がある意味大事じゃないか? やっと、高声時代から色々不思議だった、近世以降のヨーロッパで、何故あれほど旧教新教に分かれての泥沼みたいな戦争と講和の嵐だったのかが、少し分かったよ💢 pic.twitter.com/TqW0Oev2QK
30年戦争クワドリ:第2版を入手する - bqsfgameの日記 bqsfgame.hatenablog.com/entry/20150227 30年戦争クワドリの話題見つけた。#ウォーゲーム
ノルドリンゲン と聞くとSPIの30年戦争クワドリ思い出す
ノルドリンゲンは、1450万年前に1km程度の小惑星の衝突によって生じた直径約20kmのクレーター内に位置しており、街中に博物館があります。 塔の上から遠くに見える小高い丘がクレーター外縁部に相当するそうです。
30年戦争を終わらせるには カトリック、プロテスタント双方が自分の主義主張を抑え、寛容になる必要がありました それがリベラルの本来の意味で、本物のリベラルとは社会の為に個人の主義主張を我慢する意味があったのです アメリカでは何故か、個人の権利だ!なんです
アメリカ様が後で解釈を都合よく変えたのでしょうね 元々リベラルは30年戦争後のウェストファリア条約の時の精神ですから カトリックとプロテスタントの争いを止める為には、個人の主義主張を我慢して寛容になる必要がありました
城壁に囲まれた街 ネルトリンゲン 城壁の上をくるっと一周出来ます。 城壁、空堀、さらに水掘とけっこうな防御設備ですね。 30年戦争でも🇸🇪軍に包囲されて、近郊で🇸🇪軍と帝国軍が戦闘になっています。 SPIのクアドリにあったような? pic.twitter.com/pWDm3o4HKV
トゥキュディデスのドラマにおけるスパルタの役割を演じる一方で、アテネはプロテスタントとフランスにより演じられたのだ」(p. 195)。ペロポネソス戦争も30年戦争も、根本原因の1つは勢力均衡の変化が引き起こす台頭勢力への懸念でした。パワー分布の激変は危険なのです。3/n
興味深いことに、彼はこんな結論を書いていました。「この(30年)戦争が始まり続いてしまったのは、実際のパワーや利益と想像上のパワーや利益の差があまりに大きかったからだ。覇権戦争の理論は、我々が1618年の出来事を理解する手助けになる…ハプスブルグ家は 2/n
本日の「国際関係論」の授業で戦争原因のバランス・オブ・パワー理論を解説した際に、ある学生から「それで30年戦争も説明できますか」と質問され考えさせられました。それなので歴史学者のガットマン氏の論文「30年戦争の起源」を読んでみました。1/n amzn.asia/d/f2io6dO
ユグノー派、聖バーソロミューの虐殺、30年戦争など、何十年も前に世界史の授業で聞いた話がたくさん出てきて、歴史の知識はやっぱり重要って思った。学校の勉強もいつか役に立つ日が来ます…(内容はよく理解していないけどな😅)。
先日、フランス人ガイドによるユグノー派移民の歴史を巡るSohoウォーキングツアーに参加してきました。全然知らなかった事ばかりでとても勉強になった。教会や昔からある🇫🇷人経営のお店など、ユグノー移民ゆかりの場所がSohoにはたくさんある。チャイナタウンができる前はフランス人街だったとか。
返信先:@May_Roma世界史とは一神教のこと。一神教とは要はデビルマン(グノーシス派とアルビジョア十字軍がモデル)ですよ。お互いを悪魔と罵って生きたまま解体したり、ドイツ30年戦争おきたり。日本人以外はみんな本音それって言っても友達は誰も信じてくれなかった。ガザ虐殺起きた後も youtube.com/watch?v=YIoyki…
ベトナム戦争【戦後アジア史③】ゼロから世界史92講 youtu.be/JqJjsfAi9LQ?si… @YouTubeより ベトナムvsフランスで10年 ベトナムvsアメリカで20年 計 30年戦争 グエンザップ氏のことは改めて認知できた。