3.85(7件)
- 天気:晴れ 24℃ (降水量0mm/h)00時の予報
- 住所:群馬県利根郡みなかみ町
- 電話:0278-62-0793
- 最寄り駅:後閑駅[出口]徒歩27分
- 営業時間:営業時間外-営業開始 9:00(月)
真田昌幸が、沼田城を手中にする前線基地として築いた名胡桃城。戦国時代、築城の名手と謳われた昌幸が、利根川と赤谷川の合流付近で、三方が絶壁となる天然の要塞に作った山城である。豊臣秀吉の天下統一の足掛か...
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名胡桃城(なぐるみじょう)は、群馬県利根郡みなかみ町下津にあった日本の城。1949年(昭和24年)に「名胡桃城址」として群馬県指定史跡に指定された。
名胡桃城は室町時代に沼田氏の一族といわれる名胡桃氏が館を築いたのが始まりと言われています。その後天正6年 上杉謙信急死の後、真田昌幸が名胡桃館を攻略し、沼田城 ...
戦国時代に沼田氏の一族の名胡桃景冬が築城。天正17年(1589)、豊臣秀吉の仲介で北条氏に上野を与え、真田氏は名胡桃一帯を支配することで和解協定が成立した。
真田昌幸が武田勝頼の命を受けて1579年に手に入れた「名胡桃城」は、 沼田領を巡る武田家の前線基地としての役目を持っていました。 実際に昌幸はこの城を拠点にして、 ...
名胡桃城(なぐるみじょう)は、利根川と赤谷川の合流地点の東西の右岸の段丘上に築城された城で、史料によれば、天正7年利根に進行した真田昌幸によって現在の城址に ...
名胡桃城は、利根川西の段丘面に築かれた小さな城でした。しかし真田氏にとってこの城は、沼田城に対する前線基地として重要な拠点だったと考えられます。
「上州真田三名城」の一つ。真田昌幸の領主時代、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の誘因となった城として有名。名胡桃城址案内所もあり、資料などを展示しています。
築城年代は定かではないが明応年間(1492年〜1501年)に沼田景冬によって築かれたと云われる。景冬は沼田城主沼田景久の三男で名胡桃氏を称した。
名胡桃城は元々、名胡桃館という御殿だったのですが1579年(天正7年)に真田昌幸が大きく手を加え、名胡桃城を築きました。 小さい山城ながらも、歴史を変えたスゴイお城なん ...